第四章 龍の子供たち⑥

    *


 土日は発掘作業も休みとなる。

 前夜、無量は忍と連絡をとり「会わないか」と持ちかけた。忍は快く応じて「ならはつもうでに行こう」と言い出した。二人が待ち合わせた場所は、JR桜井線の三輪駅だ。発掘現場のある巻向駅のひとつ先にある。

 小さな駅舎の簡素な待合室で、忍は待っていた。今日も普段着だ。

「つきあわせて悪いな。無量」

「いや。今頃、初詣?」

「仕事忙しくて、まともにおまいりできなかったんだ。じゃあ、行こうか」

 肩を並べて歩き出した。駅前のささやかな商店街を抜けると、ほどなく大神神社の参道だ。大きな鳥居の先に、きれいに掃き清められた砂利道が続く。

 参道の両脇に並ぶ木々から時折、木漏れ日が差し込む。真冬のりんとした冷気が、神域の厳かな空気とあいまって、背筋がぴんと伸びるような、そんなすがすがしさだ。

 忍と会うことは、萌絵には話さなかった。話せば止められると思ったからだ。

「僕は去年、年男だった。無量は、さ来年か」

 忍の朗らかな笑顔には、恐ろしい事件を起こすような暗い影はない。

 無量の胸にも、疑惑は徐々に膨らんでいたが、一緒にいるとそれも薄れていく。不思議なのは、この距離感だ。丸々十二年も空白があって、お互い、いい大人になったのに、離ればなれになっていた年月が噓のように、隣にいるのがしっくりと来る。

 大神神社は、三輪明神とも呼ばれ、地元の人々には「みわさん」で親しまれている。正月は初詣客でにぎわうが、今は一月も下旬とあって、落ち着きを取り戻していた。

「京都の大学行ってた頃から、このかいわいが好きでね。休みになると、よく足を運んだもんだ。毎年、初詣にも来たよ」

「京都にはあんなにいっぱい神社があるのに?」

「ははは。そうだね。変かな」

 うつそうとした樹木に覆われた参道は、厳かで、古社の風格が感じられる。手水ちようずを取ると、凍るような冷たさに身が引き締まった。石段の上は一際開けていて明るかった。重厚な拝殿が待ち受けている。

 大きな屋根の拝殿は、三輪山のやますそにあり、本殿はない。山そのものが御神体であるためだ。大きな注連しめなわを張った拝殿前で、さいせんを投げ、参拝した。海外から帰国したばかりの無量は、日本の神社は久しぶりだ。掃き清められた境内の厳粛な空気は、緊張感もあって自然と背筋が伸びる。

 こんなに立派な神社でのお詣りは、経験したことがないので、その独特の雰囲気にまれ、ぼんやりしている無量に、忍が笑いかけた。

「ここの神様は、おおものぬしのかみっていうんだ。昔、その神様が白蛇になって現れたという言い伝えがあって卵をお供えする風習がある」

「神様は蛇なのか?」

「ははは。無量は蛇、苦手だったっけ」

 社務所にはお守りが並んでいる。

「……買ってく?」

「いや。忍は?」

「僕は、もうあるから」

 と胸の辺りを押さえる。首から革ひもが覗いている。何か、身につけているお守りが別にあるらしい。

 山のふもとには他にも摂社がある。もう少し歩こう、と忍に誘われ、ひなびた道を歩き始めた。万葉の頃から人がき来した古い道は、今では散策道になっていて、ちょっとしたハイキングも楽しめる。山や畑の間を縫う、車も入れないような細道だが、歩いていると、いにしえびとの気分になれるんだ、と忍はご機嫌だ。

「少し休んでいこうか」

 丘の上が見晴台になっていて、あがると眺望が開けた。

「あれが大和三山。山にみみなし山に、うね山……。畝傍山は橿原の研究所があるところだ。春になると、もやが棚引いて、とても幻想的なんだよ」

「おまえのお気に入りの場所なんだな」

「ああ。ここで食べる柿の葉寿は最高。ちょっと早いが、昼飯にしよう」

 と忍が弁当を取りだした。ベンチに腰掛けて、魔法瓶の熱い茶と、柿の葉に包まれた押し寿司を分け合う。みかんまであって、なんだか遠足みたいだ。

 忍はやっぱり、肩が触れるほど近くに座る。

 必ず右側だ。

 辺りにはひともない。

 鉛色の雲間から差し込んだ光が、天使の梯子はしごとなって耳成山のあたりに差し込んでいる。はるか遠くには、幻のように二上山の青垣がゆったりと腕を広げ、冬枯れの大地には、明暗がくっきりと生じ、見る者を古代にいざなうような神秘的な風景だ。

「なあ、忍。……おまえ、なんで文化庁の職員になんかなったの?」

 忍はみかんの皮をきながら、少し考えて、

「んー。それはまあ、国家公務員が一番安定してていいかなって。あと元々、文系だったのと、政治や経済は苦手だったからってのもあるけど、一番はやっぱりおまえかな、無量」

「俺……?」

「大学の研究室でおまえの噂聞いて以来、俺も何か遺跡関係の仕事につけたらいいなと思ってた。希望通りの配属になった時は、飛び上がって喜んだよ。またおまえに会えるかもって。だから、今回の発掘を聞いた時はいてもたってもいられなかった。上司に無理言って出張もぎ取ったんだ。まさかあんな事件が起こるとは思ってもみなかったけど」

