第二章 相良忍①

 ほうらいうみすい、と三村教授が口走った大きな玉(大珠)の出土は、ある種の大発見だったようだ。

 小さい石のほうは、ガラス製のまがたまと小玉そしてへきぎよくくだだま(筒状の細長い小玉)だ。どうやら首飾りのたぐいらしい。教授が「緑色はく」と呼んだ大珠は、じようの一部と思われる。

 三村教授の興奮はあからさまだったが、調査員たちも、これがなぜ大発見なのか、いまひとつ分からずにいる。その玉は、被葬者が安置されていたとみられる主体部の木棺の場所から、少し離れたところで見つかっており、被葬者が身につけていたものではなさそうだ。がいはすでに残っていないが、頭部を北に向けて安置されていたと思われることから、それらの玉は、頭の先にあったとみられる。が、装身具とは別に埋められた理由は何なのか。

 三村教授もその場では語ろうとしなかった。発見した無量自身、古墳の副葬品という以外、どんな意味を持つ遺物だったのか、見当がつかなかった。

 たぶん、被葬者の身元が分かる発見だったのだろう、くらいに思って、自分は着々とまた発掘作業を続けていたが、かみはた古墳での出土遺物が、まえもつて予想できていたと見える教授の反応が、どうも不自然で、無量も気にはなっていた。

 世間的には、首飾りよりも銅鏡の発見のほうが注目を浴びたらしい。翌日には、奈良文化財研究所の職員もやってきた。

「企画調整室のはやかわです。上秦古墳での発掘調査についてしんちよく情報をいただこうと思いまして、伺いました。それから、こちらが文化庁文化財部の──」

「文化財保護調整室の相良さがらしのぶです」

 おお! と色めきたったのは、萌絵だった。発掘現場にスーツとコート姿というのは、いかにも省庁の職員らしい。独立行政法人の国立文化財機構のみならず、文化庁からわざわざ職員がやってくるとは、さすが邪馬台国の決定打になるかという遺跡は扱いが違う。相良なる職員は、年の頃は萌絵と同じくらいか。涼やかな目元とすらりとした長身は、地味な発掘現場で一際目立った。

 さっそく、三村教授が遺跡の概要を説明し始めた。萌絵はほっこりいい気分だ。地味で退屈な現場に舞い降りた見目良い男子に、すっかり目を奪われている。早川と相良はデジカメであちこち撮ったりしながら熱心に耳を傾けている。と、三村教授が、

「そうだ。発見者を紹介しましょう。おーい、西さいばらくーん。ちょっと手を休めて来てくれないかー」

 奥のトレンチで作業をしていた無量が、振り返った。三村は早川たちに引き合わせたかったらしい。

「発見者の西原無量くんです。こちらは奈文研の早川さんと、文化庁の相良さがらさん」

 ぞんざいに頭を下げた無量の視線が「お客さん」の片割れとぶつかった。

 相良? と聞き直し、無量は思わず顔を覗き込んだ。

「……しのぶちゃん? まさか相良忍?」

 目元の涼しい文化庁職員は、にっこりと微笑んだ。

「久しぶりだな。無量」

「マジか。ほんとに忍? 相良忍!」

 興奮して、珍しく大声をあげたではないか。次の瞬間には肩をつかんで大はしゃぎしている。思いがけぬ再会劇に居合わせた萌絵は、無量の笑顔なんて初めて見るので、そのあまりに無邪気な反応に、ぽかんとするばかりだ。

「あ、あのぅ……。お二人はどーゆー……?」

「あれからどこに住んでたんだ!? 文化庁って、お役人かよ!」

「元気そうだな、無量。この現場に来てるって聞いて、飛んできたんだ」

 旧知の仲で、互いの消息も分からなかった同士が対面した……、というのは萌絵にも察せられたが、無量の喜び方があまりに別人のようだったので、そうさせる「相良忍」とは何者だ、と目をいてしまった。どういう経緯かは知らねど、かたや遺跡発掘人で、かたや文化庁の職員とは、偶然にしても不思議な巡り合わせだ。

 二人は萌絵や教授たちを差し置いて、大いに盛り上がった挙げ句、その夜、さっそく飲みに行く約束まで交わしてしまった。


    *


「……で、なんで、あんたまでいんの?」

 その日の作業を終えて、夜、近鉄奈良駅近くの居酒屋で相良忍と落ち合った無量は、隣にいる萌絵を見て、うつとうしげに問いかけた。

「えっ? だって相良さんが御一緒にどうぞって言うから」

「社交辞令だ、馬鹿。空気読んで遠慮しろ」

「馬鹿って何よ。大体いつもナニサマのつもり?」

「まあまあ。いいじゃないか。同僚なんだろ? 一緒にむくらい」

 忍はさすがに大人で周りに気配りする余裕もある。そんなところも素敵だわ、と萌絵がときめくと、無量が「同僚なんかじゃない」と反論した。

「発掘もしないで携帯ゲームしてる給料泥棒と一緒にすんな」

「ゲームなんかしてない。仕事のメール打ってたの」

「噓つけ。仕事メール打つ奴が、画面見てニヤニヤ笑うかよ」

「ちょちょ、言いがかりだよ! 大体なんなの、その言葉遣い。あなたはハケン、こっちは派遣してあげてる事務所の職員! 少しは立場わきまえたら!?」

「まあまあ……」

 なべの湯気がほっこりと温かい。学生やサラリーマンでにぎわうチェーン居酒屋で、何はともあれ奥の席に落ち着いた。ビールのジョッキをあお相良さがら忍は、存外、気さくな若者だった。

 無量より三つ上の二十四歳。一年前に今の職場に配属されたばかりだ。文化財部の保護調整室で、文化財保護や資料収集などに携わっているという。奈文研の早川とは、たかまつづか古墳の保存事業で世話になり、その後も様々な助言を受けているとか。

