第三章 正倉院と緑の琥珀④
二人は「伝 正倉院」の琥珀をひき続き「調査」のためと称して預かると、謹んで「お
玄関先で、為夫氏の妻とばったり出くわした。髪をかっちりと結い上げ、薄紫の訪問着をきれいに着こなした和装美人だ。
「……このたびはご愁傷様にございました。せっかくお越しになられたのに、留守などしていて、大変失礼致しました」
笙子夫人が深々と頭を下げたので、亀石と萌絵もつられて深くお辞儀した。
為夫氏が経緯を語ると、笙子夫人はますます恐縮した。
「まあ、父の遺品までわざわざご丁寧に。痛み入ります。奥様には改めて、お悔やみのお手紙を、と思っていたところですのに……」
「お気持ちはもう充分に。ありがとうございました。それでは失礼します」
これ以上、長居して赤の他人とばれては困る。亀石は萌絵をつれてそそくさと龍禅寺邸を後にした。
岐阜から奈良に戻るため、
「天皇家の竜宮伝説か……。三村教授は南方海洋民説を唱えてたが、その根拠の一端は、どうやら例の龍禅寺文書とやらだな。元々は、東大寺や興福寺にあった古文書の写しだというから、年代的には、下手すると、奈良時代に近いものもあるぞ」
信長と東大寺の関係から、龍禅寺の先祖がその写しを得たのだろう。正倉院の宝物持ち出しは難しくても、蘭奢待を切り取った信長なら、古文書の写しぐらいはゴリ押しできたろう。
問題は、かつて正倉院にあったという「
「例の正倉院宝物の目録である『東大寺献物帳』ってやつは、五つに分けられるが、中でも有名なのは『国家珍宝帳』ってやつでな。亡くなった聖武天皇に代わって、妻の光明皇后が大仏開眼のために献納した宝物の目録なんだ」
その珍宝帳には、後に持ち出された宝物を「
「まあ、一口に正倉院の宝物っつっても、北倉・中倉・南倉合わせて九千点もあるしな」
「三村教授は、龍禅寺文書を解読するお手伝いをしてたんですよね。そのついでに『勾玉』のことも調べてって頼まれたんでしょうか」
「仮に、龍禅寺雅信から預かった琥珀勾玉を〈正倉院琥珀〉、上秦古墳から出た琥珀玉を〈上秦琥珀〉と呼ぶとしよう。〈上秦琥珀〉が出た時、三村さんは『
「できるんですか? 所長」
「できる友人にやらせる」
顔の広さだけが取り柄なのだ。
「もうひとつの問題は、あの水中写真だな。どうも海底遺跡くさいが」
「海底遺跡?」
「ああ。海中にある人工物と思われる巨石構造物のことだ。元々、陸にあったもんが、何千年か前に海面上昇で沈んだとか言われてる。日本で有名なのは
「でも、なんでそんな写真が、正倉院の琥珀と一緒に?」
「分からん。三村さんがスキューバ・ダイビングできるなんて話も聞いたことねえし。自分で撮ったとは思えないんだよな。やっぱ、人からのもらいもんかな」
「私は……雅信氏と一緒に写ってた洞窟の写真が気になります」
「サビチにて、のほうか……。サビチ。南の島みたいな名前だが、どこの国だ?」
「サガラって、誰なんでしょう」
萌絵が気になるのは、撮影者のほうだった。
「偶然だと思うんですけど……。文化庁の──西原くんの幼なじみの人も、サガラって言うんです」
ほんの偶然だろうか。そもそも珍しい名前だし、滅多には聞かない
萌絵が目撃した不審人物。薄暗い廊下で、コートの
殺伐とした
「おまえら、なんか隠してるだろ」
亀石からいきなり図星を指されて、萌絵は露骨に、ドキッとした。ハンドルを握る亀石は、横目に萌絵をちらっと見た。
「まだ何か警察に言ってないことがあるんじゃないのか?」
「い、いいえ。全部話しましたよ」
本当に? と念を押される。覗き込まれると見透かされそうで怖い。無量からは「誰にも言うな」と固く口止めされているのだ。だが、亀石は何か
「おまえら、なんか心当たりがあるみたいだが、間違っても、自分たちだけで確かめるような真似はすんなよ。相手は人を殺すような人間だ。わかってんだろうな」
萌絵はなんだか、胸騒ぎがしてならない。消えてしまった「蓬萊の海翡翠」。
発掘現場に現れた相良忍。
そもそも居酒屋で別れた後の、忍のアリバイは、誰にも分かっていないはずだ。
あの後すぐ、神華大学に向かったとするならば。
充分、犯行に及べる……。
萌絵は不安を鎮めるようにセーターの
遠い歴史の
竜宮城にいたような気分にさせる匂いだと、萌絵は思った。
*
発掘現場に朝方ちらついた雪は、幸い積もるほどではなかったが、時間が経つごとに気温がどんどん冷え込むようで、作業する身は難儀する。トレンチの中は底冷えし、軍手をしていても手がかじかむほどだ。
無量は手を休めて、土の壁の向こうを見やった。白い息に三輪山が
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