第四章 龍の子供たち④

 鶴谷は腕組みをしながら、壁にもたれかかった。

「龍禅寺とは直接つながらなかったが、井奈波絡みの事業で、ちょっと気になるものがあった。海底遺跡と聞いて思い浮かべたのは与那国島だが、実は井奈波とも関係が深い」

「井奈波と与那国島? リゾート開発でもしてるとか?」

「いや。資源開発だ」

 萌絵たちは勿論、亀石も意表をつかれて、目を丸くしてしまう。

「去年の秋、沖縄トラフにおける海底熱水鉱床の資源開発に本格的な着手を表明した。資源開発会社を設立して、近々、鉱区申請も予定している。その中のひとつが、与那国近海だという情報が」

「ねっすい……こうしょう……?」

 海底火山域の熱水噴出孔付近に存在する、硫化物鉱床のことだ。鉄、銅、亜鉛などの重金属から、金、銀などの貴金属、そしてコバルト、ニッケル、ガリウム、バリウム、アンチモンなどといったをも含んでいると言い、埋蔵量の減りつつある陸上鉱床にかわる新たな採掘源として、最近にわかに注目を浴びている。特に鉱物資源のほとんど全てを輸入に頼っている日本では、海洋開発こそが将来的にも安定した資源供給の道だとして、ここ数年、国や民間が一体となって、着々と開発準備を進めている。

「ニュースか何かで、聞いたことがあります……」

「なにせ日本の排他的経済水域(EEZ)は国土の約十倍あるからね。大陸棚の延長が国連に通れば、さらに広い海域を開発できる上に、日本の周りには熱水鉱床がたくさんあって立地的にも恵まれてる。数では、先進国でも飛び抜けて多いんだ」

 将来、陸上の鉱物資源が枯渇しても、それをしのぐための新たなフロンティアとして、脚光を浴びているという。

「そうでなくとも、ここ最近、資源国がレアメタルの輸出を制限したり、囲い込みが強まってるからね。資源確保はどこも喫緊の問題だし、日本における解決策のひとつが、海底資源の開発というわけなんだよ」

 鶴谷の、女性にしては低いその声で解説されると、妙に説得力がある。

「だが、技術的な問題や環境への影響が未知数で、なかなか進んでない。その資源開発に名乗り出たのが、井奈波商事と井奈波マテリアル」

 こちらも一部上場の大企業で、世界各地に鉱山などを持っている。例の資源開発会社は(複数企業で出資しているが)これら井奈波グループの主導によるものだ。

「その鉱床に含まれるのは、主に銅や亜鉛などのコモンメタルで、陸上では考えられないほどの高品位高濃度であることから、こちらも期待されてるらしい。レアメタルにばかり目が行きがちだが、新興国のインフラ整備が増えれば、銅なんかの卑金属不足こそ、今後、確実に深刻になるからな」

「銅、か……」

 とつぶやいたのは、無量だった。「あっ」と萌絵が我に返り、

「そういえば、昨日、発掘したつぼの中にあったのも、オードー……」

「黄銅鉱。硫化物は、熱水鉱床で作られるし」

「どういうこと? あの石はやっぱり邪馬台国の交易品で、海底遺跡のあった与那国島で採れたってこと?」

「わからない。熱水鉱床は、深海にあって簡単には採掘できないし、いくらなんでも、突飛だと思うけど……」

 亀石が「何のことだ?」とたずねてきた。無量が語って聞かせると、亀石はますますげんそうな顔になった。鉱石が詰まった土器の出土は、いかにも奇妙だ。

「そいつは本当に副葬品なのか。かくらんがあったって言ったな。後世に埋めたものだっていう可能性は」

「ユンボで画文帯をひっかけたくらいですから、ないとも言えないスけど、ただ土の感じからすると、りゆうこんがみられたので、墳丘の盛り土自体が流れてた可能性が高いです。その後の調査で、副室の柱痕も出てきましたし、他にも幾つか、纒向と同じ、遠方からの搬入土器が見られましたから、当時の副葬品とみていいかと」