 湯気の向こうに見る忍は、目元は涼しげだがようぼうは優しく、萌絵より一学年下だというが、どこか大人びたたたずまいなのは、やはり文化庁職員というお堅い肩書きのためだろうか。官僚イコールエリート、という図式が浮かび、萌絵の胸は嫌でも高鳴る。──ああ、いかにも若き官僚のひなって感じだな。きっと将来は出世して、文部科学省の次官かなんかになっちゃうんだろな、と勝手に夢を見て、湯気に妄想を描いている。

 ひとみの色は栗色で、全体に少し色素の薄い感じが、いかにも上品だ。育ちのよさがにじみ出ている。かと言ってひ弱な感じはない。萌絵の大好きな香港映画に出てくる、理知的なエリート捜査官みたいだ。眼鏡をかけていたらかんぺきなのに。

 卵形の面立ちで鼻筋もきれいに通っていて、微笑まれると吸い込まれそうになる。言葉遣いも丁寧で物腰柔らかく、比べると、色黒の無量がただの山猿に見えてくる。

「へえ。小学校まで一緒だったんですか。じゃ、幼なじみみたいなもんですね」

「まあ、近所に住む弟って感じかな」

 忍が小学校六年の時に突然引っ越してしまったため、離ればなれになってしまい、ろくに連絡も取れないまま今に至った、という。

「でも、おまえの話は聞いてたよ。無量。〝宝物トレジヤー・発掘師デイガー〟って異名を持つ発掘員の噂は、有名だからね」

「ええっ。やっぱり有名なんですか。西原くんって」

じやの道はへび。遺跡発掘っていう業界は案外狭いですからね」

 無量は相変わらず居心地悪そうだ。普段態度のでかい無量も、忍の前ではどこかねているように見えてくるから不思議だ。

「無量は、昔から土いじりが好きだったもんな。近くに採石場の跡があったんです。化石層が露頭していて化石収集家にも評判の場所だった。子供にはちょうどいい遊び場で、無量は小学校にあがる前から化石を掘ってたんですよ。三つ子の魂、百までってこのことだな。今じゃ恐竜の化石を掘ってるんだから」

 萌絵は思わず、まじまじと無量を見てしまった。高校生どころか、幼児の頃から掘っていたとは……。

「ろくに友達も作らず、土いじりばっかりしてるから、幼稚園の先生には、将来引きこもりになるんじゃないかって、よく心配されてたけれど」

「も、いいって。忍」

「ははは。昔は〝忍ちゃん〟って呼んでたのにな。おまえに〝ちゃん〟付けされるから、しょっちゅう女の子と間違えられて困ったよ。砂場でもよく百円玉とか見つけたしな。あの頃から宝物トレジヤー・発掘師デイガーへんりんがあったんだよ」

 いい具合に酒も進んで、口も滑らかだ。女の子に間違えられるくらいだ。子供の頃はさぞや美少年だったんだろうな、と萌絵の顔は緩みっぱなしだ。忍の端整な顔を眺めているだけで、ほろ酔いしてしまうが、生意気無量も忍の前では年相応な顔をするので、妙に可愛い。「西原くんてどんな子供だったんですか?」とたずねると、忍はにやにやしながら、

「そうだなあ。すごい人見知りで、知らない人に会うと、僕の後ろに隠れたりしてた」

 この誰の前でもエラそーな男が? と萌絵は驚いた。

「あと算数が苦手だった。割り算ができなくて、僕が毎日教えたんだよな?」

「もういいって」

「泣きべそかきながら『忍ちゃん教えて』って、うちに通ってきたりして、そりゃもう」

「も、いいっつってんだろ」

 と無量が忍の口を押さえにかかった。ムキになる反応が、忍には楽しくて仕方ないらしい。萌絵も思わず和んでしまった。

「……そっちこそ、あれからどこ住んでたんだよ。手紙もこないから心配してたんだぞ」

 すると、忍がふと真顔になり、やがて「ああ」と苦笑いを浮かべた。

しんせきのうちに引き取られたんだ。おかげで生活が激変してしまって、手紙を書く余裕もなかった。気にはしてたんだ。悪かったと思ってる」

「悪いだなんて……。ただちょっと……あの後のおまえのことが心配だっただけで」

 萌絵には話がよく見えない。親戚の家に? 両親はどうしたんだろう、と思ったが、無量の表情がやけにシリアスなので、気軽に訊ねられる雰囲気ではない。込みいった家庭の事情があるようで、無量はそれを気にかけているようだが、忍は重くなりかける空気を和らげようと明るく笑った。

「僕はもう大丈夫。いろいろあったけど、今は心の整理もついているから」

「悪い。かえって思い出させちゃったんじゃ」

「いや。おまえと再会できて本当にうれしいよ。なんだか、昔の自分に戻ったみたいで嬉しいんだ。さあ、吞もう」

 それからはもう楽しい話ばかりだった。互いの近況、意外におっちょこちょいな新人職員・忍の失敗談……、酔いも手伝っておしやべりが途切れることはない。普段は話しかけても、なおざりな答えしか返さない無量から、海外の発掘話が聞けた時は、萌絵も感動してしまった。しやくねつ砂漠での地獄体験、地雷の残る地域での危険と隣り合わせの作業、先住民との交流……、あらためて彼はプロの遺物レリツク・発掘師デイガーなのだと思い知る。

 このコ、やっぱりすごい。若いのにものじもせず世界中の発掘現場に乗り込むなんて。

 ちょっと見直した萌絵の眼には、ただの生意気小僧から、だいぶ昇格だ。萌絵がまじまじと見ていたら、無量に気味の悪そうな顔をされた。

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