第五章 化石なんかじゃない①

 かみはた古墳での発掘調査は、終盤を迎えていた。

 画文帯神獣鏡の出土した後は、鏡片など、いくつかの副葬品が出てきたが、めぼしいものの発見には至らなかった。予定されていたトレンチの掘削も全て終了し、残すところは実測のみとなった。図面に書き起こすための作業だ。無量もジョレンをコンベックス(金属製の巻尺)に持ち替えて、分層線をせっせと測っている。

 だが、萌絵の目から見ても、明らかに元気がない。

 日頃から余計なことはしやべらない無量だが、ますます口数が減り、表情も暗い。

 考え込んでいるふうでもある。

 行方不明だった「うみすい」は無事見つかったというのに、この週末に何があったのか。

 絶対何かがあった、と確信できるのに、いくらたずねても答えない。

 萌絵はどうしても無量の口から聞き出せずにいる。


 そうこうするうちに、亀石が退院した。

 ギプスはまだ当分外せないので、まつづえをついての退院だ。しかし、こんな目に遭っても亀石は懲りておらず、病院を出るとすぐに「三村教授の家に行く」と言い出した。萌絵は止めたが、耳を貸す亀石ではない。

 訪問すると、三村夫人は身内のように迎えてくれた。亀石の交通事故が、ただの自損事故でなかったことは内緒にしていたのだが、事が事なので気がかりだったのだろう。幸い三村家には不審者の来訪などはなかったようだ。三村の私物はすでに大学から戻されていて、段ボール箱が積まれたままになっている。パソコンなどは捜査のために警察に持って行かれたが、身の回りのものや文献類はそっくり自宅の書斎に残っていた。

「ちょっと調べたいことがあるので、しばらくもらせてもらっていいですか」

 三村夫人は快諾してくれた。亀石は書斎に引きこもり、書棚にある文献を片っ端から見て、ほとんど家捜し状態だ。ギプスのため椅子に座り込んでいる亀石を、萌絵も足代わりとなって手伝いながら、

「何か気になることでもあるんですか」

「ああ。ちーとな」

 亀石も病院のベッドでただ漫然と寝ていたわけではない。その人脈を生かして「龍禅寺文書」を徹底的に調べあげていた。結果、いくつかの事実が判明した。

 戦国時代、龍禅寺の先祖が東大寺や興福寺などに保存されていた文書を書き写したとされる「龍禅寺文書」には、専門家がうなるほど珍しい史料が幾つも見受けられた。東大寺の記録といえば「東大寺文書」という古文書群が知られており、そちらは東大寺本坊伝来と、院家たつちゆう伝来のものと二系統が存在する。そのほとんどは現在、東大寺図書館に収蔵されているが、他にも、いくつかは宮内庁管轄の正倉院や、大学などにある。それらは「寺外分東大寺文書」と分類されていた。つまり「龍禅寺文書」も一種の「寺外分東大寺文書」なのだ。

 内容は、三分の二ほどは既存の東大寺文書とも重複していたが、中には全く未発見の史料もあった。美鈴が確認してくれた(あんなでも、やるときはやるのだ)。恐らく原本は、戦国時代の戦火で焼亡したものと見受けられる。

 未発見史料の中に、正倉院御物の由来にまつわるものもあった。

 そこに、例の「ほうらいの海翡翠」の名が記されていたのである。

 蓬萊との交流によってもたらされた「へきぎよく様」の「青はく」とある。「青」は古代における「緑」のことだから、緑色琥珀を指しているのは間違いない。その「蓬萊」がどこかというと、「其之国、西南大海に在りて四方を海に囲まれし」島であるとし、「あるいわく、すめまのみことの降りたまはれし天原とは是之国なり」と記されている。「天原」とは「高天原」のことだ。「是之時、皇御孫尊、蓬萊之あかしなる海翡翠を天照大神より賜り、しこうして後、あしはらのなかつくにを治む」

 高天原=「蓬萊」である、との珍説はここから来たようだ。

 元々「蓬萊」という言葉が出てくるのは中国の「史記」だ。蓬萊に不老不死の薬を求めさせたのは、秦の始皇帝と言われている。つまり、始皇帝は「高天原」とされる場所に遣いをやろうとしたことになる。

 しかも文書には、その後も代々の「皇御孫尊」は、蓬萊とのつながりを持ち続けた、とあり、正倉院にある「海翡翠」は、聖武天皇の即位の折に蓬萊から「葦原中国を治む証」として贈られてきたものだという。更に聖武天皇は、その「海翡翠」の一部を、我が身の分身として、不空羂索観音の宝冠に使わせた、とも。

「この文書が記されたのは、こうけん天皇のとある。てんぴようほう年間、つまり、聖武上皇の没後だ。聖武の遺愛品を東大寺に収めた時に、宝物の由来を記す、とある。だが、問題はここだ」

