41 青と黒
立ち入り禁止区域を出ても辺りは同じ敷地の公園内だ。時間の関係か、遊ぶ子どもや散歩をするペット連れの人は少ない。豊かな木々の間を抜け、透は整備された歩道を夢中で走る。前を行く鹿島の背中だけを追いかけ、周りに人がいるのかどうかさえ彼は見えていなかった。
「鹿島ッ! 逃げても無駄だ!」
呼びかけに応じるはずがないと分かっていても声を出したくなるのは何故なのか。透は無意識に出ていく自らの声に鬱陶しさすら感じていた。声を出すくらいなら、その分全速力で駆ける方に呼吸を捧げた方がマシだ。前にストーカーを追いかけた時を思い出し、遥か先を走っていた新太の背中が妬ましく感じた。
サバゲーのような対決なら体力面が劣ったとしても彼に勝てる見込みもある。
けれど純粋な身体能力や持久力で言えば新太には敵わない。息が切れるのだって、確実に自分の方が早いことは分かっている。だからといって、透に諦めるつもりは毛頭ない。呼吸が出来なくなっても、足の感覚を失くしても、意識が薄れようとも、今度の標的は逃すわけにはいかないのだ。
幸いにも、鹿島もそこまで体力に自信がある方ではないらしい。なかなか距離は縮まらないが、広がることもない。ここから先は、果てしない根競べになるはずだ。透がそう覚悟を決めた時、街灯に止まっていたカラスが気まぐれに羽を広げて飛び立っていった。
カラスが残していった羽根が視界を遮る。邪魔だとカラスに文句を言っても仕方がない。透が羽根を避けようと咄嗟に手を払った刹那、前を走っていた鹿島が何かにぶつかり横に崩れていく光景が羽根の隙間から見切れる。
「えっ⁉」
何が起きたのか分からず驚く透が鹿島が倒れた地点に近づくと、横たわる彼の足元にしゃがみこんでいる人間がいることに気が付いた。
「瀬々倉先輩……?」
制服姿の彼は鹿島のスニーカーの紐を解いて取っているところだった。風など吹いていなかったはずなのに、彼の髪には風に抵抗した名残りがある。透を見上げた青央は、今まさに取ったばかりの鹿島の靴紐を透に渡す。
「これで手を縛れ」
「え。はい」
有無を言わさぬ目力があった。言われるがままに靴紐を受け取り、透は情けない顔をして伸びている鹿島の手を縛る。その間、青央はもう片方の靴紐を解いていた。
「先輩。さっき、よく見えなかったんですけど……。もしかして、先輩が鹿島を?」
青央は何も答えずに解いた靴紐で今度は鹿島の足を縛り始めていた。
「…………先輩、保護観察中じゃないんですか?」
「頼成のためならそんなの関係ない」
足をきつく縛りながら青央が淡白に答えた。やはり彼が鹿島に一撃を食らわせたようだ。校内で噂されていた青央の喧嘩強さもまた、偽りでもなかったことが証明された。
鹿島を縛り終えた青央は立ち上がり際に透を見やる。険しい流し目だが、不思議と怖くない。
「お前たちが妙な動きをしてるのを見かけたから、少し観察してた。悪いな」
「いえ。むしろ、助かりました……。ありがとうございます」
「礼を言われるのはやっぱ、落ち着かねぇな」
青央はこめかみのあたりを掻きながら面倒くさそうにそう呟く。
「じゃああとは頼んだ。俺は警察が来たら困るし」
「はは……やっぱ、少し無理したんですね」
「礼を言われるのは苦手だが、案外、言うのには抵抗がねぇな。多分、あいつのせいだ」
透が青央の表情に視線を流すと、彼は今度こそ透と目をしっかり合わせた。青央の語調が変わったように聞こえたのは、心拍数が落ち着きを取り戻したからだろうか。透は青央の瞳を興味深く見やる。
「ありがとな。これで俺も少し、気が晴れてくるかも」
「……はい」
彼の素直な言葉に透は微かに口角を横に開いた。
