第四章 龍の子供たち③
*
奈良駅に着いた二人は、その足で、亀石の入院している病院に直行した。
三階の外科病棟を訪れると、何やら亀石の病室が騒がしい。
「もう、なんなのよ! 交通事故だなんて人を驚かせて! 死んじゃうんじゃないかって、
萌絵と無量は、ポカンとしてしまう。
茶髪を異様に盛った、化粧も衣装も派手めな女が、おんおん泣き崩れているではないか。弱り顔の亀石が、萌絵たちに気づいた。「なんですか、所長。これ」と問うと、
「ああ。この人、俺の別れた女房」
「はあ?」
「大体死なれたら困るのよ! まだ慰謝料だって払いきってもらってないんだから!」
「分かった。分かったって、
その女の名は
「なに? このコたち」
「うちの所員と発掘員。永倉萌絵と──」
「あら、無量ちゃん久しぶり。日本に帰ってきてたの?」
二人には面識がある。昔、美鈴がカメケンに出入りしていた時、何度か顔を合わせていた。だが「おっきくなったわねえ」とてんで子供扱いだ。萌絵が「ぷ」と笑うと、無量に
「それにしても、事故って、別れた女房呼ぶなんて……。ヒロキったら、そんなに心細かったの? もしかして、まだ私のこと愛してる?」
「そーじゃねー。呼んでもねえのに、そっちが勝手に来たんだろうが。用件はメールで送ったろう。あの画像の文書を解読して欲しかっただけだ」
そう。外見はどう見ても「年季の入ったキャバ嬢」な美鈴だが、実は大学の史料
「それなら、新幹線に乗ってる間に全部釈文しちゃったわよう。はい、これ」
とUSBメモリを渡す。マジかと亀石たちは目を
「初めて見るけど、面白い史料ね。もうちょっと時間をくれれば、写本した部分の大本になった文書を探してみることもできるのに」
「じゃ、そいつも頼む」
「一体なにを調べてるの? 皇孫が蓬萊山からやってきた、なんて珍説」
「蓬萊? 竜宮城じゃないんですか」
「ほほほ。可愛いこと言うのね、お嬢さん。蓬萊っていうのは中国の伝説に出てくる三神山のひとつよ。東の海の真ん中にあって仙人が住んでる、不老不死の霊山のこと。『史記』の『
史記と言えば、
「秦の始皇帝は、不老不死の薬を求めて、方士(仙術家)
どうやら龍禅寺為夫氏の勘違いだ。為夫氏は古文書自体には目を通しておらず、人づてに聞いたため、蓬萊伝説を竜宮伝説と取り違えたらしい。
「『蓬萊の
「あら、そっちが本命? 『蓬萊から船に乗って日向にやってきたニニギノミコトの所持品』みたいに書かれてあったけど。アマテラスから託された皇孫の
間違いない。三村が言っていた「海翡翠」の出所は、やはり龍禅寺文書だ。
そこに「海翡翠」は緑色琥珀のことである、とも記されていたのか?
