第一章 右手に鬼を持つ男④

 箸墓を過ぎたところで右に折れ、やますそに向かって五分ほど。

 畑の真ん中に、ぽっこりと、可愛らしい丘が見えてきた。

 そこが今回の現場・上秦古墳だ。

 古墳時代の前方後円墳であるという。

 すでに発掘は進んでいる。畑の真ん中だ。墳丘の樹木は全て伐採され、丸裸にされている。道の脇にはテントが張られ、丘の頂と下に数カ所、四角形やL字形に掘られた穴がある。これが「発掘区」。「トレンチ」と呼ばれる調査区画の掘削溝だ。幾つかはブルーシートで覆われて、遠目にはちょっとしたプールみたいだ。

「あれだけしか掘らないの? 全部掘り返さないでいいの?」

 と萌絵がつぶやくと、無量があきれた様子で、

「これ全部掘ってたら、とんでもねー手間と金がかかるでしょ。あのね、発掘自体、破壊行為みたいなもんだし、手ぇ加えんのは必要最低限じゃないと駄目なの」

「でも、それじゃ凄いお宝が埋まってても見つけられないじゃない」

「あほか。お宝探しで掘ってんじゃねーし。古墳の調査だろが」

「どうちがうの?」

「だから」

 と無量はいらたしげに頭をいた。

「古墳の調査っつーのは、遺構はどういう規模で構造で、誰がいつ造って、どういう奴が埋葬されてて、歴史的にどういう意味があんのか調べんのが目的なの。肝の場所だけ、当たり付けて掘るだけで、遺構全体が見えてくんの。それで充分なの」

「へー……。そーなんだ」

「あんた、ほんとにカメケンのひと?」

 奥に作業中のトレンチがある。ほぼ垂直に掘られた発掘溝の側面壁には、土質の違う層を示す線が刻まれ、場所によってはかなり深い。一・五メートルから二メートルはある。底は平らにならされ、所々に小さな穴が掘られている。それらは見つかった遺物を掘り出した跡だ。グリッドと呼ばれる区分わけの黄色い水糸が整然と張られて、遺物の出土位置を示すくしが刺さっている。トレンチ内では、日よけ帽をかぶったパート作業員が数人、移植ゴテや竹べらを手に、今まさに発掘作業中だった。

 徳永所長に呼ばれて振り返った人物が、今回の依頼主クライアントだった。

「はじめまして。神華大学考古学研究室の三村たけあきです」

 白髪まじりの初老教授は、日焼けした肌がせいかんな印象だった。人懐こい笑顔で大きな手を差し出す。土いじりに慣れた固い手だ。作業服に身を包んでいるので余計に、大学の教授という感じではなく、気さくな現場の親方といった雰囲気だ。

「西原です」

「君の活躍は海外の学会機関誌でよく見ますよ。いやあ、実物は写真よりずっと若いな」

 萌絵は軽くのけぞった。やっぱりそんなに有名人なのか。この男。

 無量は、だが自分が指名されたことに釈然としないものを感じているのか、怪訝そうな態度を控えない。三村は気にも留めず、

「じゃあ、さっそく発掘状況を説明しよう。おーい、なかたにくん、ボード持ってきてくれ」

 上秦古墳・第三次調査。

 数キロ離れた場所には、あの纒向遺跡もある。

 近くにあるホケノ山古墳などと共に箸墓と同年代の古墳であるとされ、被葬者は、箸墓の被葬者とも近い人物ではないかと見られている。と助手の中谷という調査員が、レクチャーしてくれた。

「今回は、第三次調査になります。第一次調査で、遺構の範囲確認を行いました。その時に出た副室からは、鉄剣等の副葬品が出ています。第二次調査でも、墳丘下部からはに列が出土しまして、今回いよいよ墳丘頂部の石室調査に着手しました」

 メインである第一トレンチのたてあな式石室の発掘は、すでに大方終わっていた。

「石室は未盗掘の良好な保存状況で、割竹形の木棺内と石囲いの間からは銅鏡や玉類が出土してる。これ自体、大きな成果だが、まだまだ、新たな発見の可能性がある。君の知恵を色々お借りしたい」

 発掘者に無用な先入観を抱かせてはならない、との配慮からか、三村教授ははっきりと口にはしなかったが、徳永の言うとおり、邪馬台国の在処ありかを示す決定的な証拠が出てくるかもしれないとの期待感が、教授の口振りからはありありと伝わってきた。

 萌絵の胸は高鳴った。うまくすれば、金印発見の現場に立ち会えるかもしれないのだ。

 無量は、といえば、特段興奮もみせず、淡々と「わかりました」と受けるばかりだ。

「少し、土を見させてもらっていいですか」

 というと、手際よくリュックから作業用ブーツを取りだして履き替え、トレンチの中へと足を踏み入れた。無量はしゃがみこんで、しばし土壁の層を丹念に見ていたが、やがて、おもむろに右手の手袋を外し始めた。決して外そうとしなかった手袋の下から現れたものを見て、萌絵はぎょっとした。

 顔がある。

 右手の甲に、人の顔があるではないか!

