第四章 龍の子供たち③

    *


 奈良駅に着いた二人は、その足で、亀石の入院している病院に直行した。

 三階の外科病棟を訪れると、何やら亀石の病室が騒がしい。のぞき込むと、ベッドの上の亀石に見慣れぬ女がすがりついている。

「もう、なんなのよ! 交通事故だなんて人を驚かせて! 死んじゃうんじゃないかって、ものすごい心配したんだから!」

 萌絵と無量は、ポカンとしてしまう。

 茶髪を異様に盛った、化粧も衣装も派手めな女が、おんおん泣き崩れているではないか。弱り顔の亀石が、萌絵たちに気づいた。「なんですか、所長。これ」と問うと、

「ああ。この人、俺の別れた女房」

「はあ?」

「大体死なれたら困るのよ! まだ慰謝料だって払いきってもらってないんだから!」

「分かった。分かったって、すず。いいから落ち着け。病院だぞ」

 その女の名はたかざき美鈴。見かけは異様に若いが、年齢は亀石と同じ。去年離婚したばかりの亀石の元・妻だ。交通事故の知らせを聞いて駆けつけてきたところだった。若作りをしているが、横に張ったしりや肌の具合は、年齢を隠せない。萌絵たちに気づくと、噓のようにケロリと泣きやんだ。

「なに? このコたち」

「うちの所員と発掘員。永倉萌絵と──」

「あら、無量ちゃん久しぶり。日本に帰ってきてたの?」

 二人には面識がある。昔、美鈴がカメケンに出入りしていた時、何度か顔を合わせていた。だが「おっきくなったわねえ」とてんで子供扱いだ。萌絵が「ぷ」と笑うと、無量ににらまれた。

「それにしても、事故って、別れた女房呼ぶなんて……。ヒロキったら、そんなに心細かったの? もしかして、まだ私のこと愛してる?」

「そーじゃねー。呼んでもねえのに、そっちが勝手に来たんだろうが。用件はメールで送ったろう。あの画像の文書を解読して欲しかっただけだ」

 そう。外見はどう見ても「年季の入ったキャバ嬢」な美鈴だが、実は大学の史料へんさんじよに勤める研究員、というお堅い肩書きの持ち主だ。古文書を読むのはお手の物だ。亀石は龍禅寺文書の解読を美鈴に依頼していたのだ。

「それなら、新幹線に乗ってる間に全部釈文しちゃったわよう。はい、これ」

 とUSBメモリを渡す。マジかと亀石たちは目をいた。みみずがのたくったような草書が、規則正しい常用漢字のかいしよに置き換えられて、ご丁寧に読み下し文のデータまで入っている。しかも「現代語訳もするならオプション料金払ってね」とがめつい。

「初めて見るけど、面白い史料ね。もうちょっと時間をくれれば、写本した部分の大本になった文書を探してみることもできるのに」

「じゃ、そいつも頼む」

「一体なにを調べてるの? 皇孫が蓬萊山からやってきた、なんて珍説」

「蓬萊? 竜宮城じゃないんですか」

「ほほほ。可愛いこと言うのね、お嬢さん。蓬萊っていうのは中国の伝説に出てくる三神山のひとつよ。東の海の真ん中にあって仙人が住んでる、不老不死の霊山のこと。『史記』の『しんこうほん』にも記されてるのよ」

 史記と言えば、せんが記した有名な中国の歴史書だ。こうていから始まる五帝、いん、周、しんを経て、漢のていに至るまで約二千五百年分の歴史を記し、歴代王朝の正史の規範とされた。

「秦の始皇帝は、不老不死の薬を求めて、方士(仙術家)じよふくに命じて、東海の三神山(蓬萊山・ほうじよう山・えいしゆう山)に船で向かわせた……って話。その蓬萊山は、ぼつかいにある島だって言われてるんだけどね」

 どうやら龍禅寺為夫氏の勘違いだ。為夫氏は古文書自体には目を通しておらず、人づてに聞いたため、蓬萊伝説を竜宮伝説と取り違えたらしい。

「『蓬萊のうみすい』について何か記述はあったか?」

「あら、そっちが本命? 『蓬萊から船に乗って日向にやってきたニニギノミコトの所持品』みたいに書かれてあったけど。アマテラスから託された皇孫のあかしが、海翡翠、なんて聞いたことないわよね。だいたいニニギノミコトが託されたのは、三種の神器でしょ?」

 間違いない。三村が言っていた「海翡翠」の出所は、やはり龍禅寺文書だ。

 そこに「海翡翠」は緑色琥珀のことである、とも記されていたのか?