「目白ー!」
透のことを呼ぶ友人の声が背後に迫ってくる。振り返れば、瑞希がぜえぜえ息を切らしながらこちらに向かって駆けてきていた。
「じゃあな」
瑞希の姿を確認した青央はそれだけ言い残して透に背を向ける。透が彼に声をかける暇もなく、追いついた瑞希が透にべたっと寄りかかってきた。どうやら走ったことにかなり疲れているらしい。彼自身も体力がないことを常日頃からぼやいている。
「こ、これぇ……ばっちり、撮れたよぉお……!」
呼吸を整えることも待たずに瑞希は手に持っていた小さなカメラを透に渡す。
「ありがとう。新太たちは?」
「生天目さんが救急車と警察を呼んだから、そのうち来るはずだよ。二人もこっちに向かってる。桜守は今のところまだ意識もあるし、めちゃくちゃ元気だよ」
目の前に倒れている鹿島を見下ろし、瑞希は水辺の生物を観察するように近くに落ちている枝で彼をつつく。つついても無反応なところを見た瑞希はほっと溜息をもらす。
「さっき、瀬々倉先輩がいた?」
「……どうだろ」
くるりと顔を回して訊ねる瑞希に、透は肩をすくめてとぼけてみせた。
しばらくして、芙美に支えられた新太が二人のもとへやってくる姿が見えてきた。心配そうに新太を見やる芙美に対し、彼はにこにこ笑いながら「大丈夫だって」と声をかけ続けている。
「桜守ー。本当に大丈夫なのー?」
わざとふざけた調子で新太に絡む瑞希とすれ違うようにして芙美が透の傍に寄る。
「目白くん。これ」
彼女が差し出したのは透のスマートフォンだ。鹿島と話している時に新太のスマートフォンと通話していたのは透のスマートフォンだった。彼女のスマートフォンが自由に使えないのは不自然なので、彼との会話を記録するために事前に渡していたものだ。
「ん。生天目こそ、本当に大丈夫? 無理しなくていいから」
スマートフォンを受け取りポケットにしまった透はまだ顔色の悪い彼女の顔を覗く。
「うん。ありがとう。でも、今は本当に、大丈夫だよ」
色の薄くなった唇で笑う芙美は、地面に横たわる鹿島にそっと目を向ける。
「これで、警察の人も信用してくれるかな?」
「ああ。瑞希が滑り台に隠れて撮った動画と、二人の通話を録音した記録があれば……きっと」
瑞希とじゃれている新太の緊張感のない表情を見やり、透は確信に満ちた声で笑う。すると、遠くの方からいくつものサイレンの音が聞こえてきた。
「あ! ようやくお出ましだよ」
瑞希が嬉しそうに音のする方面を向く。透は鹿島を監視に向かった瑞希と入れ替わるようにして新太の隣に並ぶ。
「あ」
「なんだよ?」
透の独り言に近い声に新太が首をひねった。
「ボタン、ついに取れちゃったね」
新太の制服のシャツの第二ボタンを指差し、透がくすりと笑った。
「あっ。ほんとだ。やっべ。どこに落とした?」
「さぁ? 揉み合ってた時じゃない?」
「うわー。予備のボタンってあったかな。最悪なくてもいいけど、式典の時とかはちゃんととめろって言われるじゃん?」
「すぐに直さないからこうなる」
「今は正論よりも慰めてくれよー」
新太の血が滲んだ方の腕を見やれば、芙美がやったのかタオルがぐるぐるに巻かれていた。
透がじっとタオルを見ていると、新太は彼の視界から腕を隠すように上半身を乗り出し笑顔を見せる。
「まっ。警察の驚いた顔が、今は一番の特効薬になるかもなっ」
見事なしてやったり顔をする新太。透はぞろぞろとこちらに向かってくる大人の群れを見やり、「そうかも」としたり顔を返した。
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