 鬼の顔だ。

 大きな口をつりあげて、まがまがしく笑っている鬼の顔だ。

 いや、よくよく見れば、それは火傷やけどあとのようだった。ケロイドになって盛り上がった部分が、醜い顔のような形をしていたのだ。萌絵は目が離せなくなった。

 無量は指先で一番底の粘土層をすくい、じっと見つめ、しばし指先でこすったり、トレンチ内の土の色を眺めてはあちこち見比べたり。そうすることで何が分かるのか。萌絵にはさっぱりだったが。

「……ありがとうございます。じゃあ、作業は契約通り、明日あしたからということで」

「期待しているよ。西原くん」

 無量は、まるで剣をさやにでも収めるように、また手袋をはめた。


    *


 畑の真ん中を二両編成の電車が横切っていく。

 発掘現場には、朝から、のどかな冬の陽が差し込んでいた。

 すでに耕作を終えた畑は、作業する人の姿もみえず、たまにやまの道を歩く観光客が通りかかるくらいだ。まきむく山のすそには、大和棟の民家がぽつぽつとあり、とんがり屋根といらかを並べている。冬枯れの庭木にはメジロの声が響いている。

 悔しいが、無量の言葉は正しかった。マネージャーという名目で発掘作業に立ち会った萌絵は、あまりの退屈さに音を上げた。

 目の前のトレンチでは、無量たちが黙々と作業中だ。

 そこは、古墳のくびれ部分の端を確認して、しゆうごう(古墳を取り巻く堀)の状態を見るためのトレンチだったが、少し前に埴輪片と用途不明の木材が出たとのことで、今はドカ掘りも終えて、細かい作業に移っている。

 とにかく地味だ。想像以上に地味な作業だ。「ジョレン」と呼ばれるすきで土を削り、何か出れば、移植ゴテで細かく掘り、更に慎重にスプーンや竹べらで掘り、出土状況を写真に撮り、測り……。地道な作業の繰り返しだ。作業する方も根気がいるが、見守るほうは眠くなる。

 最初のうちこそ何か出れば興味津々だったが、ほとんどは、ただの石ころだったり、微妙な形の埴輪片だったりで、だんだん反応するのも飽きてきた。

「おい。人が汗水流してる横で、のんに昼寝か」

 無量に頭をこづかれて、目が覚めた。ひなびた山裾を包む小春日和のうらうらとした陽射しが心地よすぎて、萌絵はパイプ椅子の上でつい居眠りしてしまったのだ。

「……ひ、昼寝なんてしてません。汚い軍手はめた手ではたかないでよ」

「いーから、さっさと東京帰れよ。大体マネージャーなんて必要ねーし」

 無量の発掘スタイルは、シンプルだ。頭にはタオルを巻いて、長い前髪をあげている。ポケットの多いカーゴパンツに防寒ジャケット、足元は愛用の作業ブーツ。手にはゴム付軍手だ。

 移植ゴテを持つのは左手だ。彼は左利きで、例の右手は今は軍手で隠されている。

 さすが指名されるだけあって、目に見えて、手際がいい。一度トレンチに入ると、顔つきが変わる。土の色の違いを見ることで、土坑や溝など遺構のこんせきが分かるのだとか。また、現場によって、たいせきする土の層の質や種類が全く違ってくるので、まずは土の堆積状況を把握するのが大切なのだ。無量が初日に真っ先に土を見ていたのは、そんな理由からだった。

 調査員と時々なにか受け答えしながら作業を進めていく姿には、場慣れ感があって、素人には入っていけない空気だ。

 調査区には排土を運ぶベルトコンベアーが設置され、ネコ車と呼ばれる一輪車で集めた土をそこまで運ぶ。今日は重機の出番もないので、皆もヘルメットはしておらず、現場は静かなものだ。隣の第四トレンチでは、調査員が箱尺スタツフを手に、土層の実測中だ。

 萌絵はひとり、かやの外に置かれた気分だ。

 これではいかん、と思い立ち、雑用を手伝わせてもらうことにした。気さくな学生作業員が出土遺物の洗浄作業に誘ってくれたので「いいんですか」と飛びついたら、すかさず無量が「駄目っす」と断った。

「そんなド素人に手伝わせたら、貴重な出土品、壊されるだけっす」

「ヒドイ。あたしだって、やればできます」

 萌絵が腹立たしいのは、そんな無量が、ベテラン作業員さん(主に女性)に大人気だということだ。昼食時間になると、弁当のおかずをおすそけしてもらっている。小柄で童顔の無量は、年上女性の多い現場ではちょっとしたアイドル扱いだ。

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