 三村教授は、なにを根拠に「海翡翠」があの琥珀で、上秦古墳から出ると予測できたのか。

「それより、早く退院して、どうとんぼりで食い倒れしましょうよ」

「人のこと、ちっとも怪我人だと思ってねえな。全治一ヶ月の大怪我なんですけど」

「これを機にヨリ戻しちゃう? 私が必要だって、よーく分かったんじゃない?」

「おい、はなせって。土足でベッドに乗るな」

「なによ。照れることないじゃない」

「誰がこんなイタイかつこうのオバハン相手に照れるかっ」

「ほほう……。思ったより元気そうじゃないか」

 入口のほうから、別の女の声があがった。

 振り返ると、紺のパンツスーツに身を包んだ背の高い女がひとり。

 年齢は亀石より、やや下か。黒髪のショートボブに、細身フレームの眼鏡をかけ、隙もなく立つ姿はいかにもしく、見るからに「頭の切れる女」だ。

「来たか。つる

 そう呼ばれた女の名は、鶴谷あけ

 亀石の古い友人だ。割って入ったのは、美鈴だった。

「ちょっちょっちょ、なに、なんなの。あんたが呼んだの? ヒロキ」

「俺が呼んだ。それがどーした」

「あたしを呼ばないで、なんでこの女が呼ばれるわけ?」

「私は、依頼されていた調査の報告に来ただけだが?」

 鶴谷という女、きびきびしたしやべり方からして美鈴とは対照的で、色気こそないが、知性で武装した女の妙な威圧感がある。

「そう、泥棒猫がのこのこやってきたってワケ。私たちが離婚したって聞きつけて、内心、しめしめって思ってるんでしょ。おあいにく。ヒロキはまだ私に未練があるみたい」

「慰謝料で相変わらずブランドバッグでも買いあさってるのか」

「あんたみたいな堅物から、私の人生の喜びにケチつけられたくないわね」

「いまだにそのバブル脳じゃ、再婚相手も見つからんぞ」

「一度も男からプロポーズもされたことない干物女に言われたくありませんー」

 水と油とはこのことだ。もつとも、鶴谷が全く相手にせず、暖簾のれんに腕押しなので、美鈴は機嫌を損ねて、あっちを向いてしまった。

「あらやだ。もうこんな時間? 友達とうめで食事の約束してんのよね。もう行かなきゃ。じゃあね、ヒロキ。せいぜい日頃の悪行を反省して養生なさい」

 捨てぜりふを残して、美鈴はブランドバッグを振り回しながら帰っていってしまった。本当に心配していたかどうかも疑わしい。どうせ関西で遊ぶための口実だろうと、亀石は肩をすくめた。

「それより紹介しなきゃな。こっちは鶴谷暁実。フリージャーナリストやってる」

「お久しぶりです。鶴谷さん」

「元気そうだな。無量」

 こちらも知り合いのようだ。鶴谷は、雑誌やWebなど様々な媒体に記事を寄せることを生業なりわいにしている。国際情勢から国内の政治経済といった時事問題全般を扱い、幅広い分野で活躍している硬派な気鋭ジャーナリストだった。考古学業界ばかりではない亀石の顔の広さには、萌絵もつくづく脱帽だ。

「永倉萌絵です。はじめまして」

「鶴谷です」

 話す声の抑えめなトーンが、ベテランの女性キャスターみたいだ。消えた〈上秦はく〉の行方と、今度の事件の真相を探るべく、亀石がわざわざ呼んだのだ。鶴谷は亀石を振り返り、

