37 手探り

 柳楽の正体が掴めないまま、その日の新太たちは解散することになった。

 彼が学校生活を過ごし、頼成とともにいた時間を知っている加賀から得た情報はむしろ彼のことを疑る自分たちを否定するようなものだけ。


 芙美は具合が悪そうな顔をしたまま彼らと別れ、柳楽の話題を口にすることはなかった。恐らくまだ整理が必要なのだ。新太たちは彼女の複雑な心境を汲み、せめて今日が終わるまではこれ以上の言及は止めようと無言で締結する。


 帰り道、新太は透と会話をしながら目線はずっと手元を見ていた。夢中でスマートフォンに何かを打ち込む新太の姿に透は訝し気な眼差しを向ける。何をしているのか訊ねても、新太は「いいからいいから」と言って笑うのみだった。


 家に着いた新太はスマートフォンに集中したまま真っ直ぐに自分の部屋に入っていく。扉を閉めた彼の背中にため息をつき、透もまた自室の扉を閉めた。

 バックパックを適当な場所に置いた新太は、今まさに返ってきたメッセージの返事に釘付けになる。彼には透との会話を疎かにしても話したかった相手がいた。彼女は学生ではないからまだ仕事中だ。新太が送るメッセージへの返信もすぐに来るわけではない。それでも少しづつやり取りを進めていけば、待ち望んだヒントに辿り着くことが出来るのだ。


〔そういえば前に英紀に自慢されたことがあったよ。ある生徒の意欲を引き出すことが出来た。ってね〕


 メッセージを返してきたのは以前、連絡先を聞いた鈴巻羽月だった。頼成の高校時代の友人で、彼とも親しかった人物だ。新太が持つ最後の切札でもあった。

 メッセージを見るなり新太はベッドに座り込んで真剣な眼差しで先を読み進める。


〔確か生徒さんはお金持ちの子どもだった気がする。でも家庭事情が複雑で、問題を抱えていたから内気で退廃的な考え方をするから心配だって英紀が飲み会でぼやいてた。最初にそれを聞いてからしばらくして、英紀と連絡を取ることがあったからついでにその子はどうなったのって訊いてみた。そしたら、俺が顧問をしてる部活に入って、それから上手くやってるよ、って教えてくれたんだ。英紀は世話好きだから、放っておけなかったんだろうね〕


 鈴巻は仕事の合間を縫って返事をくれた。鈴巻も新太からの連絡を気にしていたようだ。細々としたやり取りが続いた後、一息ついたら思い出したことを送るね、と言ってくれた通り、彼女はしっかりと新太の質問に応えてくれた。


〔メディア部に入って人が変わったように明るくなった生徒のことを頼成先生から何か聞いていませんか?〕


 新太が最初に送ったメッセージから一時間が経過していた。


〔どうだ。やるだろ。みたいな感じで自慢してきたから、教師として上手くやってるんだねって返した記憶がある。でも、そのことがどうかしたの?〕


 文の最後には素朴な疑問が添えられていた。新太はどう返すべきかと悩み頭を掻く。が、下手な嘘をつくよりは素直に回答した方が厄介はない。


〔頼成先生の事件に関わっているかもしれないんです。ほかに、彼について何か知っていたりしますか?〕


 とはいえ鈴巻はあくまで頼成の友人にすぎず、当時の学校のことを知っているわけではない。その前提を新太が忘れたわけではなかった。ただ、彼にとって当時を知るための頼みの綱は彼女しかいない。別の教師に訊いても恐らく加賀と同じ返ってくるだけ。滅茶苦茶だとは思いつつも、新太は希望を捨てることができなかった。


 何らかの事情で名前が変わっていたとしても、事件の日に矢嵜造園の作業員として柳楽が学校の敷地内にいたことは確かなのだ。あとは頼成との因縁が何か見つかれば、彼が重要参考人となり得る重大な手掛かりになる。

 制服を着替えることも忘れ、新太は鈴巻の返事を今か今かと待つ。すると、先ほどよりも早い間隔でメッセージが届いた通知が鳴る。すかさず画面を操作して、新太は息継ぎも曖昧にアプリを開いた。


〔ごめんなさい。英紀が一人の生徒の性格を変えた、ってことしか私は知らなくて。事件に関わってるかもしれないってことで、力になれないのがとても悔しいのだけど……〕


 泣き顔の絵文字が二つ並んでいる。

 悲し気な顔を見るなり、新太は呻き声を上げてそのままベッドに仰向けになった。


「だめかぁ……」


 両腕を広げた新太は大きな息を吐いて苦虫を嚙み潰したような顔をする。

 柳楽と事件を結びつけるきっかけを探ろうと思ったのに、出てくる証言は無情にもどれも狙いとは真逆のものばかり。新太の脳裏には警察署の前で見た青央の表情が浮かぶ。もし、柳楽も青央と同じく頼成に良い影響を受けていたのなら。やはり柳楽が犯行に関わっているという線は消えてしまう。

 鈴巻とのメッセージ画面を閉じれば、ざっと並んだ連絡先の一覧が新太の視界に広がる。


 頼みの綱が絶たれた新太の瞳はもどかしさに憂う。心ここにあらずといった様子だった。彼は何も考えることもなくただなんとなく画面をスクロールしていく。出てくるのは見慣れた仲間の名前ばかり。

