36 ライブラリー

 翌日、放課後を迎えた新太と透は早速図書室へ繰り出す。事情を聞いた瑞希と芙美も同行する。

 図書室の一番奥にある目立たない棚は、普段、生徒たちが来ることもほとんどない。そんな極端に人の気配がない棚の前で、四人は次々に卒業アルバムを開いた。

 疑惑の鹿島探しのヒントとなったのは昨日透が見た学報の発行年度だ。ちょうど六年前の年のもので、新太たちはその年を中心とした前後三年間の記録を辿る。


 人があまり来ないことと、ちょうど棚の前の通路の間隔が広かったことから、四人は周りの目など気にすることもなく床に座り込んでそれぞれの担当アルバムに目を通す。

 待ちわびていた財宝にもうすぐ手が届く。新太と瑞希は冒険に出た海賊にでもなった気分になって、アルバムの写真を追う眼差しにも力が入っていく。

 実際にはそんなに美しいものでもないが、難問の答えに手が届く感覚はどんな理由がそこにあろうと高揚感を誘うようだ。


 一方の透と芙美は二人と同じ興奮を抱くことはできず、特に芙美は砂の城が少しずつ波にさらわれていくように、ページをめくるたびに心が擦り減っていく感覚に撫でられる。

 透はいつも通り変わらず冷静な雰囲気を崩さないまま、着実に生徒の顔写真を目でさらっていくことに集中していた。

 冊数としては少なくても、各ページに並んだ生徒の顔をずっと見ていると、どれもが同じ顔に見えてくる錯覚に襲われていく。新太はぼやけてきた視界をスッキリさせようと強く瞬きをする。


「いつか僕たちも、こうやって知らない後輩たちにアルバムを見られたりするのかなー」


 瑞希があまり嬉しくなさそうな声で嗤う。


「見られるようなことをしなければ大丈夫だって」


 知らない後輩が自分たちの卒業アルバムを開いて勝手な感想を言い合うさまが脳裏に浮かび、新太は弱気な笑顔で瑞希を励ます。


「あ」


 新太と瑞希がまだ見ぬ後輩たちへの不安を抱いていると、黙々と作業を続けていた透が口を開く。三人の耳は微かなその声を拾い、敏感に透の方へ視線を向ける。


「これ。この人、もしかしたらそうかもしれない……でも」


 開いたページを眺めながら透は声を濁す。歯切れの悪い彼の言葉に、先が気になった新太は身を乗り出して透からアルバムを奪う。


「名前が、鹿島じゃないんだよね」


 奪ったアルバムを膝に乗せて開く新太に向かって透が先の言葉を告げる。


「……柳楽千歳やぎらちとせ?」


 新太の呟きに瑞希と芙美は両脇から彼が見ている写真を覗き込む。三人の注目を浴びる生徒の写真は、周りのにこやかなクラスメイト達よりも笑顔はぎこちなかったが、それでも年相応の初々しさに溢れていた。

 髪型はこれまで見てきた鹿島の写真のどれとも異なる。髪型などあてにならない。三人が真っ先に確認するのは彼の右目だった。


「ほくろが三つ……」


 瑞希が神妙な声を出す。新太の隣からは芙美が息をのむ音が聞こえてくる。新太がちらりと彼女を見やると、芙美はまるでメデューサに見つめられたかの如く、柳楽千歳の顔を見たまま固まっていた。


「鹿島は偽名ってこと?」


 もしかしたら偶然、ほくろの特徴が一致しているだけの別人かもしれない。その可能性は捨てないまま、新太は向かい側にいる透に訊ねてみる。


「もし彼が同一人物なら、本名は柳楽ってことになると思う。改名とか、何か事情があったりしたのなら偽名とは言えないけど」

「だよな。でも、どうしてそんなこと」


 新太はもう一度柳楽の写真に目を落とす。ほくろだけではなく、目元や眉の造形が矢嵜造園で見た鹿島の顔と酷似している。彼は本当に鹿島なのか。はたまた自分や透のように事情のある鹿島の兄弟か。新太はいくつもの推測を頭で巡らせながらアルバムのページをめくっていった。


 各クラスのページが終わると、次に出てきたのは課外活動をまとめたページだった。部活動に委員会、行事の記録なんかも載っている。

 彼が鹿島だと言える証拠があるのか、柳楽千歳という人物が他の写真に写っていないかを探す新太はある一枚の写真に目を留めた。そこに彼が映っていると気づいた瞬間、新太の呼吸は思わず止まる。隣で同じように写真を巡っていた瑞希と芙美もそれは同じだった。


「透…………これ……」


 一人、まだ写真を見てない透に向けて新太は開いたページを見せる。すると、伏せかけていた透の目がみるみるうちに見開いていった。


「これ……って…………メディア部の写真?」


 透は新太からアルバムを受け取り、強張った声で三人に答えを求めた。三人は黙ったまま同時に頷く。

 透の視線の先に映るのは、数名の生徒たちと顧問の教師が笑顔で写っている写真だった。仲が良いのか互いに肩を組み、見ているだけで雰囲気の良さが伝わってくる。


 柳楽千歳は端に立ち、隣の生徒に力強く肩を組まれながらも笑っていた。一直線に視線を左にずらせば、彼らを率いていたであろう顧問の姿が残されている。

 頼成英紀。

 鹿島が学校で仕事をしていたあの日、自らが受け持つ部の活動時間に殺された教師だ。



 複数名の派手な足音が廊下を駆けていく。すれ違う生徒たちは、彼らの青ざめた形相にぎょっとしながらもその異様さに道を開けていった。


「加賀先生ッ‼」


 職員室の扉を勢いよく開けた新太が叫んだのは、唯一このことを相談できる教師の名前だった。


「桜守くん? と、みんなも……。だめじゃない、そんな大声出しちゃ──」


 ちょうど自分のタンブラーにコーヒーを淹れたばかりの加賀はマシンの前で立ちすくむ。自分を見つめる四人の生徒の眼差しが妙に胸を痛めつけてきた。

 驚く加賀や居合わせた他の教師の反応などものともせず、新太はずんずんと職員室へ入っていく。途中、体育教師に止められそうになった。だが派手に登場した無礼を透が咄嗟に詫びると、彼は新太から手を離す。ただ事ではない彼らの様子を察したのか、その後で何かを言ってくる者は出てこなかった。


「加賀先生。あなたにしか訊けなくて。お時間、いただけますか?」


 タンブラーを持ったままