第三章 正倉院と緑の琥珀⑤

 相良忍が現場にやってきたのは、昼食時だった。今日は連れもおらず、ひとりだ。

「なんだ。もう食べ終わっちゃったのか。一緒に食べようと思ってたんだけど」

 忍の手にはコンビニ袋に入った柿の葉寿がある。スーツ姿は現場にそぐわないと学習したのか、今日は普段着だ。等身が高く大人びた容姿の忍だが、カジュアルなかつこうになると、ずいぶん年齢相応に見えてくる。

 道路側の土手に座り込んで、無量は忍が差し出したペットボトルの茶を受け取った。

「今日はマスコミも来てないみたいだな」

「作業員に取材してもネタが取れないと思ったんだろ。まだ奈良にいたんだ」

「ああ。東京には一回戻ったけどね。現場のことが気になって、少し上司に無理を言った。週末には帰るよ」

 というと、柿の葉にくるまれたさば寿司をほおばる。発掘現場には、今日はパワーショベルが入っている。トレンチを拡張するためだ。

「ここは深いの?」

「ああ。ユンボ入れた後もドカ掘りしまくらなきゃ。このへん結構地下水が出るから、冬とかきつい」

 青いホースがトレンチから伸びていて、ポンプで水出しをしている。トレンチの底には水がまっている。だから作業員は皆、長靴を履いている。

「図面見せてもらったよ。変更があったんだって?」

「上のトレンチのこと? 南北に延ばす予定だったんだけど、それより墓坑の真ん中から直交する設定にしてもらった」

「もらった? おまえが提案したのか?」

「ああ」

「その根拠は?」

「なんとなく」

「なんとなく、を採用したのか。あきれたな。三村教授は余程おまえを買ってたみたいだな。なんでそうしたんだ?」

「この古墳、ちょっと変わってる。なんかがけっぷちにあるどうくつみたい……」

「洞窟? どのへんが?」

「西側が海。鳥が巣作りそうな。お供えものするなら、たぶん、こっち側」

「よく分からないけど、そういえば三村教授も変わった古墳だとは言ってたな。帆立貝型の前方後円墳だが、接合部分の盛り土の高低差が極端で、周辺のまきむく型とも形状が明らかに違うと」

 無量の弱点は、人にうまく説明できないことだ。イメージは語れるのだが、論理立てた説明が上手にできないので、他人に伝わらないことがコンプレックスだった。学術的な調査で「なんとなく」は通用しない。勘やイメージだけでは説得力がない。それが研究者にはなれない理由だと、無量は打ち明けた。

「調査員さんとか頭いい人多いし、論理立てて反対されると、言い返せない……。俺、頭の回転のろいし。単に勉強不足かもだけど」

 がゆい思いをすることもしばしばだ。伝わらないのがもどかしくて「四の五の言わずに掘りゃいいんだよ」と爆発したくなるのを、ぐっとみ込んで、従う。チームで行う遺跡発掘より、個人でする化石発掘のほうが好きなのは、ひとえに自由が利くからだ。

 だが、忍はひたすら驚いている。

「すごいな、無量。やっぱり、おまえには分かるのか」

「だから、何となく……」

「俺達にはつかめないものも、おまえはちゃんとイメージで摑んでるんだ。それはすごいことだよ。やっぱり、おまえには宝物トレジヤー・発掘師デイガーの才能があるんだ」

 無量は目を見開いた。手放しで肯定してくれる忍の言葉が、不意に子供の頃の記憶を呼び戻した。懐かしい灯が胸にともるのを感じた。

「いいや、もっとだ。無量。この古墳にはまだ埋もれてる宝物があるに違いない。ここからがおまえの本領発揮だ」

「え……」

 その一言で、無量は現実に引き戻された。そしてうれしそうに寿司を食べる忍の横顔を見つめた。無量の胸によぎったのは、先程とは別の、何か、ざらりとした感触のする既視感だ。何だろう、今。誰かを思い出しかけたけど……。

「ここは美しい土地だな。大和やまと三山が見渡せて、東には三輪山──いにしえからのかん山。西にはじようざん──おおつのの伝説がある、死者のいく山。三輪山から太陽があがり、二上山に太陽が沈む。一日のうちに生と死がある。古代の人たちも、これと同じ景色を眺めてたんだな。彼らの死生観も、こんな景色から生まれたのかもしれないと思うと、感慨深いよ」

 忍は、風に吹かれてつぶやいた。

 その瞳は、「死者のいく山」だという二上山を見つめている。

 そういえば、誰かも二上山の話をしていたような……。

 ふと気づくと、無量の右肩は、隣に腰掛ける忍の左肩と触れ合っていた。思えば、火傷やけどを負った右手側に誰かが座るのを、無量が自然と許すのは珍しいことだった。

 それに、いくら友達でも普通はこんなに近く座らない。親しき仲でも一定の間隔は置くのに、まるで鳥が身を寄せ合うような、この距離感が、無量には懐かしい。子供の頃、よくおにぎりを持って近所の山に出かけた。小さな城跡があって、石垣や空堀が恰好の遊び場だった。雨に降られると、神社の軒下で寄り添うようにおにぎりを食べた。

 それが忍の癖なのだろう。心を許した幼なじみにはパーソナルスペースも極端に狭くなる。肩と肩とがぴたりくっついて、右肩から伝わってくる忍のぬくもりが妙にこそばゆく、むずがゆいような感じがしたけれど、そうしている時間は心地よかった。

「………。かわらないね。忍ちゃん」

 え? と忍が驚き、破顔した。

「やっと〝ちゃん〟付けしてくれたな。こいつめ」

「いや、そうじゃなくて……」

 髪をき混ぜられた無量は、忍の手を押しのけて、

「おまえ、俺と再会して『昔の自分に戻ったような気がする』って呟いてた。こうしてるおまえは今の〝本当の忍〟じゃないのか?」

 すると、忍が真顔になった。不思議な言い回しをした無量の問いかけの意図が、忍には理解できたのだ。口に運びかけた寿司を箱に戻して、

「おまえの眼に、俺は変わったように見える?」

 ──走り去った人影が、相良さんと似てた。

 萌絵の証言だ。

 無量はあの夜のことをたずねようとした。居酒屋で別れた後のアリバイを、忍に証明させるつもりだった。だがのどまで出かかって、吞み込んだ。忍が万が一、誤魔化すような反応を見せたら、と思うと、躊躇ためらいが先に立った。結局、自分は確かめるのが怖いのか。

 忍は真顔で遠くを眺めている。時折見せる、やけにぼうばくとしてとらえ処のない感じが、無量に言いようのない不安を抱かせた。

「………。そうだ、無量。なくなった例のはくだまはまだ見つからないんだって?」

「えっ? あ、うん」

「警察は何か手がかりを摑めたのかな」

「亀石サン宛に三村サンの遺言が見つかって、いま色々調べてるみたいだ」

 え? という顔を忍は、した。無量も「あっ」と口をふさいだが、あとのまつりだ。

「遺言? それってどんな?」

「ゆ、遺言じゃなくて伝言。大したことじゃないみたい。仕事の話」

「犯人に関することとかじゃ」

「そういうんじゃない。ただの業務連絡。琥珀玉は、犯人が持ち去ったんじゃないかって亀石サンが……」

「なんのために?」

「分からない。何かのついででなけりゃ、最初から琥珀玉を盗むのが目的だったのかもって。俺には、あんな石ころに、人ひとり殺す価値があるとは、思えないけど」

「心当たりはない?」

「なんの? 犯人の?」

「いや、琥珀玉の行方だよ」

「俺が持ってったとでも?」

「馬鹿。そういう意味じゃない。犯人が持ち去った可能性もあるが、三村教授自身がどこかにやった可能性もあるってことだよ」

 無量はげんな面もちで訊ねた。

「……なんで、そんなことくの」

「これでも一応、文化庁の職員だからね。紛失した文化財の行方を追うのは、仕事さ」

 まあ、そのとおりではあるのだが……。

 急に口が重くなった無量を見て、忍は慌てて「ごめん」と調子を変えた。

「蒸し返したみたいだ。まだショックだよな。おまえは三村さんの第一発見者だし」

「いや、へーき」

「なあ、無量。その右手はどうしたんだ? 永倉さんが火傷のあとがあるって……」

 無量は軽くドキッとして、ペットボトルを握る右手を見た。萌絵にはしっかりチェックされていたようだ。隠すものでもないが、進んで見せるものでもない。相手が忍なので余計に躊躇った無量だが、顔を見ると、真顔で心配している。

