第三章 正倉院と緑の琥珀⑥

 忍はためいきをつくように呟いた。

「犯人は、捕まってないよ」

 無量は沈痛そうに見つめていたが、意を決して「なあ、忍……」と声をかけた。

「なに?」

「おまえ、あの晩さぁ。三村サンが死んだ夜。居酒屋で俺らと別れた後、どこでなにを……」

 無量の言葉は、調査員の呼び声にかき消された。墳丘の頂で、一足早く作業を始めていた調査員が、ひどく興奮して無量たちを呼んでいる。何かトラブルがあったようだ。無量たちはすぐにパワーショベルがあるほうへ駆けつけた。

「すみません。土層をがしてたら、あれが」

 と掘削面を指さした。のぞき込むと、金属のかたまりと見られるものが露頭している。

「オペレーターさんが気づいたんです。銅鏡かもしれません」

「……浅いな。流土したかな」

 重機は一般に、表土の掘削にのみ用いる。その下、遺構面までは人力で掘るのだが、墳丘の一部に倒木によるかくらん(掘られた穴による土層のえぐれ)があったので、発掘担当者がついて、安全な掘削深度を見極めながら、慎重に作業しているところだった。

 すぐに無量が道具を持って遺物の前についた。なるほど、金属っぽいものが露頭している。皆で集まって慎重に確認をした。移植ゴテで慎重に土をけると、銅鏡の半分ほどが出てきた。前に出土したものより、ふた回りは小さい。

「三角縁じゃない……。もんたい神獣鏡?」

「画文帯!」

 古墳時代前期の古墳で見つかる鏡だ。三角縁神獣鏡よりもせいな文様が特徴で、三角縁は仿ぼう製鏡(国産鏡)とも言われるが、画文帯神獣鏡は大陸から贈られた中国産の鏡とされ、かなり高位の、大王に連なる被葬者のものと見られる巨大古墳で発見されることが多い。

「すごい、ついに画文帯が出たのか! 本格的に大王クラスの古墳ってことじゃないか」

 忍が興奮して目を輝かせた。今にも無量に飛びつかんばかりだ。調査員たちもホッとした様子で、

「三村先生の読みが当たりましたね。先生は、この古墳から画文帯が出るって予測してたんですよ。ひつぎから出なかったから『アレ?』て思ってたみたいだけど」

「しかし、棺外から出るとはなあ。くろづか古墳やホケノ山でも、画文帯は被葬者の頭部付近から出てるしな……」

「副室があったと見るべきかな。流痕はどのくらい?」

 鏡そのものは保存状態がいい。ひびもなく、ほぼ完全な形だ。銅鏡の場合、大抵、緑色の腐食生成物を伴っていて、この鏡も同様だったが、他に類を見ない著しい特徴があった。鏡面だけがほとんど腐食せず、にじいろの光沢をまとっているのだ。

「なんだろう、これは。こんなの見たことがない……」

「何かコーティングでもしてるみたいな。銅製品はまれに水浸出土した場合に黄金色を伴ってることはありますが、片面だけとは、こりゃ一体……」

 角度によって玉虫色に輝き、何とも言えない美しさだ。吸い込まれそうだ。軍手をはめた右手で触れようとした無量は「熱っ」とうめいて、手を除けた。

「どうした。無量」

「熱くて触れない……」

「熱い? 発熱してるのか?」

「いや……。わかってる。そうじゃない。よくあるんだ」

 無量は改めて左手で触れた。もとより熱など帯びてはいない。無量の右手が不可解な過剰反応を示しているだけだ。その原因が何なのかは、彼自身にも分からない。

 触ってもいないのに皮膚がひりひりする。強い磁石の磁場に指先を近づけた時のような、名状しがたい感覚だ。少し近づけただけで、もうひじまでピリピリしびれてくる。

「痛むのか。大丈夫か? 無量」

「ちょっとキツイ……。つーか、これだけじゃない。たぶん」

「これだけじゃない?」

 無量は周囲の土の具合を注意深く凝視する。静電気のような感触は、指先を向ける方向によって強弱が変わるようだ。強い。土に強い力を感じる。無量の右手はまるで感知器だ。何に反応しているのかは本人にも分からない。物理的にはそれが何という現象なのか、説明できない。だが無量の右手はぎつける。自分の右手だけが、何か別の生き物になったような気さえする。まるで別の意志を持ったかのように、その手が教えるのだ。この土の向こうだ。何か強い重力を持つ物体が土の底に潜んでいる。