 肝心の「海翡翠」は、正倉院宝物の目録である「東大寺献物帳」の「国家珍宝帳」に、その名がないことだ。

 本当に、そんな大それた品であるならば、真っ先に珍宝帳に載せられるはずなのだ。

 しかし、ない。

 それどころか、「海翡翠」の名は「東大寺献物帳」にはどこにも見あたらない。

「何か載せられない政治的理由があったのか。国家仏教で世を治めんとする聖武には不都合な権威だったのか。大体、原本が焼けたんじゃあな……。どこまで信じて良いかもわからん。そもそも天皇の即位毎に、天照大神のいる高天原から認証の品が贈られた、なんて、トンデモ以外のなんでもない。だが、そのブツである海翡翠は、少なくとも、実在する」

「上秦からも出たということは、上秦古墳は、実は天皇陵だったとか? ですか」

「確かに画文帯が出るのは大王クラスと言われてるが、天皇……というか大王陵にしては規模が小さいから、その可能性は低い。だが、三村教授は、箸墓でも崇神陵でも景行陵でもなく、あの上秦古墳から出ると予測してた。その根拠になるものがあったはずなんだ」

 三村の愛用だった革張り椅子にふんぞり返って、亀石はあふれんばかりの資料と首っ引きだ。

「邪馬台国の卑弥呼は、魏の皇帝から『親魏倭王』の承認を受けた。だが、それ以前に、倭の王となるべき者は『蓬萊』からの承認を受けていた。それが海翡翠。……事実だとしたら、空恐ろしいが、実際に緑色琥珀はでてきてる」

「ほんとにそれが伝説の蓬萊かどうかはともかく、大王クラスに緑色琥珀を贈る国はあったってことですよね。それって、どこなんだろ」

「もしかしたら『龍禅寺文書』はこれだけじゃないかもしれん。為夫氏が見せたのは一部だったんだろう。恐らく、残りに『蓬萊』に関する記述もある。三村教授は、その残りの文書から何かをつかんでいたんだ。そいつを探してるわけだが」

 なかなか見つからない。

 だが、なんとなく萌絵にも分かる。三村教授の推論。彼は、この「蓬萊」が沖縄の海底遺跡と関わりがあると見ている。だから、亀石に海底遺跡の写真をのこし〈正倉院琥珀〉を渡し、隠した〈上秦琥珀〉の発見を無量にゆだねた。

 しかも、上秦古墳では、海底遺跡の線刻文字とよく似た記号が彫られた銅鏡(画文帯)が出てきているのだ。

「でも、海底遺跡は三世紀ぐらいには沈んだみたいですよ。天変地異のせいらしいですけど。聖武天皇の頃には、とうになかったかも」

「いや。権威そのものは場所を変えて存続してただろう。問題は、当時、沖縄諸島に権威となりうる王国が、本当に存在したかどうかだ」

 弥生・古墳時代のりゆうきゆうといえば、考古学的には「貝の道」という長距離交易があげられる。本土の首長階級の人々が、自らの権威を高めるために、あま以南からしかとれないイモガイなどの大型貝から作られた腕輪をしていたところから、その存在は明らかだ。

 当時の沖縄諸島には、長距離交易を支える何らかの強い首長がいたようだ。弥生土器や銅鏡、しゆせんどうぞくてつなど、外から持ち込まれた遺物も出土していることから、本土もしくは大陸との交易があったこと自体は間違いない。

 だが、それを行った集団がどの程度の規模であったかは、さだかでない。まして、本土の倭よりも上位に立つ集団だったかどうかは、クエスチョンが残る。

 首長社会の地盤とされる農耕は、沖縄諸島では、この時代にはまだ行われていなかった、と見られている。農耕のこんせきが出てくるのは、およそ一千年ほど前、グスク時代と呼ばれる頃からで、それ以前は狩猟採集による社会であったと考えられている。

「……もっとも、そいつもまだ証拠となる遺物が出てきてないだけで、確実とは言えない。やなぎくにや一部の農学者は、日本に伝わってきた米の中には、琉球列島から入ってきたものもあるという立場をとる者もいるし」

「それって、天皇家の始祖が、南方からやってきたっていうのとも通じますね」

「ああ。アマテラスにみられる太陽神信奉は、農耕社会とつながりが深いしな。本土の弥生時代のイネには、大陸経由の温帯ジャポニカ米でない、熱帯ジャポニカ米の遺伝子が見つかってるなんて話も聞くから、あながち、ないことじゃないかもしれん」

「少なくとも海底遺跡みたいな大きな城を造る人たちはいたわけですね」

「その謎の一族『蓬萊』が、本当に天皇家の始祖といえるかどうかは、なんとも言えんがな。例の海底遺跡の水中文字こそが、『蓬萊』の存在した唯一の痕跡か。少なくとも三世紀ぐらいまでは、存在した証が海にある。何らかの権威が」

 ひとつのことに集中する亀石は、いつものズボラな亀石とは別人のようだ。そんなところが少し無量と似ている、と萌絵は思った。

「残りの龍禅寺文書……。ここにないとしたら、後は」

 粘ったが、その日はとうとう見つけ出せなかった。

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