第一章 右手に鬼を持つ男③

    *


 車窓からはとうの五重塔が間近に臨めた。

 橿かしはら神宮前行きのきんてつ特急は、観光客らしきグループや老夫婦で、席はまずまず埋まっていた。流れいく車窓の風景もどこか穏やかで、京都の町家のかわら屋根がひるの陽射しを浴びて光っている。駅弁を買い込んで、発車間際に飛び込んだ萌絵は、やっと指定の席に辿たどり着いた。

「危なかった。乗り遅れるところだった。西原くん、はい、駅弁買ってきました」

 窓際の席には西原無量の姿がある。ろくに答えず、漫画雑誌に夢中のようだった。

「えーと、柿の葉寿と京幕の内弁当、どっちがいいですか?」

「幕の内」

 とぞんざいに答える。弁当を受け取ると、漫画雑誌をめくる手は止めず、器用に包みを開けて、昼飯にありつく。マイペースで、なんとも絡みづらい。

 西原無量のマネージャーとして付き添うことになった萌絵は、新幹線を京都駅で乗り換えて、これから奈良にある発掘現場に向かうところだ。上級発掘員を派遣する際は、契約期間の初めだけ、所員が随行することがある。萌絵が発掘現場に同行するのは、これが初めてだ。

「西原くん。契約書にはちゃんと目を通してくれました? ねえ、西原くんてば」

 耳には携帯プレーヤーのイヤホンを差していて、反応がない。パチンコの次は漫画ざんまいか。次は絶対ゲームが出てくるぞ、と萌絵は思った。いかにも内向きで他人に関心のない、今時男子の典型だ。業を煮やして、ひと思いにイヤホンを引き抜いてやった。

「ねえ、聞いてる? 西原くん!」

「わあ! んだよ。いきなり」

「だから契約書はちゃんと見ましたか?」

「見た見た」

「いい加減に答えない。Aクラスなのに本当によかったの? 着手報酬が他より少な過ぎるんじゃないかと思ったんだけど」

「いつものことでしょ」

 と無量は屈託ない。

「どーせ日本の現場なんて、どこも予算ギリギリでやってるんだから。高額報酬なんてハナから期待してないし。稼ぐだけなら、パチンコのほうがよっぽどもうかるし」

 亀石によると、無量はパチプロ並みの腕なのだとか。

 一体何者なのか。

「で、でも、すごいよね。こんなに若いのにご指名なんて、さすが『宝物トレジヤー・発掘師デイガー』。カナダで新種の恐竜見つけちゃったって聞いたけど、どうやってお宝掘り当てるの? 勘が働いちゃうとか? ここを掘れって、神様の声が聞こえちゃうとか?」

「んなわけあるか。たまたまだ。同じとこ掘りゃ、誰でも見つけられるし」

「またまた、ご謙遜を」

「別に掘り当てた奴がすごいわけでもねーし」

「お宝ハンターなんでしょ。だからAクラスなんじゃないの?」

「誰がお宝ハンターだ。違う。出土遺物の重要度は発掘者とはカンケーない。ただ、人より少し作業の手際がいいってだけ」

 うつとうしそうに答える。発掘にかける情熱とか夢とか、そういう発言を期待していた萌絵は肩すかしだ。無量にとっては、発掘も、単にバイト感覚なのだろうか。

「でもお宝見つけたらうれしいよね」

「お宝お宝って……あんたもしつこいな。同じとこ掘りゃ子供でも見つけられるっつってんだろ。大体掘るところなんて初めっから決まってて、たまたま俺がそこを担当してたってだけで、凄いことでも何でもねーし。あんた、現場初めてだから変な期待してるかもしんないけど、はっきり言って発掘なんて地味で地味で、はたから見てたら眠くなるだけだからな。フツーの土木工事のほうがなんぼも派手なんだから、お宝とかロマンとか、ド素人みたいなこと、頼むから現場で口にすんなよ」

 萌絵は、ぽかん、としてしまう。……なんだ、この言いぐさは。

 そりゃそうだけど、こっちだって気を遣って、わざわざ持ち上げてやったんじゃない。大人の配慮ってものがわからないのか。このくそがき。

 黙っていれば、なかなか可愛い顔立ちで、逆ハの字なまゆがきつい印象を与えるのを除けば、至って標準的な若者だ。日焼けした肌は、いかにも野外活動を仕事とする者らしいが、だらしない姿勢としまりのない着こなしで、のんに漫画を読みふける姿は、怠け者のそれだ。

