42 メディア部

 鹿島千歳が逮捕されたことはたちまち世間に報道された。彼が柳楽千歳という名前で過去、叶山高校に通っていたこと。頼成が受け持つ部活に所属していたこと。彼の家庭環境が複雑だったこと。

 目が回るほどの速さで事件に関する情報がメディアに溢れていった。

 なぜ千歳が恩師であったはずの頼成を殺したのか。この教師は教え子に何か恨まれるような酷いことでもしたに違いない。否、子どもの一方的な執念が招いた悲劇だ。

 名前のない評論家たちによる自由な討論が事件の話題を更に盛り上げる事態になっていた。


 中にはまったく根拠のない話も存在する。だが千歳が叶山高校に植栽業者として入り込み、頼成を刺したことは紛れもない事実となった。

 千歳は高校を卒業後、入学した大学を一年でやめ、しばらくはフリーターとして過ごしていた。名前が変わったのは高校卒業をしてすぐだった。

 彼は柳楽千歳から親戚の姓である鹿島を名乗るようになる。息を潜め、養父母にも顔を合わせず、地上にいながら地底を生きているかのようだった。

 ただどれだけ目立たぬことを意識しようと、千歳は高校時代の教師に対する恨みだけは着々と募らせていたようだ。


 彼が頼成への接触の機会を見つけたのは、ちょうどインターネットで”風鈴”の存在を知った時だった。

 娯楽を求めアクセスしたサイトで風鈴の投稿に興味を持ち、彼女のことを気にかけ始めたのはただの偶然だった。しかし彼女がうっかり投稿した写真を見たことで、この出会いは必然で、天命であったと千歳は確信した。

 プロフィールに大学生だと記載しているはずの彼女が投稿したその日の写真には、明らかに学校の制服だと分かるものが写っていたのだ。

 写り込んだ制服は、ただのコスプレ衣装の一つだと思えば不自然ではない。しかし千歳はそうは思わなかった。もちろん理由もある。

 彼女の部屋にある制服が、かつて自分が通っていた高校のものと酷似、いや、まさにそのものだったからだ。


 写り込みに気づいた彼女は数分も経たないうちに写真を削除したが、ほんの僅かな数十秒に巡り合った千歳は彼女への興味を強めていく。性欲や、愛情のためなどではない。体内に鬱血したまま留まり続ける怨恨が、激しく鼓動を打ったのだ。

 彼女のことを知るべく、千歳はSNSで見つけた適当な特定屋に依頼をし、”風鈴”の正体を探った。彼女が叶山高校の現役生徒だと言うことが判明すると、千歳の興奮は更に昂っていった。彼女の熱烈なファンを装い、高額な投げ銭も厭わずにとにかく彼女との接点を確保した。


 ”風鈴”の表の顔、生天目芙美は千歳の思った通り、彼に心を許したように自身のことを話してくれるようになる。大学生と名乗るからには過去の話という前提ではあったが、千歳は高校時代のことを根掘り葉掘り訊いた。どんな高校に行っていたの。先生はどんな感じか。やっぱり防犯意識は高いよね。


 太客である千歳を邪険にできない彼女は可能な限りで質問に答えてくれた。すべて、千歳の思惑のままだ。

 芙美からさり気なく高校の情報を得ながら、千歳は新しい仕事も始めていた。もともと植物の世話をすることは好きだった。心が落ち着き、生きることを赦されているように感じるからだ。

 叶山高校の植栽管理を担当している業者と契約し、見習いとして熱心に働くふりを続けた。それがちょうど、事件の八か月前のことだった。

 準備は整った。あとは、積年の恨みを晴らすのみ。



 「俺は、集団社会には限界を感じる。だから高校を卒業したら、山奥にでも引きこもりたいな」


 柳楽千歳は黒板にくっつくマグネットを片付ける頼成を横目で見やる。教師用の椅子に腰を掛けた千歳は開いた脚の間に手を置き、ぐるっと椅子を一回転させた。


「山奥も魅力的だが、俺はそれでも期待したいけどな。集団社会ってやつに」


 マグネットを手の平に乗せながら、頼成はまだやんちゃ心が抜けない大学生のようにくしゃりと笑う。


「それ、結局期待を裏切られるだけだよ。落ち込むのは先生だ。俺はおすすめしないね」

「その時はその時だ。そうしたら千歳、俺を慰めてくれる?」

「いやだね。俺は卒業したら、どうせ山奥に飛ばされる。そしたら先生たちともおさらばだ」


 千歳は頼成を憐れむ口調で言う。山奥に飛ばされる、というのは、彼なりに間違っていることでもなかった。父に嫌われていると自負する彼は、父が自分を自らの子どもだと認めてくれるのはせいぜい高校までだとぼんやりと理解していたからだ。

