第四章 龍の子供たち⑤

    *


 萌絵はその頃、ホテルの部屋にいた。すでにパジャマ姿になって、先程から自前のノートパソコンをインターネットにつないでいる。突然ドアを激しくたたく音がして、飛び上がるほど驚いた。ドアスコープを覗くと、無量がいるではないか。慌てて開けた。

「さ、西原くん。どうしたの? こんな時間に」

 すると、無量は大きくあんの息をつき、空気が抜けた風船のように壁にもたれかかってしまった。

「……んだよ。いんじゃねーか。なんで電話に出ねんだよ」

 電話? と萌絵が室内に戻り、カバンから携帯電話を取りだした。

「おに入ってる間に電池が切れたみたい……」

「気ィ抜ける奴だな。入っていいか」

「ええっ? あ、うん。ちょ、ちょっと待って」

 慌てて脱ぎ散らかした服をベッドの中へ隠し、フリースを羽織った。部屋に入った無量は、椅子に座り込んで脱力している。息が荒いところを見ると、走ってきたのか。

「こんな時間にどうしたの?」

「妙な連中に絡まれた。〈上秦琥珀〉の在処ありかを訊かれた」

 手荒い真似をされたので、萌絵の身にも危険が迫るのではないかと、すぐに電話をかけたが、いっこうに出ないので、慌てて駆けつけた、というわけだ。萌絵は感激して、

「西原くん、ホントはとっても……ッ」

「図に乗んな。こいつを見ろ」

 無量が机に置いたのは、写真だ。

 写っているのは、発掘現場で作業中の無量だった。近くには萌絵もいる。隠し撮りされたもののようだ。

「仲間らしい男のポケットから抜き取った」

 ほんのわずかな一瞬でポケットの中身を抜き取った無量の手技も見事なものだが、明らかにふたりがマークされていると知れる決定的な物証だ。

「いつ撮られたんだろ」

「トレンチの幅から見て、三日目かそれ以降だろう」

「最初の鏡が出た翌日? 確かに広報の人とか、たくさん来てたけど」

「右側にちらっとキリン(背の高い折り畳み式脚立)が写ってる。トレンチ撮影の時に使われたヤツだ。このポジションにあったのは、四日目の午後」

「それ、相良さんが来た日のこと? 隠し撮りしたのは相良さんかもしれない?」

 無量が言いたかったのは、それだった。文化庁への報告という名目で、忍もたくさん写真を撮っていた。忍が、撮った写真をさっきの男に渡したというのか。

「顔は見た?」

「直接手ぇ出してきたガタイのいい男のほうは顔隠してたから、イマイチ分からないが、この写真持ってたコートの男の顔は半分だけ見た。やっぱり覚えのない顔だったが、ひとつだけ気になることがある。……匂いだ」

「匂い?」

「腕摑まれた時、ほんのかすかだが、線香みたいな匂いがした。どこかでいだ覚えがあると思ったら、こないだの朝、現場に来た眼鏡の男だ。同じ匂いがした」

 萌絵たちが龍禅寺屋敷を訪れた日の朝、発掘現場にいた不審な中年男。どう見てもビジネスマン風だった。高そうなスーツを着てインテリっぽい眼鏡をかけ、黒塗りの高級車で乗り付けて、まだ作業も始まる前の上秦古墳を眺めていた。

「それで思い出した。あの朝の眼鏡、どこかで見た覚えがあると思ったら、三村サンの通夜にも来てた奴だ」

 やはり黒塗りの高級車で乗り付けて、焼香だけして、三分と葬儀場にはいなかった。高そうな喪服を着こなした姿がやけに目をいて、その上いやに慌ただしかったので、印象に残っていた。

