第一章 右手に鬼を持つ男③
*
車窓からは
「危なかった。乗り遅れるところだった。西原くん、はい、駅弁買ってきました」
窓際の席には西原無量の姿がある。ろくに答えず、漫画雑誌に夢中のようだった。
「えーと、柿の葉
「幕の内」
とぞんざいに答える。弁当を受け取ると、漫画雑誌をめくる手は止めず、器用に包みを開けて、昼飯にありつく。マイペースで、なんとも絡みづらい。
西原無量のマネージャーとして付き添うことになった萌絵は、新幹線を京都駅で乗り換えて、これから奈良にある発掘現場に向かうところだ。上級発掘員を派遣する際は、契約期間の初めだけ、所員が随行することがある。萌絵が発掘現場に同行するのは、これが初めてだ。
「西原くん。契約書にはちゃんと目を通してくれました? ねえ、西原くんてば」
耳には携帯プレーヤーのイヤホンを差していて、反応がない。パチンコの次は漫画
「ねえ、聞いてる? 西原くん!」
「わあ! んだよ。いきなり」
「だから契約書はちゃんと見ましたか?」
「見た見た」
「いい加減に答えない。Aクラスなのに本当によかったの? 着手報酬が他より少な過ぎるんじゃないかと思ったんだけど」
「いつものことでしょ」
と無量は屈託ない。
「どーせ日本の現場なんて、どこも予算ギリギリでやってるんだから。高額報酬なんてハナから期待してないし。稼ぐだけなら、パチンコのほうがよっぽど
亀石によると、無量はパチプロ並みの腕なのだとか。
一体何者なのか。
「で、でも、すごいよね。こんなに若いのにご指名なんて、さすが『
「んなわけあるか。たまたまだ。同じとこ掘りゃ、誰でも見つけられるし」
「またまた、ご謙遜を」
「別に掘り当てた奴が
「お宝ハンターなんでしょ。だからAクラスなんじゃないの?」
「誰がお宝ハンターだ。違う。出土遺物の重要度は発掘者とはカンケーない。ただ、人より少し作業の手際がいいってだけ」
「でもお宝見つけたら
「お宝お宝って……あんたもしつこいな。同じとこ掘りゃ子供でも見つけられるっつってんだろ。大体掘るところなんて初めっから決まってて、たまたま俺がそこを担当してたってだけで、凄いことでも何でもねーし。あんた、現場初めてだから変な期待してるかもしんないけど、はっきり言って発掘なんて地味で地味で、
萌絵は、ぽかん、としてしまう。……なんだ、この言いぐさは。
そりゃそうだけど、こっちだって気を遣って、わざわざ持ち上げてやったんじゃない。大人の配慮ってものがわからないのか。このくそがき。
黙っていれば、なかなか可愛い顔立ちで、逆ハの字な
本当にこれが伝説の「
なんだか、うさんくさい上に、まゆつばくさい……。
無量のデータは一応、見た。六年前に派遣登録して以来、場数はダントツだ。初めのうちこそ国内派遣が多かったが、ここ四、五年は専ら海外で、それも遺跡系より恐竜化石などの古生物発掘の現場が続いている。キャリアから見ても、遺跡系のエキスパートとは思えないのに、依頼主はなぜ無量を指名したのだろう。
それと、先程からひとつ、気になることがある。
無量の手だ。
彼はいつも革手袋をはめている。真冬だから、それ自体は変ではない。だが部屋の中でもはめている。今もだ。雑誌の頁をめくるのに、手袋をしていては不便だろうに、外すのが面倒くさいのだろうか。それとも、これがコロラド・スタイル? 弁当を食べる時も外そうとしないのだ。ごはんの時くらい外したら? と萌絵はたしなめたが、無量はどこ吹く風だ。
「でも、不衛生だよ。食べる時くらい……」
ぎろりと
そういえば、パチンコに興じていた時も、なぜか右手の手袋だけは外していなかった。末端冷え性? いや、暖房の利いた屋内だったし、若い男子にはあまり聞かない症状だが。単なる無精? 仕事で使う手を守るプロ意識? 素手で物に触れない極度の潔癖性とか? いや、仕事で土をいじる人間が潔癖性はないだろう。
なんだか、よくわからない若者だ。
特急電車は、一時間ほどで
奈良は、文化財の宝庫だ。数々の遺跡で
それを聞いた萌絵が、
「うっかりすごいものが見つかっちゃったら、その遺跡はどうするんです?」
「大体は出土遺物だけ除いて、遺構は調査するだけしたら、また埋め戻します」
「埋めちゃうんですか! もったいない」
「ははは。でも、そうでもせえへんと、何も建てられませんからね」
「んなのジョーシキでしょ?」
「なによ」
上秦古墳と名付けられた遺跡は、桜井市北部にある。三輪山にもほど近く、
「右手に見える
国道一六九号を北に走りながら、ハンドルを握る徳永が案内してくれる。
「この辺りは、初期ヤマト王権の発祥の地で、たくさんの古墳群があります。最近は研究が進んで、各古墳の築造年代もだいぶ正確に分かってきました」
「古墳時代というと、平城京とかよりずっと昔ですよね。奈良時代の更に四、五百年前ってことは、私たちから見た戦国時代くらい昔かな」
「その通り。区分としては
「キタ! 邪馬台国」
萌絵はにわかに興奮した。泣く子も黙る古代史メジャー中のメジャーだ。九州説と大和説とがあって、今も論争に決着がついていない、なんてことくらいは、萌絵でも知っている。
その渦中にあって、いま、最もホットなのが、
「まだ決定的証拠言えるもんは出とらんのですが、研究者の間では、ここだけの話、ほぼ間違いないやろと」
「うわー……。そうなんですか」
「
「そんなに
「それもあって三村教授は、エキスパートの発掘員をご指名でお願いしたんやないかと」
で、無量というわけか。
だが彼は恐竜発掘はエキスパートでも、古墳発掘でのキャリアはさほどでは……。と首を捻る萌絵の横で、当の無量は相づちも打たず、車窓を眺めるばかりだ。
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