 卒業後は、子どものいない親戚夫婦の養子に出される。ここのところ彼らと顔を合わせる機会が増えたのも、明らかな前準備に違いない。


「随分とあっさりしてるな。俺は今でも高校時代の友だちと連絡、取りあってるぞ。過去を知る奴らとたまに会うのも悪くないものだ」

「それは先生だからでしょ。俺は勘弁」


 マグネットをすべて回収した頼成は机に置いた箱の中にすべてを入れる。彼のその動作を見た千歳はプロ並みのタイミングでため息を吐く。


「もう終わった? そもそも、なんで俺が先生の片付けに付き合わされてるの。さっさと帰らせてよ」

「おお。おお。強がるな。お前、そんなに家が好きだったっけ」


 頼成の見透かしたような軽い語調に、千歳は諦めにも似た眼差しを彼に向ける。


「千歳。お前、これまでの二年間部活にも入ってなかったよな。高校もあと一年で終わる。最後に、部活動ってものを体験してみないか? 意外と悪くないかもよ」

「なんで」

「特典として、家に帰る時間が遅くなる」

「でも面倒なことに変わりない」

「人間関係がか? それなら問題ない。メディア部は、まだ出来たばかりで人も少ないしな。みんないい奴だよ。千歳のことも歓迎するだろう」

「ネクラな死神って言われてるのに?」

「なんだそれ。千歳、お前死神だったのか」

「そんなわけないでしょ。目の下にクマができやすいからそう言われてるだけだって。暗いのは自覚してるし」


 千歳は右目の下にあるほくろの辺りを指差し血行不良によって生じたクマを頼成に見せる。が、頼成は千歳の自虐話を慰めるわけでもなく笑い飛ばす。


「俺も最近、クマが出来やすくなっちゃってさ。じゃあ、どうすりゃマシになるか、情報交換しよう。もちろん部活の時間に」

「俺にメリット少なすぎ」


 これは断ってもどこまでも追いかけてきそうだ。

 頼成の表情から柔らかな強制力を察した千歳は、もう一度ため息を吐いて観念する。


「分かった。ただ時間を潰すだけだからね」


 半ば無理矢理にメディア部に入部した千歳だったが、入って一か月も経たないうちに、部員たちのお気楽さと和やかな雰囲気にすっかりハマり、彼は入部した動機すら忘れてしまうほどにメディア部に馴染んだ。


 頼成との関係も、ただクマの情報を交換するだけではなくなっていた。彼が生徒のことを気にかけてくれることは嫌でも分かる。最初は億劫に感じていても、次第に反抗心も失せていく。

 まるで彼は神父のようだ。彼と話していると、どんな秘め事も話せてしまう。彼がちょうど心地のいい具合に話を吸収していくからだろうか。頼成はきっと、不思議な力を持っているのだ。千歳をはじめとした生徒たちは皆、彼のことを影で”ジーザス”と呼ぶようになった。

 彼になんでも話せて気が楽になる一方で、また絆されてしまったような悔しさも感じる。「ちくしょう、またあいつにやられてしまった」生徒たちは冗談めいてそんなことを言った。


 特に千歳は他の生徒と比べても頼成と話す機会が多かった。千歳が多くの悩みを抱えていたこともあり、頼成が彼にかまう時間が長かったのも一因だ。

 千歳の家は裕福で、事業に成功して財を成した父親は兄と姉と千歳の三人を男手一つで育ててきた。途中、何人かの恋人を家に連れてきたこともあったが、彼の心は亡くなった妻のことしか見ていないのは子どもたちにも明白だった。

 兄と姉はそのことを内心喜んでいた。自分たちの母親のことを一番に考えてくれている。それだけで、母親とのつながりを感じられるからだ。


 しかし千歳は二人と同じ気持ちにはなれなかった。

 母親が亡くなったのは自分のせい。千歳にしてみれば、自分が生まれるのと引き換えに死んだ母を想うことは苦しみしか感じない。そして父もまた、そこだけは同じ視点に立っていたようだ。

 父は愛する妻と引き換えに生まれてきた千歳のことを心から愛することができない。この末っ子が妻を殺したのだ。口にはしなくとも、彼の態度の端々から本心に触れることができた。


 成人するまでの間は面倒を見て、高校を卒業したら彼への義務から逃れたい。


 父の威厳たっぷりの眼差しは、少し先の未来ばかりに向けられている。それが千歳は息苦しかった。養子に出るのは構わない。けれど、一瞬でもいいから父からの愛を感じてみたかった。果てしない望みが首を絞め続け、いつからか千歳は鬱屈とした空気を纏うようになっていた。

 そんな彼もメディア部に入って頼成や仲間たちと打ち解けることですっかりと明るくなったが、一番見て欲しい人にその姿は見えていない。父は、完璧な兄と姉がいれば十分だったのだ。