 いや、そう無量が感じるだけで正体は分からない。鉱物探知に似ている。重力異常から地下の岩石の密度分布を測る探査方法。無量を呼ぶのは、遺物が宿す「時の密度」だ。

 来た。今度は強い反発だ。

 来るな、来るな、と「それ」が念じている。かくれんぼをする子供が、鬼の近づく気配におびえるのに似ている。暗い土の中に在るものが暴かれるのを嫌がっている。遺物は明るいところを恐れる。近寄るな。この眠りを妨げるな。──そうじゃない。おまえたちが呼ぶんだ。その「存在する力」で俺を呼ぶんだ。

「エンピください」

 無量が作業員に言った。土を掘るショベルのことだ。

「ここ掘ります」

「え……? おい無量、何を」

 調査員の許可もなく、掘り始めた。

「こ、こら、西原くん!」

 掘削範囲をしるすラインを越えて、右側の側面壁をどんどん掘り進める。慌てて止めようとした調査員を、制したのは忍だ。一度掘ることに集中した無量は、周りの声も耳に届かなくなる。まるできゆうかくの鋭い犬のようだ。強いまなしは一点のみを凝視している。その姿があまりに確信的で、忍も目が離せなくなる。黙々と物も言わずに、掘り進めていた無量が、不意にエンピを放し、ジョレンを握った。

 青灰色の粘土層の壁をぎ始める。刃が固いものに当たった。

 出てきたのは、淡い茶褐色をした素焼きの表面だ。

 わっ、と調査員が声を発した。「はにか」

 大きなつぼの形をしている。

 ふたがしてある。どうやら副葬品を収めた壺のようだ。すぐさま出土状況を記録して、取り上げへと移った。蓋を外した無量が「これは」と思わず声を発した。

 中から出てきたのは、溶岩のような石だ。ゴツゴツした表面が虹色にきらきら輝いて、黒いはんてんや白い小さな結晶があちこちについている。

「なんだろう。銅滓スラグ(銅を作る時のかす)……?」

「加工前の鉱石だ。なんで」

「ひとつじゃない。まだあるぞ。センターに持ち帰ってから中を確……コラ西原!」

 無量が勝手に石をつかんで中から取り出した。手に取ると、見た目よりも重い。虹色の石の下に入っていたのは、目が覚めるような深いあいいろをした石だ。表面はゴツゴツしていて、光沢はなく、柱状の塊がウニのように丸く固まっている。さらに出てきたのは白っぽい石だ。

「三個ですか。どれも違う種類の石のようですが……」

 調査員がカメラに収めた後も、無量は石をじっと見つめている。その石に語りかけられでもしているのか、まばたきもせず凝視している。忍が異変を感じて声をかけると、無量が無造作に、白い石を手に取った。と、次の瞬間、

「ちょ! 西原くん、何を!」

 止める間もなく、無量が石の表面にスコップの柄をたたきつけた。その一撃に呼応するように、石はぱくりと真っ二つに割れた。中から現れたのは、美しいソーダ色の結晶だ。中は空洞になっていて白い半透明の表面に針状の結晶がたくさん張りついている。ソーダアイスを思わせる何とも神秘的な石だ。

「……すごい……すごいぞ……っ」

 それまで息を詰めるようにして見守っていた忍が、目を輝かせて無量の両肩を強く摑んだ。

「すごいぞ、無量。こんな遺物は今まで見たことがない! 金印どころの騒ぎじゃない! 歴史を塗り替えるかもしれないぞ!」

 やけにおおな物言いに、無量も驚いて我に返った。確かに極めて珍しい遺物ではある。銅滓や銅滴が出る例はあったが、こんなに美しく鮮やかな鉱石そのものが副葬品として出たためしは聞いたことがない。

「これはいい。ははは、こいつはすごいものを出したぞ、無量!」

 忍らしからぬ興奮ぶりだった。喜び方がいやに露骨で、度を超えているように無量には感じられた。笑顔で祝福してくれるが、その眼は自分を見ている感じがしない。何か暗い熱をはらんで、異様なほどらんらんと輝いている。

 ここにいるのは、誰だ。

 忍は、あんな眼をする人間だったか?

「すぐに化学分析にかけよう。奈文研に連絡して。鉱物分析ならかんだいにわ教授だな」

 ぼうぜんとしている間に、忍がどんどん進めてしまう。なんでこんなにはしゃいでいるのか。何か掘り当ててはならないものを見つけてしまったようで、手放しに喜べない。遺物への素朴な関心が、何か得体の知れぬ、底暗い欲望に塗りつぶされていくようで、無量を不安にさせる。そして動揺する。

「おまえなら必ずやってくれると信じてたよ、無量! おまえは英雄だぞ!」

 こんな裏返った声を発する忍など、無量は知らない。

 この古墳には一体、何があるのか。

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