 本当にこれが伝説の「宝物トレジヤー・発掘師デイガー」? と萌絵は首をひねってしまう。

 なんだか、うさんくさい上に、まゆつばくさい……。

 無量のデータは一応、見た。六年前に派遣登録して以来、場数はダントツだ。初めのうちこそ国内派遣が多かったが、ここ四、五年は専ら海外で、それも遺跡系より恐竜化石などの古生物発掘の現場が続いている。キャリアから見ても、遺跡系のエキスパートとは思えないのに、依頼主はなぜ無量を指名したのだろう。

 それと、先程からひとつ、気になることがある。

 無量の手だ。

 彼はいつも革手袋をはめている。真冬だから、それ自体は変ではない。だが部屋の中でもはめている。今もだ。雑誌の頁をめくるのに、手袋をしていては不便だろうに、外すのが面倒くさいのだろうか。それとも、これがコロラド・スタイル? 弁当を食べる時も外そうとしないのだ。ごはんの時くらい外したら? と萌絵はたしなめたが、無量はどこ吹く風だ。

「でも、不衛生だよ。食べる時くらい……」

 ぎろりとにらまれた。ちょっとギョッとするほどの迫力があって、さすがの萌絵もすくんでしまったほどだ。口出し無用と言いたいらしい。

 そういえば、パチンコに興じていた時も、なぜか右手の手袋だけは外していなかった。末端冷え性? いや、暖房の利いた屋内だったし、若い男子にはあまり聞かない症状だが。単なる無精? 仕事で使う手を守るプロ意識? 素手で物に触れない極度の潔癖性とか? いや、仕事で土をいじる人間が潔癖性はないだろう。

 なんだか、よくわからない若者だ。

 特急電車は、一時間ほどで大和やまと駅に着いた。


 奈良は、文化財の宝庫だ。数々の遺跡であふれている。少し掘れば、何らかの遺物が出土するような土地柄だ。その奈良も最近はますます開発が進み、日々どこかで発掘が行われている。

 それを聞いた萌絵が、

「うっかりすごいものが見つかっちゃったら、その遺跡はどうするんです?」

「大体は出土遺物だけ除いて、遺構は調査するだけしたら、また埋め戻します」

「埋めちゃうんですか! もったいない」

「ははは。でも、そうでもせえへんと、何も建てられませんからね」

「んなのジョーシキでしょ?」

「なによ」

 上秦古墳と名付けられた遺跡は、桜井市北部にある。三輪山にもほど近く、はしはかじんけいこう天皇陵といった古墳時代前期を代表する重要遺跡が多く集まる土地でもある。萌絵はこれでも高校時代に日本史選択だったので、多少の知識はあるものの、だいぶあいまいだ。

「右手に見えるえんすい形のれいな山が、三輪山です。日本最古の神社言われる、有名な三輪明神──おおみわ神社があります。地元では『みわさん』呼ばれてます」

 国道一六九号を北に走りながら、ハンドルを握る徳永が案内してくれる。

「この辺りは、初期ヤマト王権の発祥の地で、たくさんの古墳群があります。最近は研究が進んで、各古墳の築造年代もだいぶ正確に分かってきました」

「古墳時代というと、平城京とかよりずっと昔ですよね。奈良時代の更に四、五百年前ってことは、私たちから見た戦国時代くらい昔かな」

「その通り。区分としては弥生やよい時代の次ですね。……あ、右手に見える池の向こうの森が、有名な箸墓古墳(伝・やまとももひめのみことりよう)です。の墓やないか言われる前方後円墳で、たいこくがこの地にあった根拠のひとつと」

「キタ! 邪馬台国」

 萌絵はにわかに興奮した。泣く子も黙る古代史メジャー中のメジャーだ。九州説と大和説とがあって、今も論争に決着がついていない、なんてことくらいは、萌絵でも知っている。

 その渦中にあって、いま、最もホットなのが、まきむく遺跡だ。邪馬台国の都ではないかと言われて、近年の発掘成果では、宮殿跡と見受けられる遺構も出ている。出土物からは、日本全国との交流を示す品々も見られ、古代の王都であるあかしとされている。

「まだ決定的証拠言えるもんは出とらんのですが、研究者の間では、ここだけの話、ほぼ間違いないやろと」

「うわー……。そうなんですか」

から贈られた金印でも見つかれば、動かぬ証拠になるはずです。今回の現場も、纒向古墳群のひとつで、そこで出た物が、邪馬台国論争にピリオド打つんやないかと期待されとるところです」

「そんなにすごい遺跡だったとは」

「それもあって三村教授は、エキスパートの発掘員をご指名でお願いしたんやないかと」

 で、無量というわけか。

 だが彼は恐竜発掘はエキスパートでも、古墳発掘でのキャリアはさほどでは……。と首を捻る萌絵の横で、当の無量は相づちも打たず、車窓を眺めるばかりだ。

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