第三章 正倉院と緑の琥珀③

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 三村教授に「伝 正倉院」のはくまがたまを預けたと思われる「龍禅寺雅信氏」なる人物は、岐阜市内在住だった。

 カーナビに従って辿たどり着いた萌絵と亀石は、門前でポカンとなった。なんて立派な建て構えだ。かわら屋根の武家屋敷めいた門に「龍禅寺」と古い表札がかかっている。純和風のお屋敷といったたたずまいだ。お手伝いさんとおぼしき人が通用口から顔をのぞかせ、二人を中に招いた。

 中庭に面した板敷きの廊下が奥まで続く。年季が入ってあめいろになった木目の美しい柱や、凝った欄間彫刻、屋敷内にはどこもかぐわしい匂いが漂っている。香をいている。まるで高級旅館だ。あまりに上品な香りで、萌絵はつい足の運びもつつましやかになってしまう。

 手入れの行き届いた庭に面した和室が、応接間だった。床の間にはいかにも古色ゆかしい掛け軸と、ぜん焼と思われる花器に生け花、その傍らにはちょっと見にも高そうなてんもくぢやわんが置かれてある。やはりここにも香炉がある。うっすらと煙が立ち上り、部屋にはなんとも高貴でみやびな香りが漂っていた。今にも茶会が始まりそうだ。

 現れたのは、六十代くらいの白髪男性だ。Vネックのセーターを軽快に着こなした、おっとり顔の男性は、気さくに歓迎してくれた。てっきり和装のいかめしい老人が出てくるかと構えていた萌絵は、拍子抜けだ。男性は「雅信氏」の義理の息子で、龍禅寺ためと名乗った。

 龍禅寺雅信は二年前に他界していた。

「それは、失礼いたしました。私としたことが」

 亀石は「三村教授のおい」ということになっている。三村の悲報に際し、格別の親交があった龍禅寺氏には、喪主に代わって、生前の厚情に謝意を表するためやってきた、と。

 温厚な性格と見える為夫氏は、勘ぐることなく、素直に応じた。

「亡き義父ちち・雅信にかわって、告別式にも参列させていただきました。このたびのことは、まことに、お慰めする言葉も見つからず……」

「ご厚情に感謝致します。こちらが、生前、雅信氏から贈っていただいたお品物です。故人が生涯大切にしておりました。お見覚えなど、ございますか」

 為夫氏は老眼鏡をかけて、亀石が差し出した桐箱のはくだまを覗き込んだ。

「あいにく、現物をこの眼で見たのはこれが初めてですが、この琥珀玉のことは義父より昔、聞いたことがございます。家内ならば、見たことがあるかもしれません」

「奥様ですか」

「龍禅寺雅信の長女です。実は私、婿養子でして」

 多少薄くなった頭をいて、為夫氏ははにかんだ。これだけの屋敷の当主というには、少々頼りない印象なのは、そのせいか。

「ですが、義理の父・雅信が熱心な古美術のしゆうしゆう家だったことは存じております。この通り、屋敷にあるものは全て義父が集めたものばかり。こちらの茶碗は、てんしよう年間の天目です。じゆらくだいにあったものだとか」

 床の間に置かれている天目茶碗のことだ。萌絵は思わず背筋が伸びた。聚楽第ということは、もしやとよとみひでよしの遺品だったりするのだろうか……。

づちももやまですか。見事な唐物の天目茶碗ですね。こちらのお屋敷も、ずいぶん歴史を感じさせると言いますか……」

「はい。屋敷自体は百五十年かそこいらのもので、修繕に修繕を重ねて、今のように……。龍禅寺は元武家の血筋でして……」

「ほう。武家ですか。どちらにお仕えの」

「はい。元々は家の家臣であったと聞き及んでおります」

 萌絵は内心「ぎゃっ」と叫んだ。古墳時代はよく分からない萌絵でも、これはいやおうなく興奮する。信長だ、信長キタ! と内心、小躍りした。

「龍禅寺の家に伝わる逸話によれば、こちらの『伝 正倉院/琥珀玉』は、信長公より当家の主人に下賜されたもののひとつと聞いております。何でも信長公が東大寺の正倉院かららんじやたいを切り取った折、奉行として東大寺に赴いた一人が当家の主人であったと。この琥珀玉は蘭奢待と共に信長公のもとに持ち込まれたもので、元々はひとつの首飾り様のものでしたが、後に、その時の奉行を務めた重臣たちに、一つずつ切り分け、与えられたとのわれがございます」

 蘭奢待は言わずと知れた、天下一と名高い香木だ。最高級のきやで「おうじゆくこう」と記録に残されている。正倉院に収められ、歴史上ごく限られた人物のみが切り取ることができた、とのエピソードがある。

「正倉院の宝物を、ですか……。しかし、蘭奢待の切り取りはともかく、いくら信長といえど、正倉院の宝物を勝手に持ち出して家臣に与える、というのは、いささか難しいような……。あ、いえ、決して変な意味では」

