第四章 龍の子供たち②

    *


 翌日、無量はいつも通り発掘現場に向かったが、萌絵は亀石から頼まれた用事を済ませるため、病院に寄り、その足で、橿原にある県立の考古学研究所に向かった。出土鏡の専門家がいるとのことで、昨日、出土した画文帯神獣鏡の調査が行われている。

 土を落とされた鏡は、やはり驚くほど美しい。玉虫の羽を思わせる鏡面は、きらきらとよく輝き、メタリックめいた質感だ。千七、八百年は土に埋もれていただろうに、腐食は軽微で、青銅器特有のさびに埋もれることなく、輝きがせたように見えない。

「とりあえず、X線回折分析法と電子顕微鏡による成分解析を行います。土器内の石も同様に。同定結果が出るまで数日かかりますが、プレス発表はそれからに」

 そうでなくても今度の発掘は、外野が騒がしい。る程度データが出揃ってからのほうがよい、との判断だ。

「画文帯神獣鏡と思っていましたが、内側の彫刻がユニークですね。見てください。画文帯には、方格銘と呼ばれる漢字四文字の印鑑様のものが帯状に彫られているのですが、これは方格銘の部分に、判読不可能な象形文字が彫られてます。漢字の銘帯で文章が記される例もありますが、これはちょっと珍しい」

 本当だ。記号らしきものが帯状に刻まれている。萌絵には、どこかで見た覚えがあった。

 ただ、どこで見たのか、思い出せない。

「結果が出たら、お知らせしますよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 発掘現場に戻る電車に揺られながら、萌絵はデジカメに収めた出土鏡の画像を眺めていた。

 やっぱり思い出せない。

 もどかしい。

 なんだったかなあ、と画像をさかのぼるようにして見ていた萌絵は「あっ」と声をあげた。

「これだ!」

 幸い周りに客はいなかった。

 三村教授の遺品にあった古い水中写真だ。たまたまデジカメに収めてあった。

 岩刻文字の形と、鏡の記号が驚くほどよく似ている。

 三村教授の写真が、どこかの海底遺跡のものだとしたら、上秦古墳から出土した鏡や石も、海底遺跡に何かつながりがあるってこと? 三村教授はそれを探していたの?

 天皇家の先祖が、南方の海洋民出身だという学説を、三村教授は唱えていたという。

 出身地かどうかまでは分からないが、少なくとも、初期ヤマト王権の大王クラスの人間が、はるか南方の島(〝サビチ〟?)で用いられた古代文字の記された品物を所有していた、ということになる。

 時代の近いまきむく遺跡からは、日本各地の土器などが見つかっていて、当時の王権の交易範囲の広さをうかがわせるものだ、と徳永がレクチャーしてくれたが、この鏡と「蓬萊の海翡翠」も、そういう交易品のひとつだったのだろうか。

「しまった……。あたし、頭使うの苦手なんだった……」

 無量の意見を聞いてみようと思いながら、乗り換えのため大和八木駅で電車を降りた。

 ホームの階段をのぼる途中で、突然、前方から名前を呼ばれた。

 ドキッとして顔をあげると、向こうからやってきたのは相良忍ではないか。

 萌絵は固まってしまった。

「さ、相良さがらさん」

「奇遇ですね。橿原の研究所に行ってたのかな。僕もこれから行くところなんです。無量たちが出した鏡の洗浄作業は、もう終わってましたか」

「あ、はい。とってもきれいに」

 そう、と忍はニコニコしている。ひどく上機嫌だ。

「画文帯が見つかったとなると、いよいよ大王級のあかしになりますからね。邪馬台国の金印が出てきてもおかしくない。今日あたり、無量が掘り当ててしまうかもね」

 萌絵は緊張のあまり、まともに返事ができなかった。自分が忍を疑っていることを悟られないよう、必死に取り繕った。

「あ、あはは。そうですね。西原くんならペロッとやっちゃうかも」

「ワクワクしますね。上秦古墳で重要遺物を発見することが、三村教授の何よりの弔いになるんじゃないかな」

 萌絵は露骨にギクリとしてしまった。勘の鋭い忍は、その反応を見逃さない。忍ははしゃいだ気分を奥に引っ込めるようにして居住まいを改めると、急に真顔になり、

「永倉さんと無量は第一発見者だったんですよね。すみません。ちょっと不謹慎でした」

「い、いえ……そんなこと」

「何か見たんですか?」

 萌絵は心臓が飛び出るかと思った。おおでなく、息が止まった。

 忍は探るような眼になり、

「その時、あなた、何か見ましたか」

 萌絵はぶるぶると首を振った。それで精一杯だった。忍はひどくれいまなしで、くように萌絵の表情を凝視する。それはほんの一、二秒だったかもしれないが、萌絵には異様に長く感じられた。