「じゃあ、三村教授のお知り合い?」

 無縁でないことは確かだ。参列していたなら会葬者名簿に名前があるはず。大きな手がかりだ。

 萌絵はそれより無量の身の安全が気がかりだ。実力行使してくるような連中に狙われていると分かったら、心配で、おちおち一人歩きなど、させられないではないか。

「私、明日あしたからボディガードしようか?」

「は? なんであんたみたいな女に用心棒されなきゃなんない」

「これでも私……あっ。そうだ。ちょっとこれ見て。ネット調べてて見つけたんだけど」

 ノートパソコンの画面には、どこかの博物館のHPがある。画像が並んでいた。

「見て。ほら、古代文字。沖縄の県立博物館に古代文字の刻まれた石版があるみたい」

 ガラスケースの中に岩の一部と思われるものが収蔵されていて、記号のようなものが刻まれている。線刻文字の石版だった。文字とも記号ともつかぬ幾何学形のものが彫られているが、確かに上秦から出た画文帯神獣鏡の文様とも似ている。

「あとね。緑色はくも、沖縄にあるちやたん遺跡で見つかってる。ほら、ここ」

 北谷遺跡は与那国同様、海底遺跡のひとつと言われているものだ。こちらは沖縄本島にあり、水深五~十メートルほどの場所にピラミッド型の巨石遺構らしきものが存在する。何らかの原因で急速に沈降して、海に沈んだようだが、そこで見つかった石棺内に緑色琥珀が副葬されていたという。

「築造年代は二千二百年から千五百年前くらいだって」

「ずいぶんおおざっぱだな。七百年も開きがあるぞ。下手したら紀元前かよ」

「でも三世紀前半くらいまでは陸上にあったみたい。沖縄といったらグスク(城)だけど、これもそういうやつかな。上秦の年代ともギリギリ合うんじゃないかな」

 つまり上秦で見つかった緑色琥珀の成分が、沖縄の海底遺跡のものと一致して、産地がわかれば、確かに交易があったというような推測も成り立つ。

 無量はしばし難しい顔でモニターをにらんでいたが、不意にためいきをつくと、椅子から立ち上がった。

「なんで俺らがこんなの調べなきゃなんねんだよ」

「じゃあ、どうするの? 警察に言うの? このこと」

 黙り込む無量に、萌絵は畳みかけるように、

「首突っ込まないなら、全部警察に任せるしかないよ。相良さんのことも、さっきのことも、みんな言うの? 言っていいの?」

「落ち着け。俺が気になんのはさっきの男たちだ。琥珀玉を捜してた。研究室から消えたことも知ってた。どういうことだ?」

「三村教授を殺した犯人の他にも、『ほうらいうみすい』を狙ってた人がいるってこと?」

「犯人が、連中より先に琥珀玉を外へ持ち出してたって線が確定ならな。でもヤツらは俺が持ってるって思いこんでた」

「西原くんが持ってる……?」

「うん。俺が持ってるって三村サンから聞きだしたような口振りだった。でも俺は持ってない。これどういう意味だと思う?」

「三村教授は噓をついた?」

「忍が言ってた。〝琥珀玉は、犯人が持ち去った可能性もあるが、三村サン自身がどこかに隠した可能性もある〟って」

 萌絵の顔がみるみるこわばり始めた。つまり、犯人はまだ手に入れられていない。

 つまり、無量を狙った男たちは──。

「殺人犯の仲間? 犯人が教授を殺す前に直接聞き出した言葉だってこと……?」

 三村は犯人から「琥珀玉を渡せ」と迫られ、とつに無量の名を出したのかも知れない。

 萌絵はますます、ぞーっとしてしまった。

「け、けいさつに」

「まだ言えない」

「もういいよ。こわいよ」

「明日ちょっと神華大に行くから、一緒に来んなら八時にロビー集合な。……あと、それ、目の毒」

 振り返ると、掛け布団の下に隠したはずの衣服の山からブラだけが落ちている。「おおう」と叫んで慌ててベッドに押し込めた。

 顔をあげた時には、すでに無量は部屋を出ていった後だった。

「なんで神華大……?」


    *


 翌朝、萌絵は無量から言われた通り、八時にロビーで落ち合った。無量は発掘現場に遅刻の断りを入れて、駅には行かずバス停に向かった。神華大学に向かうためだ。

 大学の門をくぐるのは事件の日以来だ。すでに大学は休み期間で登校してくる学生の数はまばらだったが、二十一歳の無量がこうして紛れ込むと学生と区別がつかない。訪問したのは、調査員に出土品を見せてもらうという名目だった。三村研究室を訪れるのも、あの夜以来だ。現場はまだ事件の記憶が生々しい。

