第一章 右手に鬼を持つ男②
あれは殺人的猛暑だった去年の八月のこと。勤めていたIT企業から突然のリストラ宣告を受け、ショックのあまり、駅前の飲み屋でやけ酒を
萌絵は、かつてのストレス過多な職場からは解放されたけれど、ワンマン所長の振るまいが自由すぎて、時々ついていけない。それが証拠に、
「あ、珈琲はもういいわ。そろそろ、あいつ迎えに行ってやってくれ」
二分と経たないうちに気が変わっている。
「あいつって、誰のことです?」
「さっきの荷物の主。ほら。今日うちの登録者がひとり、派遣先から戻ってくるって言ったろ。時差ボケで爆睡こいてるかもしんねーから、ちょっと行って、起こしてきてくんない?」
「時差ボケ……って海外からですか」
「コロラドから、今朝着いたはずなんだ」
お迎えなら(暇なんだから)所長が行けばいいのに、と萌絵は
分かりました、と彼女は応じた。
「で、そのひと、今どこにいるんですか」
近所の漫画喫茶にいるだろうから見てきて、と亀石に言われ、萌絵は長財布と携帯電話だけ持って、外に出た。
探す相手は「サイバラ」なる若い男性発掘員。
面識はないが店で呼び出してもらえばいいや、と高をくくっていたら、あいにく、どこにもいない。数軒回ってみても全部、空振りだ。困った萌絵は路上で携帯電話をかけ、
「もしもし、所長。どこにもいませんよ。サイバラなんて人」
『漫喫以外も探したか? ファミレスとか
「私、サイバラさんの顔も知らないんですよ。探しようがないですよ。その人、携帯電話とか持ってないんですか」
『あ、その手があったか』
「ちょっ。所長……」
気の抜けるやりとりをしていたら、通りかかった店から豪雨のような大音響に横殴りされた。駅前のパチンコ屋だ。CR台の騒音が垂れ流しになってやかましいったら、ありゃしない。ちっと舌打ちして店内を
一番手前の台に、若い男が座っている。
その足元に
なんだありゃ。ドル箱が摩天楼のごとく積まれている。どんだけ出せばあんなに
店内の客も騒然としている。萌絵も思わず身を乗り出してしまった。
「うそ。また出してる。まさか、あれが
大騒音にも負けず、その男は悠長に携帯電話で話し始めたが、CR台の液晶画面は確率変動の激アツ予告が出っぱなしだ。男が電話を切ると、入れ違うように萌絵の携帯電話が震えだした。
亀石からだ。
「居所分かりましたか。え? 南口のパチンコ屋?」
いま目の前にある店のことだ。
「年齢は? 二十歳ぐらい?」
萌絵はフィーバー男を見た。若い。学生にしか見えない。
「服装はフード付き白ダウンにカーゴパンツと茶ブーツと、革手袋……って」
目の前にいるフィーバー男が、まさにその
「まさかあなたが〝サイバラさん〟!?」
一拍おいて、フィーバー男がこちらを見た。
「なに、あんた」
「亀石発掘派遣事務所の者です。所長が迎えにいけって」
「あー……別にいいから。後で顔出すから」
「ちょ、よくないですよ。荷物うちに」
「いま、いいとこだから邪魔しないでくれる?」
「連れて帰れって所長に言われてるんです! もう充分出したでしょ。ほら、立って!」
「……っさいな」
「立ってってば、ほら! って、あっ」
大量の銀玉が、打ち寄せる波の如く、ざざーっとフロアに流れだした。「あーっ」と二人が叫ぶと同時に、店内は大騒ぎになってしまった。
*
「で、これがおみやげってわけ?」
事務所で待ち構えていた亀石は、
机の上には、景品のビスケットと珈琲が一ダースずつ。
その後ろには萌絵が「サイバラ」なる男と肩を並べて、ばつが悪そうに立っていた。
「こいつが邪魔しなきゃ、もっとあったんすけどね」
「なにその初対面なのにエラそーな態度。所長、このひと一体誰なんですか」
「そいつの名前は、
は? と萌絵は思わず、隣に立つ男の顔を
「この人が……うちのエース
若きエースは大きなあくびをしている。まだ大学生かそこらにしか見えない、このフィーバー男がうちのエース!? と二度繰り返して、萌絵ははっと気がついた。思い出したのだ。
〝西原無量〟
事務所に登録されている派遣発掘員の中でも、特に取得が難しい「レベルA」を獲得した技量の持ち主だ。Aクラスの発掘員は、優れた発掘技術と豊富な知識を持つとされ、発掘アドバイザーとして海外に招かれることもある。しかも、業界では「
「〝
「そうだよ。無量は今までに派遣された現場で、国宝級の重要遺物を次々と発見したもんだから、誰からともなく〝
「……別に。手柄でも何でもねっすよ。そんなん」
無量は居心地悪そうだ。萌絵も、同僚との雑談の中で、噂には聞いていた。
この事務所に「伝説の」派遣発掘員がいるという。
「あの、サイバラムリョウ? うそ。こんなに若かったなんて……ッ」
お坊さんみたいな名前だったので、てっきりベテラン(ご年配)と思いこんでいたのだ。
「いくつなんですか」
「二十一」
「って、あたしより四つも下? 計算合わないでしょ。いつから発掘やってるんですか」
「六年前から」
「六年前って言ったら十五じゃない。まだ高校生じゃ」
「無量は通信制高校で勉強しながら、ずっと発掘員をやってきた。計算は合う」
若いが、
「紹介しよう。こっちは永倉萌絵。半年前に入所したばかりだから、おまえが知らないのも無理ないな。今回の派遣は長かったし。白亜紀の恐竜化石を掘るのは、腕が鳴ったろう」
「まだ
突然の帰国指令に、無量はどこか不満そうだった。
「悪いな。どうしても、おまえに来て欲しいって、ご指名が入ってな」
上級発掘員ともなると、現場から時々名指しで派遣依頼が入ることがある。その分、指名料も上乗せされるわけだが、大抵はベテランの専門知識を買われてということになる。萌絵は無量をまじまじと見た。……このフィーバー男が?
「俺に指名、ですか」
「ああ、そうだ。おまえをご指名だ」
「……本当に俺でいいんスか」
念を押したのは、
「ああ。間違いなく西原無量、おまえだ。国内の指名は久しぶりなんだから、頑張ってこいよ。あと今回は、永倉。おまえにも行ってもらう。無量のマネージャーとして」
「私がですか? 出張手当は」
「がめついヤツだな。ちゃんとつけてやる。行き先は」
ここだ、と亀石は遺跡のパンフレットを差し出した。
「奈良県桜井市の
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