「ははは。いいんです、いいんです。私も同じ考えです」

 勅封が施された正倉院は、かの信長といえど、自らの裁量では宝庫を開扉できず、朝廷に許可を求めねばならなかった。蘭奢待の切り取りには、武家のとうりようとしての権力誇示という意味があったが、信長にどれだけ力があっても、宝物の無断持ち出しなどというそんがおいそれとできる場所ではない。また正倉院宝物には「東大寺献物帳」という目録があり、これによって厳重に管理がされているから、万一、持ち出しがあれば、必ず記録されるはずだ。

「ですから、あくまで『伝』なわけです。はい」

 しんがんも真偽も不明なのだ。亀石と萌絵は、顔を見合わせた。

「まあ、『伝』にしても、そんな家宝のようなものを、なぜミム……いや叔父おじに?」

「何かの調査だったような。義父は大変歴史好きで、家に伝わる古文書の解読をライフワークとしておりました。そのお手伝いをしてくださったのが、三村先生です」

「古文書……ですか」

「龍禅寺文書と言って、一部は史料として県にも寄贈しています。家に残している分がありますので、よろしければ、御覧に入れましょうか」

 是非お願いします、と亀石は頭を下げた。為夫氏は一度奥に引っ込むと、その古文書とやらを持って戻ってきた。桐箱入りで、手には白い手袋をはめている。

「こちらは、当時の書状を、江戸時代に、巻物に張り直して保管したものです。当家の主人は、織田家で史料へんさんのような仕事を任されていたらしく、中には東大寺やこうふくたつちゆうに伝わる古文書の写しと思えるものまであるんですよ」

 為夫氏は、ニコニコしながら古文書の一部を見せてくれる。戦国時代の古文書にしては保存状態がよく、墨のにじみ具合まではっきりと読みとれ、まるで、ついさっき書かれたもののようだ。

「この中に興味深い文書がありまして……その名も『竜宮伝説』」

「竜宮……って、あの浦島太郎のですか」

「はい。これは義父・雅信が解読を進めていましたものです。なんと、天皇家の始祖は、竜宮からやってきたという」

 亀石と萌絵は、はあ? と口を開けた。天皇家が竜宮城から来ただと? 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていると、為夫氏は明るく笑った。

「珍説でしょう?」

「は、はあ……ユニークですね」

「天孫降臨神話を変わった解釈にしたもののようで、実は天孫の皆さんは、天からでなく、海からあがってきたというのです。たかまがはらの正体は竜宮城だ、と語られています。とぎぞうのようなものですかね。ああ、竜宮城で思い出しました。三村先生と義父の写真があります。今、持ってきましょう」

 と言うとウキウキした足取りで、また奥に戻った。どうやら退職して暇を持て余していたところらしい。

 為夫氏が奥に消えたのを見計らって、亀石がデジカメを取りだし、龍禅寺文書を無断で激写し始めた。手慣れたものだ。「いいんですか」と萌絵がとがめたが、亀石は聞く耳を持たず「見張ってろ」と促す始末だ。

 為夫氏が戻ってきた時には、何事もなかったかのように、茶をすすっている。

「こちらのアルバムです。義父が若い頃、三村先生と二人で、旅行に行った時のものだと聞いてます」

 分厚いアルバムは年季が入っている。開いたページに二人の古い写真があった。

 そこに写っているのは、ずいぶん若い頃の三村教授だ。髪もふさふさで、太い黒縁の眼鏡をかけており、岩場らしきところにTシャツ姿でしゃがんでいる。隣にいる、中折帽の上品な初老男性が「龍禅寺雅信氏」だった。

 どこかの海だ。褪色で黄味を帯びているが、澄んだエメラルドグリーンの海に渡る風が感じ取れるようだ。陽光と影のコントラストがまぶしい。

 二枚目の写真では、どうくつの入口らしきものを背景に、二人共、にこやかに写っている。

 萌絵は、ぴん、ときた。……がけを覆う熱帯風のつる植物。鎖で仕切られた岩場の道。この洞窟、三村教授のアルバムにあった洞窟の写真と、同じ場所ではないか。

「裏書きがあるか、確認させてもらってもいいですか」

 亀石が丁重にアルバムのフィルムをがし、写真を裏返してみた。青い万年筆でメモ書きがなされている。


〝一九八〇年九月七日 サビチにて〟

〝撮影者 E・SAGARA〟


「さがら……?」

 ドキッとしたのは萌絵だ。

「あの、この撮影者のサガラさんというのは、どなたですか」

 為夫は老眼鏡をかけてのぞき込んだ。首を傾げ、

「さあ……。ちょっと存じ上げませんが」

 亀石と萌絵は、再び顔を見合わせた。

 さらにアルバムをめくっていくと、数ページにわたって、不思議な水中写真が続いた。

「所長、これ」

 三村の遺品と全く同じ写真があった。水中の、人工物と思われる石積みの階段。岩石に刻まれた不可思議な記号。どうやら焼き増ししたものらしい。

〝サビチにて〟

 どこの地名だろう。


 粘ったが、龍禅寺家ではそれ以上の情報は得られそうになかった。

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