第五章 化石なんかじゃない②

    *


 夕刻のJR奈良駅。現場帰りの無量はホームからの階段を下りてきたところで、声をかけられた。顔をあげた無量は、驚いた。改札口にいたのはつる暁実だ。

「鶴谷さん……」

「この電車で帰ってくると思ったんでな。お疲れさん。一緒にメシでもどうだ」

 鶴谷はパンツスーツにハーフコートを羽織り、着こなしにも隙がない。背筋を伸ばしてさつそうと歩く姿が、彼女の気質を伝えていた。二人は駅下にある定食屋に入ることにした。店内は会社帰りのサラリーマンや学生でにぎわっていたが、ちょうど奥まった場所のボックス席が空いていたので、そこに落ち着いた。食券を渡し、セルフサービスの茶を飲みながら、鶴谷が言った。

「どうした? なんだか元気がないな」

「いや。何でもないっす」

「おまえさんから頼まれていた例の男の経歴だ」

 鶴谷が調査報告書と称した封筒入りの書類を無量に渡した。そこに記されているのは、相良忍の経歴だった。

「出身は福島県いわき市。十二の時に自宅が全焼して両親と妹を失い、岐阜県にある民間養護施設に移っている。その名も『ほうすうえん』」

「養護施設? しんせきに引き取られたんじゃ」

「ああ。ちなみにこの民間養護施設は、岐阜県内にある学校法人が運営している。私立鳳雛学院。県内でも指折りの中高一貫校だ。学生寮も持っていて、全国から優秀な学生が集められている。東大京大合格者数は、全国で十指に入る名門だ」

 無量の目は、忍の経歴を記す文字を追っている。

「そして、この学校法人。経営母体は井奈波グループ。創立者は、あの龍禅寺雅信だ」

「なんだって」

「どういうことだ? 無量。この男は何者なんだ」

 逆に問い返される。話し出そうとしない無量の様子をうかがい、鶴谷は促すように、

「いいか、無量。私立鳳雛学院からは、井奈波グループを支える多くの幹部を輩出していることでも知られている。特に優秀な生徒は『ほうおう会』と呼ばれる選抜グループに入り、特別カリキュラムを与えられ英才教育を受けるそうだ。噂では、この『鳳凰会』出身者が例の『りゆうの子供たち』候補となると言われてる。そして相良忍は、この『鳳凰会』に名を連ねていた」

 無量は目をみはった。「龍の子供たち」とは、龍禅寺雅信の兵隊と呼ばれる者たちのことで、政財界の要所要所にいると言われる存在だ。

「彼が引き取られた『鳳雛園』という養護施設も、無条件で入れる施設ではなく、入所には知能テストで、ある一定のレベル以上の結果を出すことがひつ条件だ。合格者は、大学までの養育費を全て井奈波財団が無償で賄う。……相良忍は、全て抜群の成績でクリアして、学内でもそうとうの秀才で鳴らしていたようだな。同級生に話を聞いたが、とにかく、暗くて冷たい雰囲気の、とっつきにくい生徒だったようだ」

「暗くて、冷たい……? 忍が」

「クラスメイトも笑った顔を見たことがないとか。友人もなく孤立気味だったが、別に気にする様子もないから、いっそう不気味な存在だったと」

 無量の知る忍は、いつも朗らかで、笑顔の記憶しかない。

「それ本当に忍なんですか」

「目の前でいじめられてた生徒が彼に助けを求めたが、冷たく無視して、後日、その生徒は飛び降り自殺をはかったという話もある。遺書に彼を恨む一文があったというが、そうと教えられても顔色ひとつ変えなかったそうだ。ていのいい見殺しだな。だが、目上受けはしていたようだ。教師には礼儀正しくカンジがいいから、裏表がある、へつらい屋だと思われていたようだ。優等生を演じるのがうまいというか」

 無量は黙り込んでしまう。……〝演じる〟のが……うまい……。

もつとも、『鳳凰会』とやらは生徒同士の競争が異常に激しかったというから、足の引っ張り合いみたいなのは日常茶飯事だったらしい。成績上位者の下位者イジメがすさまじかったそうだ。ここだけの話、年にひとり、ふたりは自殺者を出すような、問題のある会だったとか」

「そんなとこに、忍はいたんですか」

「上位の常連だったようだ。龍禅寺雅信からも、いたく目をかけられていたようだな。その証拠がこれだ」

 鶴谷が、スマートフォンに画像を出してよこした。誰かの葬儀で撮影されたもののようだ。

「二年前に世を去った龍禅寺雅信の、告別式の画像を、ある筋から手に入れた」

 巨大な花祭壇の中央には故人の遺影が掲げられている。胸に勲章をつけたいかめしい面構えの白髪老人、それが龍禅寺雅信だ。享年九十二歳。目をいたのは、出棺直前の画像だった。そぼ降る雨の中、葬儀場の玄関先で、ひつぎを担いで出てくる数名の男たち。

 その中の一人を見て、無量は息をんだ。

 忍が、いる。

はいを持っているのが、喪主である長女・龍禅寺笙子。遺影を持つのが弟のあきのぶ。棺を担ぐ者たちは皆、井奈波の役員級だ。その中に混じっているということは、故人にかなり近しい者であるのは間違いない」