 無量は専門的な話に熱を帯びると、口調が変わる。ぞんざいだった言葉遣いが、急にめいせきになるのは、何かのスイッチが入った証拠だと、萌絵は気づいた。

「なるほど。特別な銅鏡を鋳造するための原材料を、古墳に副葬したってとこか」

「とはいえ千八百年も前の話です。鉱物ったって、出所も定かでない石ころですよ」

「そうだ。所長、昨日西原くんが掘り当てた鏡の画像です。見てください。ここにも古代文字らしきものが」

 萌絵が差し出したデジカメの画像と、三村が残した水中写真とを見比べた。

「ふーん。似てるなあ……」

「海底遺跡と関係あると思います?」

「そりゃわからん」

「『うみすい』に彫られてた文字とも似てるんです」

 と無量が言った。鉱石よりも気になるのは、それだった。

「なんかあるって思わないっすかね」

「なるほど。龍禅寺文書と一緒に、与那国のほうも、少し調べてみるか」

 そこへ「亀石さん。夕食の時間ですよ」と声があがり、女性看護師が食事のトレーを持って入ってきた。病棟は夕食の時間だった。

「あら。にぎやかですね。こちらで食べます? 談話室に行きます?」

「あのー、缶ビールとかはつきませんかねー」

「なに言ってるんですか。ここは病院ですよ」

 病院食の煮物の匂いに誘われて、萌絵の腹も鳴りだした。看護師がいなくなったのを見計らい、亀石が鶴谷に拝み出した。

「頼むッ。鶴ちゃん、鶴さま。ちっちゃい奴でいいから、コンビニでビール買ってきて」

「なに考えてるの。できるわけないでしょ。いい機会だから少し酒断ちしなさい」

「酒がないとメシがのど通らないのよ。な? 頼む。このとおり、お願い」

 駄々をこねられ、鶴谷は萌絵たちと顔を見合わせて、ためいきをついた。


「ったく、相変わらずだな。カメのやつ。あの女にして、この男アリだ」

 病棟を後にして、ロビーに降りるエレベーターの中で、鶴谷がしんらつな言葉を吐きながら、無量へ同情気味に告げた。

「おまえさんも、久しぶりに日本に帰ってきたのに、これじゃ気が休まらんだろう」

「いつものことスから。それより、鶴谷さん。ちょっと頼まれて欲しいことがあるんすけど」

 無量からの頼み事は珍しいので、鶴谷は驚いたようだった。無量は財布から一枚の名刺を取りだして「この男の履歴って調べられますか?」と訊ねた。萌絵が「あっ」と小さく声を発した。差し出したのは、相良忍の名刺だったのだ。

「文化庁の職員か……。まあ、できないことはないと思うが?」

「あと、このことは亀石サンにも言わないで欲しいんすけど」

 秘密は厳守する人間だと分かっているからこその頼み事だった。鶴谷は受け取った。

「……ひとつきたい。これは三村教授と何か関わりある人物か?」

「三十年前、三村サンと龍禅寺って奴が写った写真を撮影したのは、こいつの父親かもしれません。父親は十二年前に火事で死んでます。放火で」

 鶴谷はじっと無量を凝視して、その言葉に耳を傾けていたが、やがて「分かった」と名刺を胸ポケットに収めた。

「何かつかめたら、連絡する」

 鶴谷はタクシーに乗って帰っていった。

 てつく北風に吹かれながら、病院の車寄せで見送った萌絵が「いいの?」と無量に問いかける。無量はこくりとうなずいた。

「何かあるんなら、はっきりさせたほうがいい」


    *


 病院から戻って萌絵と別れた後も、無量はなんとなく気分が晴れず、そのまま一人、外に出た。モヤモヤした気持ちをもてあまし街中をパチンコ屋を探してうろついた。やっと見つけて、打っている間も、忍への疑惑が頭から離れず、色んな事をぐちゃぐちゃと考えているうちに、玉が尽きてしまった。

 閉店と共に帰路につく頃には、街の人通りも減っている。見上げた夜空に瞬くシリウスが、吐く息の白さにぼんやりにじんだ。電飾看板の下で携帯電話を取りだした。アドレス帳には、忍の電話番号が入っている。発信ボタンを押そうとしては躊躇ためらい、それを何度か繰り返しているうちに、繁華街に雪がちらつき始めた。どうりで冷え込むわけだ。

 もう今夜は帰ろう、と決めて、おとなしく歩き出した無量は、不意に、不穏な気配を察知した。暗い夜道の先に、男が立ちはだかっている。

「西原無量やな」

 自動販売機の明かりに照らされたその男は、フードを深くかぶり、夜だというのにサングラスをかけて、フェイスマスクで鼻まで覆い隠している。体つきは無量よりふた回りは大きく、格闘技系のスポーツで鍛えたと見えて、首が異様に太い。亀石の事件があったばかりだ。無量は内心警戒して、そうとは分からせずにさりげなく退路を探った。

「なんスか。あんた」

「上秦古墳から出たはくだまを持っとるやろ。どこにある」

「琥珀玉?」

「三村から渡されたはずや。どこにある」

 この男が言っているのは、古代文字が刻まれた〈上秦琥珀〉のことだ。「ほうらいの海翡翠」のことだ。三村教授が殺害された直後から行方不明になっている。

「なんで俺が持ってるって思うわけ?」

 答えない。無量は用心深く相手の出方をうかがいながら、

「琥珀玉なら、どっかいっちゃって、みんなで捜してるはずだけど?」

「んなことわかっとんのや。せやから訊いとるんやろ」

「だから、なんで三村サンが俺に渡したって思うわけ? つかそんなもん捜してどうすんの? あんたどっかの研究者?」

 目の前の男が、猛然と無量に襲いかかってきた。無量はとつに、足元へ転がっていた空き缶を男めがけてりつけた。空き缶は当たらなかったが、男がひるんだ一瞬の隙をつき、無量はきびすを返して走り出した。男が追ってくる。無量は更に狭い路地へと飛び込んだ。ポリバケツをひっくり返して追跡を妨害する。行く手に大通りの街灯が見えた。思わず立ち止まった。

 路地の出口に、別の男が立ちはだかっている。モスグリーンのコートを羽織る長身の男だ。えらく面長の異相で、帽子を深くかぶり、くちもとにはマスクをしている。そのマスクから白髪まじりのあごひげのぞいている。

 そうこうするうちに、追いついたフード男に力一杯、羽交い締めされた。

「琥珀玉はどこや」

 ひじの内側で喉をぎりぎりと絞め上げられる。たばこ臭い息を吐きながら、男は無量の耳元へと脅しかけた。

「緑の琥珀玉、三村からもろたやろ。すっとぼけるとタメならんぞ」

「……だから……しらねーってッ」

 無量は力を振り絞って、男の小指を逆にひねり返した。悲鳴とともに緩んだ腕から擦り抜け、喉仏めがけてありったけの力でひじてつをかました。男が動物みたいな声をあげて崩れた隙に、前方めがけて突進した。路地の先にはコートの男が立ちはだかる。擦り抜け様、腕をつかまれた。

 目と目があった。無量は、帽子のつばの下から、間近にその男の目元を見た。けんに小さなきずあとがあった。寒気がするほど暗い眼光が、無量の網膜に鋭く突き刺さった。ほんのせつだ。が、同時に無量の指先は、男のポケットに差し込まれている。

 腕を振り払って、無量は逃げた。男が追ってくる気配はなかった。


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