 だが、教授の部屋はだいぶ片づけられていて、あの時とは様変わりしていた。私物はすでに自宅に返されて、書棚の文献や資料だけが、当時のままだ。

 琥珀玉が収められていたはずのコンテナボックスは、そのまま部屋の隅に置かれていた。

「事件後、なくなってたのは、琥珀玉だけなんですね」

「ええ。本当にそれだけです」

 と答えたのは、調査員の長谷はせがわだ。三村研究室で助手を務めていた。

「他のてん箱(コンテナボックス)に紛れ込んだ可能性は?」

「いやあ、ないですね。上秦用はこれひとつでしたし、ここにある以外はセンターのほうですから」

「収蔵庫はありますか」

 無量が問いかけた。「ちょっと見せてもらいたいんすけど」

 収蔵庫は同じフロアの別室にあり、かぎ付きで、普段は開いていない。鍵を管理していたのは三村教授だった。部屋には引き出し式の棚が何列も並んでいて、整理された遺物は棚に、そうでないものは、コンテナボックスに積んだまま、奥に重ねられている。

「すごい……。これ全部出土品なんだ」

 萌絵は興味津々だ。無量はそのひとつひとつを、丹念に見て回った。

 棚の引き出しには、どうぞくいしくしろ、管玉や馬具の一部などが、よく整理されている。

 不思議なことだが、出土済みの遺物には、無量の右手もあまり反応しない。かくれんぼを終えた遺物は「今」にんでしまったのか、皆、よそゆき顔で、行儀よく陳列されている。

 無量がふと、何か、気配を感じたように、壁のほうを見た。

 右側の壁にコンテナボックスが積んである。

「これは?」

「あ、それは去年、飛鳥あすか遺跡から出た出土品です。官営工房の跡で金・銀・銅、ガラスや漆なんかも扱ってたみたいですね。原材料や未製品、小玉の鋳型なんかが入ってると思いますよ」

 無量は上のコンテナボックスをどけて、中をのぞき込んだ。こぶしだいのガラス原料石や、かつせき、ヒスイ原石などが、紙箱に分けられて収まっている。その中のひとつに目を留めた。

「あった」

「え?」

「上秦の琥珀だ。ほら」

 取りだして見せると、裏に「注記」がされている。上秦の名と日付が入っていた。

「あ! こんなところに!」

「木を隠すなら森に、ってやつ? へきぎよくやヒスイなんかと色が似てるから」

「どどどうして分かったの? ここにあるって!」

「三村サンはわざと隠したんだ」

 無量には経緯が読めてきた。

「三村サンは多分『蓬萊の海翡翠』を渡せって誰かに脅されてた。そいつに渡す前に俺に預けるつもりで電話かけてきたけど、俺が出なかったんであきらめた。時間なかったから、似た石が入ってるこのてん箱に紛れ込ませて隠したんだ」

 色味も姿も、一見よく似ているので、余程、鉱石を見慣れた人間でなければ、見分けなんかつかないだろう。

 三村は亀石に「西原くんをよこしてくれ」と名指しで伝言していた。無量なら見つけられると思ったのだろうか。

 無量は険しい顔つきになった。

「………。これ、産地知りたいんで、知り合いんとこで成分分析させてもらってもいいすか」

「はい。手続きしましょうか」

「お願いします。先方には俺から直接持ち込んで説明しときます」

 警察には、大学のほうから発見の報告をしてもらうことにした。

 でも、これでハッキリした。三村はやはり、この琥珀玉のせいで殺されたのだ。

 なんのために……?

 それを知るためには、やはり、疑惑の張本人に直接たずねてみるしかない。

 無量は決意を固めた。

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