 棺を担ぐ者の中では、飛び抜けて若い。

 無量はがくぜんとしてしまう。

 なぜ、忍がこんなところにいるのか。

「龍禅寺の葬儀で当主の棺を担ぐのは『龍の子供たち』の中でもり抜きの人間だと専らの噂だ。もしかしたら、相良忍もそのひとりであるのかもしれない」

「なんで、忍が……」

 穴が開くほど画像をにらんでいた無量が、ふと忍の斜め前で棺を担ぐ男に気がついた。やや面長で唇の厚い、インテリ眼鏡をかけたきつね目の中年男。切れ味の鋭い剃刀かみそりを思わせる、いかにもやり手な雰囲気の、この男。

「なんだと? この男に会っただと?」

「ああ。間違いない。これ、あの朝、古墳に来た男だ。三村サンの葬式の翌々日、上秦の発掘現場に現れた。こいつが誰か、分かりませんか。鶴谷さん」

「これは……っ」

 鶴谷は鋭い眼になった。

「井奈波マテリアルの役員だ。名前はけんもちまさ。まだ四十代後半だが、切れ者で、次期CEO(最高経営責任者)と目されている。この男が上秦古墳に来たのか? 三村教授が発掘してた古墳に?」

 無量はコクリとうなずいた。井奈波マテリアルは、主に銅の製錬や金属加工などを扱う企業で、非鉄部門では業績トップを誇る国内有数の金属メーカーだ。吸収合併によって事業規模も近年目覚ましく拡大し、例の熱水鉱床開発事業にも一枚んでいるという。

「この男は、昔から『龍の子供たち』のひとりだと言われていた。中でも、懐刀を意味する『七剣』のひとりであると」

「しちけん……?」

「『龍の子供たち』の元締めみたいなものだ。七人いるから七剣。井奈波グループ全体の最高決定権を握ると言われてる」

 無量も厳しい顔つきになった。ただ者ではないとは思っていたが、そこまでとは。

 だが、それを聞いて謎のいくつかが氷解した。

 無量は、鶴谷の前に、小さな桐箱を差し出した。

「これを相良忍が……?」

 箱の中身を見て、鶴谷は驚いた。無量はうなずいた。忍に渡された香だった。龍禅寺一族の者が必ず家でくという、きやの香「りゅう」。古墳に来た眼鏡男からも確かに香った。その特別な香を、なぜか所持していた忍。いま全てがつながった。

「龍禅寺の人間だったなら、この香を持っててもおかしくない。そういうことだったんだ。俺を脅した連中が持ってた写真を撮ったのも、やっぱり……。ありがとう、鶴谷さん。やっと分かった。忍の十二年間。あいつは龍禅寺のもとで暮らしてたんだ」

 忍はこの匂いが大嫌いだと言っていた。これは人生をけたふくしゆうなのだ、とも。

 三村教授にただならぬべつの念を抱いていた。三村教授と龍禅寺雅信と忍の父親、三者の間で何があったかは分からない。だが恐らく、忍が「復讐」をしようとしている相手は……。

「なぜ、この男を調べさせた? 無量。相良忍は、三村教授を殺害した容疑者なのか?」

 無量は黙りこんでしまう。ややして、

「……忍は『自分が手を下すまでもない』って言ってた。犯人ならあんな言い方はしない。三村教授を『あんな死に方をして当然だ』とも。何か知ってる気配はあったけど」

「おまえの、幼なじみか」

 鶴谷が調べたのは、忍の経歴だけにとどまらなかった。

「相良忍の父親は、相良悦史。アマチュア考古学者で、忍が十二の時に火災で焼死している。そして無量。この相良悦史とおまえの祖父・西原瑛一朗は師弟関係だったそうだな」

「………。ええ」

 忍の父親・悦史は、無量の祖父・瑛一朗が主宰した地元の遺跡発掘会で知り合い、懇親を深めていた。祖父の指導でアマチュアながら考古学調査に参加するようになった悦史は、その後も度々、祖父が関わる遺跡の発掘に同行していた。無量と忍が幼なじみになったのも、そんな経緯からだった。

「どこかで聞いた覚えがある名前だと思ったら、無量。相良忍の父親は、おまえの祖父が起こした例の事件を、マスコミにリークした張本人じゃないか」

「……ええ。そうです。そうだけど、俺達には関係ない。親やじーさんのことなんて、俺と忍には関係ない。あいつは親友だったんだ。大切な友達だった。忍は自分たちの人生を狂わせた人間に復讐するって言ってた。もしかしたら、忍の家族が死んだ火事、火をつけたのは……」

「おい。滅多なことを」

「あながち、無関係じゃないかもしれない。動機はわからないけど、親父さんの研究に関わることだとしたら」

「無量」

「あいつの家族を殺したのは、もしかしたら」

 言いかけた無量の唇に、鶴谷が人差し指を立てた。

 鶴谷は冷静だった。間近に目と目を合わせ、

「……私が首をつっこめば、記事にすることになるぞ。それでもいいのか」

 無量は慎重に答えなければならなかった。忍は思い詰めていた。復讐のためならば犯罪に手を染めることもいとわない、そんな覚悟がにじんでいた。

「忍は何かヤバイ連中に手を出そうとしてるのかも知れない……。もう一度会って、危ないことしようとしてんなら止めないと。力貸してください、鶴谷さん。忍を捜したい」

 そこへ注文したしよう焼き定食がやってきた。鶴谷はテーブルから体を離し、一度ふうとためいきをついた。「分かった」と答えて、はしを手に取った。

「そういうことなら、今回の調査料は大サービスだ。あとで珈琲コーヒーでもおごってくれ」

 わんを取り、みそ汁をすすった。

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