三村教授は、なにを根拠に「海翡翠」があの琥珀で、上秦古墳から出ると予測できたのか。
「それより、早く退院して、
「人のこと、ちっとも怪我人だと思ってねえな。全治一ヶ月の大怪我なんですけど」
「これを機にヨリ戻しちゃう? 私が必要だって、よーく分かったんじゃない?」
「おい、はなせって。土足でベッドに乗るな」
「なによ。照れることないじゃない」
「誰がこんなイタイ
「ほほう……。思ったより元気そうじゃないか」
入口のほうから、別の女の声があがった。
振り返ると、紺のパンツスーツに身を包んだ背の高い女がひとり。
年齢は亀石より、やや下か。黒髪のショートボブに、細身フレームの眼鏡をかけ、隙もなく立つ姿はいかにも
「来たか。
そう呼ばれた女の名は、鶴谷
亀石の古い友人だ。割って入ったのは、美鈴だった。
「ちょっちょっちょ、なに、なんなの。あんたが呼んだの? ヒロキ」
「俺が呼んだ。それがどーした」
「あたしを呼ばないで、なんでこの女が呼ばれるわけ?」
「私は、依頼されていた調査の報告に来ただけだが?」
鶴谷という女、きびきびした
「そう、泥棒猫がのこのこやってきたってワケ。私たちが離婚したって聞きつけて、内心、しめしめって思ってるんでしょ。おあいにく。ヒロキはまだ私に未練があるみたい」
「慰謝料で相変わらずブランドバッグでも買い
「あんたみたいな堅物から、私の人生の喜びにケチつけられたくないわね」
「いまだにそのバブル脳じゃ、再婚相手も見つからんぞ」
「一度も男からプロポーズもされたことない干物女に言われたくありませんー」
水と油とはこのことだ。
「あらやだ。もうこんな時間? 友達と
捨てぜりふを残して、美鈴はブランドバッグを振り回しながら帰っていってしまった。本当に心配していたかどうかも疑わしい。どうせ関西で遊ぶための口実だろうと、亀石は肩を
「それより紹介しなきゃな。こっちは鶴谷暁実。フリージャーナリストやってる」
「お久しぶりです。鶴谷さん」
「元気そうだな。無量」
こちらも知り合いのようだ。鶴谷は、雑誌やWebなど様々な媒体に記事を寄せることを
「永倉萌絵です。はじめまして」
「鶴谷です」
話す声の抑えめなトーンが、ベテランの女性キャスターみたいだ。消えた〈上秦
「経緯はお宅の所員から聞いたぞ。全く。相手をよく調べもせずに会いになど行くから、そういう目に遭うんだ」
「悪かったな。後先考えなくて」
「龍禅寺雅信が何者かくらい、我々、業界の人間だったら、誰だって知ってる」
鶴谷は
「龍禅寺雅信は、あの
あっ! と亀石が声をあげた。萌絵も「井奈波商事」の名前くらいは知っている。有名な総合商社だ。東証一部にも上場して、資源関連から日用品の物販に至るまであらゆるものを取り扱っている。取引先も世界各国だ。萌絵の父親もそういえば、先般のリーマン・ショックで株価が下がったところを、へそくりをはたいて、ここぞと買い、そこそこ
あの大名屋敷みたいな豪邸も、それならば納得だ。ただの旧家ではないと思ったが、日本でも指折りの大手総合商社、その創業者一族だったのだ。
「尤も、創業者一族はとっくに経営からは手を引いて、今は大株主としてかろうじて名を残しているのみだがな。雅信という人物も、滅多に表舞台には出てこなかったが、経済界では長年、その言葉がちょっとした影響力を持つような人物だった。……ただ、その龍禅寺には昔から少し不気味な噂があってな」
「不気味な、噂?」
「一見、都市伝説のような
無量も、目を
「龍の……子供たち」
「ああ。日本中から優秀な子供たちを集めてきて、養子とし、自らのもとで直接育成するというものだ。子供たちにはただで最高レベルの教育を受けさせ、井奈波グループの経営者は
人間教育を家訓の柱とする一族らしく、才能を見いだされた子供にはそれがどんな分野であれ、とことん金を注ぎ込んで一級のスペシャリストに育て上げるという。研究者になった『龍の子供たち』の中には、ノーベル賞クラスの功績をあげている者もいるのだとか。厳選された者たちが、五十社を下らない井奈波グループのトップや、現場の最前線に立っていて、それぞれの企業で
だが中には育成途中で期待外れと見限られる者もいて、そういう者は容赦なく切り捨てられる。養子同士の競争も激しく、恐ろしくシビアな集団なのだという。脱落する者も少なくないが、脱落者はゴミ以下の扱いを受けると専らの噂だ。
それゆえに
「私も昔、『龍の子供たち』のひとりと噂される高級官僚に取材を試みたことがあったが、見事にはぐらかされた上に記事ごと
「まるで秘密結社だな。なるほど……。そんな一癖も二癖もありそうな一族に、俺は無防備で体当たりしちまったわけか」
出版社に圧力をかけて記事を潰すくらい造作もない相手だ。
「しかし、そうまでして守りたい秘密が、三村さんの死にはあるってことだろ。ますます気になるな」
「今度の件、あるだけの材料を手がかりに、少し私なりに調べてみた」
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