 やっぱり隠しておけないな、と彼は吐息した。心のどこかに、忍には知っていて欲しいという気持ちもあったのだろう。無量は観念したように、ゆっくりと手袋を外し始めた。

 今度は忍が息を吞む番だった。無惨な火傷痕で覆われた右手が、忍の前にさらされた。癒着を形成したこんせきも生々しい。度重なる皮膚移植のためか、肌は継ぎぎしたような色になり、手の甲は醜く盛り上がっている。

「ガキの頃、じーさんにやられた」

「おじいさんに? どういうこと? まさか」

「化石掘ってるところ、じーさんに見つかって。怒り狂ったじーさんに手ぇ摑まれて『こんな手焼いてやる』っつって、き火してた一斗缶にそのまま突っ込まされた」

 忍は絶句してしまった。

 無量があまりにさらりと言ったので、余計にどう答えていいのか、分からなかったのだろう。

 無量も多くは語らなかった。さらりと話したのは、そうでもしないと、二度と思い出したくない瞬間が、今にも記憶の扉を破って、生々しくほとばしりそうになるからだ。黙っていると、そうなりかけるので、慌てて気持ちを引き戻した。

「忍が引っ越してった後のことだ。あの時はもう、じーさん、まともじゃなかったしな」

「無量……。何て言ったらいいのか」

「これでもだいぶ動くようになったんだ。まだ左手ほど細かい作業はできないけど。今じゃ、左も利き手みたいに動かせる。ただ、こっちだけ、やけに敏感になっちゃって」

 無量はいたわるように右手をでた。

「ピリピリしびれるのはいつものことなんだけど、硬いものに触ってるのに、水みたいに感じたり針みたいだったり泥みたいだったり、熱くもないのに、触れないほど熱かったり、その逆だったり……。手っつか脳なんじゃね? って医者に言われて調べたけど、原因不明。刺激強すぎると、うっかり気絶しかけたりするもんで、物に触んのが怖かった時もあった。電化製品なんかも素手じゃ触れない。電磁波とかキツくて。だから手袋してる」

「そうだったのか……」

「何なんだろうな、これ。なんか自分の手じゃないカンジ。火傷が鬼の顔っぽいってよく言われるけど、マジで鬼の手借りてるみたいな」

 すると、忍がひどく思い詰めた様子で問いかけてきた。

「………。恨んでるかい? 無量。僕の父を」

 まさか、と無量は笑った。

「忍の父さんは正しいことしたんだ。誰かが告発しなかったら、じーさん、間違い重ね続けただろうし。恨んでなんかない」

「でも、そのせいで無量のおじいさんは……。おまえだって、こんな火傷を負わずに済んだのに」

 無量は笑みを消して、考え込むような顔になった。強がりをやめて、心の奥を凝視する。そんな表情だった。

「……確かに、から悪いことが続いたような気がするから、そうなる前に戻りたいって思うことはあるよ。でも、それとこれとは別」

「無量……」

「おまえんちの火事も、あの騒動の後だった。心ない奴らが、俺のじーさんがおまえの父さんに逆恨みして火ィつけたんじゃないか、なんて言ったりしてた。ガキだったし、もし本当にそうだったら、どうしようって怖くなって……おまえに声かけられなくて」

「違うよ。犯人は無量のおじいさんなんかじゃない」

 やけにきっぱりと忍は言いきった。

 無量が驚いたくらいだ。「犯人は」だと?

「まさか、あれは本当に放火だったのか……? 犯人捕まったのか? 知ってるのか!」

 すると、忍がポツリとつぶやいた。

「──〝ふくろくじゅ〟……」

「え?」

 よく聞き取れず訊き返したが、忍は答えず、遠い眼をして、小雪が舞う墳丘を見やった。低いうなりをあげながらパワーショベルが首を垂れ、土を掘り続けている。そのシルエットはまるで荒野で枯れ草をはむ馬のようだ。灰色の雲が、目の前に広がる大和盆地を覆っている。はるか西に望む二上山も、雪が降っているのか、その頂は見えなかった。

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