 本当に? と無量が問いかけた。念を押すように、

「本当にそれだけが理由なのか?」

「それだけだよ」

 他に何があるんだ? と忍は屈託ない。毒気が抜かれるような笑顔だ。

 さわやかな物言いは、殺人事件などという陰惨な出来事とまるで結びつかない。殺人現場で萌絵が忍を見た、だなんて、何かの間違い、と思いたい。そのためには、忍の口からはっきりと聞き出さねばならない。だが、どう切り出せばいいのか。

 つい寡黙になってしまう無量に、今度は忍が訊ねてきた。

「発掘は、楽しくないのか? 無量」

「え」

「永倉さんから聞いた。発掘は宝探しじゃない。ロマンだとか夢だとかはないって、おまえ言ってたそうだな。俺が知ってる無量は、いつも目をきらきらさせながら化石を掘ってた。世界で一番ワクワクする、宝探しなんだって。今はもう違うのか?」

 無量は目を伏せて、考え込んでしまった。

「……場数こなしてると、もうワクワクなんてしなくなる。仕事になれば毎日毎日、淡々と土に向き合うだけだ。なんにもない砂漠の真ん中とかで掘ってると、場所も時間軸も広すぎて、だんだん自分がどこにいるかも分からなくなる。もうこうようなんて、しない」

「でも、何か見つかれば興奮するだろ?」

「別に。喜ぶのは学者の先生だけだ。誰が掘っても一緒だし、誰が掘っても見つかる時は見つかるんだ。別に俺じゃなくても」

 忍の無量を見つめる目は、どこかさびしそうだ。無量は右手を見下ろし、

「俺が見つけた、俺が発見したんだ、なんて喜んだり、誇りに思ったりするのは、勘違いだからやめろって、いつも自分に言い聞かせてる。この右手に向かって」

「………。おじいさんのことがあったせいだね」

 ああ、と答えて、無量は切なそうな顔をした。

「俺が俺が……なんて気持ちがあるから、間違いを犯す。誰が見つけても一緒だって思えば、功名心に駆られることもない。だから、ワクワクすんのはやめたんだ」

 そうかな、と忍が柔らかい風でも吹いたようにつぶやいた。

「働いて収入を得るだけなら、もっと楽な仕事が幾らでもある。おまえがこの仕事をやめられないのは、やっぱりどこかにワクワクする気持ちがあるからじゃないのか。過去の遺物を掘り当てたときの快感が忘れられないから、続けられるんじゃないのか」

「……ちがう。他に取り柄がないだけだ」

「十五の頃からずっと遺物レリツク・発掘師デイガーをやってる人間が、発掘は楽しくない、なんて言っても、誰も信じないと思うけどね」

 無量は心の奥を見透かされた気がした。顔をあげると、忍は微笑んでいる。

「〝大切なものが土の中で待ってる〟んじゃないのか?」

「………」

「自分に噓つく必要は、ないんじゃないかな。おじいさんはおじいさん、おまえはおまえだ。無量。おまえは、たとえ、おじいさんのような立場に追い込まれても、絶対に道を踏み外すことはないよ」

「忍……」

「周りから色々言われてつらかったろ。泣き虫だったのに、強くなったな。無量」

 いたわるようなまなしを向けられて、無量はとうとう忍への疑惑を口に出せなくなってしまった。

 忍はいつもそうだった。小さい頃から、引っ込み思案でおどおどしていた無量を、丸ごと肯定して、自信を与えてくれた。

 離れて暮らしている間も、心のどこかにはずっと忍の面影があった。一番つらかった時にそばにいて欲しかったのは誰かと言えば、迷わず忍だと答える。誰より慕う兄のような存在だった。だが忍の父親と自分の祖父との間に起きた事件を思えば、忍に距離を置かれるのも仕方ないとも思えた。相良悦史を恨みこそしなかったが、「悪行を告発された男の家族」である自分に、身の置きどころのなさを感じもした。世間に責め立てられ、後ろ指をさされ、悪夢のような日々だったが、だからこそ、その「元凶」でもある相良家で起きた火事の報を受けた時は、無量も、祖父のしわざと思い込んで心の底から恐ろしくなったものだ。

 火事が起きた時間、祖父には警察も認める確かなアリバイがあったとはいえ、その疑惑は、無量の胸の奥に長くくすぶり続けて消えなかった。相良家の不幸は祖父の呪いではなかったかと。祖父の胸中にあるであろうかいさいを想像して、子供心にぞっとした。自分たちの呪いがそうさせたのではないか。そう疑って、恐ろしかった。

 忍の悲嘆や恨みに触れるのも怖くて、慰めることもできず、気まずいまま別れた。そんな過去があったからこそ、忍と再会して、忍が屈託なく笑いかけてきてくれたのが、心の底からうれしかったのだ。

 暗い時間を飛び越えられた自分たちが、嬉しかった。

 忍が育ててくれたものが、今の自分の根底にあって、心の傷ときつこうしあおうとするように支えてくれているのが、無量にはわかる。

 その忍が殺人犯だなんて……、思いたくない。

 けれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る