 そういえば最近は彼らと遊ぶ機会が減ってしまっていたことを思い出す。事件のことばかり気にかけていて楽しいことに挑む気力が湧いてこなかったのだ。完全に行き詰まり、壊せそうで壊せない壁にぶち当たった今、妙に彼らのことが恋しく思えた。


 しかし次に出てきた名前が目に飛び込んでくると、新太は思わず指を止めた。

 生天目芙美。一緒にサバゲーをした日に連絡先を交換したきり、あとはほとんどメッセージを送り合うことはない。新太のスマートフォンを持つ手から力が抜け、端末はぽとりと虚しい音を立ててベッドに落ちる。

 最後に見た芙美の生気のない表情が瞳に蘇り、新太は真っ直ぐに天井を見つめた。


 彼女に頼めば、もしや。

 微かな希望が胸をそっと照らす。けれど決めるのは彼女。警察署に行った時と同じで、彼女の意志の通りでなければ、強引に押し進めることはできない。また背中を押すことは可能かもしれない。だがいずれにせよ、彼女にしてみれば酷な選択になる。


 自分を応援してくれていた熱心なファンが、もしかしたら自分のストーカーで、学校の事件にも関わっていたかもしれないなんて。

 もうこれ以上精神を疲弊させたくない彼女を頼るのは望みが薄いだろうか。

 新太がぼんやりとそんなことを考えていると部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。


「透?」


 ノック音が四回続くのは透だけ。身体を起こした新太は扉の向こうに問いかける。


「そう。今、ちょっといい?」


 扉を開けてひょこっと顔をのぞかせたのはやはり透だった。彼は既にいつも家で見るラフな私服に着替えていて、しわくちゃになった制服のままでいる新太を見るなり顔をしかめた。


「いいけど、どうかしたのか?」


 扉を閉めて近くの椅子に座り込んだ透は新太の声をよそに彼の傍らに落ちているスマートフォンに目を向ける。


「いや。そのさ。今日のこと、やっぱり引っ掛かってて」

「柳楽千歳のこと?」

「そう。俺にとってはメディア部の先輩だけど。まぁ、卒業した先輩たちと交流なんてないし、彼にしてみても俺はただの他人だけどさ」


 透は視線をスマートフォンから新太に移す。


「だけど、警察からも作業員の一人が卒業生だったなんて話、一回も出てこなかったし、なんか不自然だなと思って」

「矢嵜造園の人もそんなことは一切言ってなかった。もし俺が卒業生の立場だったら。しかも関わりのあった先生が殺されたなんて話を聞いたら。動揺して、誰かに言っちゃいそうなんだけどな」


 透も同感なのか新太の発言にこくりと頷いた。


「だから、柳楽千歳って人は何か事情があって過去のことを隠しているのかもって思ってさ」

「今は鹿島だ。やろうと思えばできなくもないな」

「うん。加賀先生の話の通り、名前の変更には事情があったんだとは思う。それをうまいこと隠れ蓑にしてるのかも」


 新太が透の見解に軽く同意をすると、透は眉をひそめながら今日見た卒業アルバムに思いを馳せる。


「彼が卒業生であることは警察も造園の人も知らない。彼らはある意味で部外者だ。当然、メディア室の鍵をかける術もない。だから彼らが無関係だ、ただ仕事をしていたただけなんだといえば深く追求もされないだろう。それよりも都合のいい容疑者が学校内にいるんだし。突き通そうと思えば嘘をそのまま真実にできる立場ではある」

「監視カメラにも不審者は映ってなかったしな」

「うん。……でも」


 新太が何気なく監視カメラのことを呟くと、透が神妙な眼差しで彼を見つめる。数秒後、新太がハッと息を飲み込んだ。二人の声が重なり合い、一つの可能性が導き出された。


「元生徒であれば、監視カメラの死角も把握してる」


 二人は深い呼吸を続けたまましばらく無言で互いを見る。どうやら考えていることは同じようだ。


「さっき、先生の友だちに聞いてみたんだ。でも結局、加賀先生と変わらない。柳楽千歳の動機が見えてこない。むしろ彼を擁護する理由の方が多いくらいだ。根拠がなかったら、警察だって相手にしないよな?」


 新太は切羽詰まった様子で迷路の出口を探そうと透に問いかける。


「たぶん。しかも俺や新太の言うことなんて余計に怪しまれそうだ。俺への容疑を晴らしたいだけだって」

「やっぱそうだよな」

「だけど」


 落ち込む新太とは対照的に、透には何か別の手立てが見えているようだった。彼は凛とした態度を崩さぬまま口角を持ち上げる。


「”先生側”とは違う経路だって、まだ絶たれたわけじゃない」


 まるで何か面白い計画が思いついたかのような透の笑みに新太は瞬きを返す。

 聞いてすぐは芙美のことを言っているのかと思っていた。

 しかしその見立ては違った。彼の言う”経路”が一体何だったのか。新太は翌日のランチを迎えるまでに知ることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る