「……ですよね。何か見ていたら、警察もとうに動いてるはずですよね」

 それは「もし目撃されていたら警察がとっくに自分に容疑をかけている」という意味か! と思い、萌絵は今すぐここから逃げ出したくなった。

「犯人早く見つかるといいですね」

「そ、そうですね……」

「じゃあ、僕はこれで」

 忍は階段を下りていった。すくみあがった萌絵は、金縛りから解放されたように、後も振り返らず、一目散に乗り換えホームへと走った。何か気づかれただろうか。自分が目撃していたこと。勘づかれただろうか。いや、あの現場から逃げ去った男が、本当に忍だったなら、忍のほうこそ萌絵に気づいていたかも知れない。

 こ、殺される……!

 電車に乗り込んだ後も、震えが止まらない。忍が後を追ってきているのではないかと、気が気ではなかった。そんなだから、発掘現場に辿たどり着いて、無量の顔を見たとき、思わず気が緩んで泣きっ面になった。

 うろたえる無量をよそに、萌絵は声をあげて泣き出してしまった。


    *


「……んだよ。いきなり泣き出すから、亀石サンの身に何かあったかってびびんだろーが」

 夕方、作業を終えて、帰りの電車に揺られながら、ドアにもたれていた無量があきれたようにためいきをついた。

「あれ絶対作業員さんたちから勘違いされたぞ。俺カンケーねーし」

「そんなこと言ったって、いきなり相良さんとバッタリだよ! マークされてんじゃないかって思うじゃん。怖かったよ。ホラーだよ」

「はいはい」

 窓の外にはひなびた風景が広がっている。二両編成の古いディーゼル車両は制服姿の学生でにぎやかだった。萌絵の抗議を聞き流しながら、無量はデジカメの画像に見入っている。昨日出土した画文帯神獣鏡と、三種類の謎の鉱石だ。

「あの石が入ってたつぼ自体も、なんか変わってて、徳永先生が大興奮してた。内側にうわぐすりみたいな加工がしてあって、中はほぼ完全密封状態だったとか」

「だろうな……。酸化とか少なかったし」

 鉱石の種類については、成分分析を待つまでもなく、無量は分かっているようだった。

「石のほうは、ひとつはおうどうこうはん銅鉱、もうひとつはらん銅鉱だ」

「オードーコーにランドーコー……?」

「黄銅鉱は、銅と鉄の硫化鉱物。銅をとるのに割とポピュラーな鉱石で、破断面が酸化すると、こんなふうににじいろに輝く。藍銅鉱は青の顔料なんかによく使われる。どっちも硫化銅」

 こんな知識がすらすら出てくるから、侮れない。元々、化石掘りだからというのもあるが、日々、地層や岩石と向き合っている発掘屋ならではだ。

「問題は、三つ目。ソーダ色のは……たぶん、水亜鉛銅鉱。青い部分は青鉛鉱、かな。白い部分は、せきえいか……りよう亜鉛鉱の白いやつか」

「鏡なんかとも関係ある?」

「鏡は青銅製で、青銅は、銅とすずの合金。銅は、自然銅が採れるのは珍しくて、フツーは硫化鉱物から抽出されるから、こいつも鏡なんかを造るための素材の一部かもな。でも壺に入れて古墳に収めるなんて珍しいんちゃう?」

「うーん。徳永先生もそんなこと言ってた……」

 副葬品として、鉱物を収めたためしは他になく、またそうする意図が、よく分からない。

「当時は珍重されてたって意味なのか、他に特別な意味があるのか。魔よけとか?」

「緑色はくと硫化銅の鉱石と画文帯神獣鏡……。邪馬台国と関係あったりするのかな? そうだ、西原くん、これ見て」

 と横から萌絵がデジカメの画面を拡大した。帯状に刻まれた方格銘の古代文字めいた文様を、無量に見せたかったのだ。「これは……」と言って無量も絶句した。

「例の水中写真にもあった、あれか?」

「そう。三村教授が探してたのもこれだったんじゃないかな。海底遺跡の古代文字が彫られた鏡」

 興奮する萌絵とは対照的に、無量は寡黙になってしまう。偶然か、それとも。

 しかも、あの写真を撮ったのは、忍の父親「相良悦史」かもしれないのだ。

 電車が大きく揺れた。ただそれだけで無量は心に揺さぶりをかけられた心地がする。一体、何がある。忍とこの古墳に、どんな関わりがあるというのか。

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