 自身の家庭環境への不安を吐露した千歳に、頼成もまた彼の弱みを教えてくれた。情報は交換するもの。部活でいつも言っているように、それが頼成の信条の一つだからだろう。


「俺、蜘蛛が苦手なんだよ。小さいのならまだしも、ほら、映画でさ、部屋をうろつく大きな蜘蛛とかいるでしょ? あれ、本当に信じられない。俺なら呼吸困難で死んじゃうね」


 笑いながら情けない話を打ち明けた頼成に、千歳の信頼はますます彼へと傾いていく。


「みっともないな。先生、それじゃ山奥で生きられないっすよね」

「そうそう。だから千歳が山奥に行っちゃったら、会いに行けなくなるからやめてくれ」

「そんなこと言わず、会いに来てくださいよ」


 小気味よく笑う千歳の言葉に嘘はなかった。当時は本当に、そう思っていたのだ。

 千歳の頼成への信頼が崩れたのは、文化祭が近づいてきた肌寒い日のことだった。

 その日、メディア部のメンバーは教室に集まって文化祭での役割分担について話し合っていた。和気あいあいとした雰囲気は変わらず、千歳も普段通りに会合に参加していた。

 すると話題はちょっとした雑談から横道へ逸れていく。どうも部員の一人が、家族で経営する飲食店の先行きが不穏なようだ。家庭の空気が変わってしまったと悩む彼を励ますために、頼成や部員たちはさまざまな言葉をかけていった。


 千歳もはじめは彼に同情していた。家は子どもにとって地盤みたいなもの。地盤が揺らぐことが、どれだけ心を苦しめるか、千歳はよく分かっていたからだ。

 ただ、裕福で知られている柳楽家での自分の立場を恥じている千歳は、自身のことは人にはあまり話さなかった。不仲なことは教師陣には薄々バレていそうではあるが、頼成以外に千歳の家庭事情の詳細を知る者はいない。千歳が故意に隠しているのだ。

 頼成もそのことは知っているはず。しかし、次の頼成の一言で、千歳のそんなほんの僅かな矜恃はいとも簡単になきものにされた。


「千歳のところも家の事業はうまくいってるが、だからといって内部も穏やかってわけじゃない。父親ともあんまり仲は良くないそうだ。高校を卒業したら、山奥に飛ばされるかもっていうくらいだ。そのせいかもしれないが、千歳、去年まではあんなに暗かっただろ。でもこうやって変われるんだ。千歳はほんと、立派になったよな」


 誇らしげに自分を見る頼成の視線を、千歳はうまく捉えられなかった。

 彼は何を言い出したのだろう。

 前に座る部員たちの視線が一斉にこちらを向く。彼らには父親から大人しくしているようにと渡されたクレジットカードで散々楽しい思いをさせてきた。それなのに、何故、そんな憐みの目を向けてくるのか。まるで自分が施しを求める餓鬼のように錯覚する。


「だからな、お前も今、大変だろうが、家族を支えていかないとだめだ。お前の家はずっと家族仲が良かっただろ。環境次第で人は変わる。千歳はいい方向へ変わることができたが、このままじゃ、家の空気はずっと悪くなりかねない。踏ん張れ。互いを責めちゃいけない。きっと、乗り越えられるから」


 頼成の力強い言葉に飲食店の息子は勇気をもらったように涙ぐむ。仲間たちも次々に彼の肩を叩いた。

 けれど千歳は。千歳だけは、席から立つことができなかった。

 今、何が起きたのだろう。

 ぐるぐるぐるぐると、頼成の放った言葉が頭を飲み込む。


「なぁ、千歳」


 仲間の一人が、飲食店の息子を慰めながら不意に顔を上げる。心なしか、彼の表情には薄い笑みが滲んでいた。


「お前は心配する必要なんてないって。それに、もしそうなっても、山奥に行くなんて普通はできないぜ。贅沢な悩みだ。千歳は立派なお坊ちゃんだよ。親父に縁を切られるわけないだろ」


 嫌味なく笑う彼は、本当に悪気なく言っているはずだった。が、千歳の脳はそう解釈しない。

公にはしてこなかった家庭事情を思いがけず彼らに知られた。頼成にしてみれば仲間内でのちょっとした雑談にすぎなかったのかもしれない。気が緩んでいたから、心を許した面々に打ち明けてしまう。それは理解できる。でもそれは、自分自身が決めて実行することだ。


 頼成や仲間の口調は穏やかだった。彼らにしてみれば、千歳のことを褒めているつもりなのかもしれない。なのに、チクチクとした刺をもって自分を攻撃してくるのは何故だろう。

 悪気がないからと言って、すべてが許されるのか。


「ああ。そんなことないよな」


 千歳は顔を上げて無理矢理笑ってみせる。

 何かが体内で崩れる感覚があった。だがまだ、千歳はその正体を知らない。

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