「経緯はお宅の所員から聞いたぞ。全く。相手をよく調べもせずに会いになど行くから、そういう目に遭うんだ」

「悪かったな。後先考えなくて」

「龍禅寺雅信が何者かくらい、我々、業界の人間だったら、誰だって知ってる」

 鶴谷はあきれ口調で言った。

「龍禅寺雅信は、あの商事の創業者の孫だ」

 あっ! と亀石が声をあげた。萌絵も「井奈波商事」の名前くらいは知っている。有名な総合商社だ。東証一部にも上場して、資源関連から日用品の物販に至るまであらゆるものを取り扱っている。取引先も世界各国だ。萌絵の父親もそういえば、先般のリーマン・ショックで株価が下がったところを、へそくりをはたいて、ここぞと買い、そこそこもうけてゴルフセットを買っていた。あの「井奈波商事」か。どうりで。

 あの大名屋敷みたいな豪邸も、それならば納得だ。ただの旧家ではないと思ったが、日本でも指折りの大手総合商社、その創業者一族だったのだ。

「尤も、創業者一族はとっくに経営からは手を引いて、今は大株主としてかろうじて名を残しているのみだがな。雅信という人物も、滅多に表舞台には出てこなかったが、経済界では長年、その言葉がちょっとした影響力を持つような人物だった。……ただ、その龍禅寺には昔から少し不気味な噂があってな」

「不気味な、噂?」

「一見、都市伝説のようなたぐいのものだが。龍禅寺の当主は、ある特異なやり方で、創業者一族の手となり足となる人材を育て、グループ内のみならず、国政や行政の要所要所に送り込んでいるというやつだ。『りゆうの子供たち』とか呼ばれている」

 無量も、目をみはった。

「龍の……子供たち」

「ああ。日本中から優秀な子供たちを集めてきて、養子とし、自らのもとで直接育成するというものだ。子供たちにはただで最高レベルの教育を受けさせ、井奈波グループの経営者はもちろん、高級官僚から政治家に至るまで、多数輩出しているという」

 人間教育を家訓の柱とする一族らしく、才能を見いだされた子供にはそれがどんな分野であれ、とことん金を注ぎ込んで一級のスペシャリストに育て上げるという。研究者になった『龍の子供たち』の中には、ノーベル賞クラスの功績をあげている者もいるのだとか。厳選された者たちが、五十社を下らない井奈波グループのトップや、現場の最前線に立っていて、それぞれの企業でばくだいな収益を生み出しているという。

 だが中には育成途中で期待外れと見限られる者もいて、そういう者は容赦なく切り捨てられる。養子同士の競争も激しく、恐ろしくシビアな集団なのだという。脱落する者も少なくないが、脱落者はゴミ以下の扱いを受けると専らの噂だ。

 それゆえにせつたくで育てあげられた者たちは、全員すこぶる優秀で、東大京大出身は当たり前。海外留学経験者も多数いて、しかも創業家への忠誠心が厚く、どんな状況においても、龍禅寺の意志を最優先として遂行する、というすさまじさだ。

「私も昔、『龍の子供たち』のひとりと噂される高級官僚に取材を試みたことがあったが、見事にはぐらかされた上に記事ごとつぶされた。以後、その出版社からの仕事依頼がぱたりと途絶えたくらいだ。その存在は、誰も表だっては証明できないが、確かに存在すると私は確信している」

「まるで秘密結社だな。なるほど……。そんな一癖も二癖もありそうな一族に、俺は無防備で体当たりしちまったわけか」

 出版社に圧力をかけて記事を潰すくらい造作もない相手だ。ぎ回る人間を排除するためには、ラフな手を使うことも辞さない。亀石の「事故」も、その為の「脅し」か?

「しかし、そうまでして守りたい秘密が、三村さんの死にはあるってことだろ。ますます気になるな」

「今度の件、あるだけの材料を手がかりに、少し私なりに調べてみた」

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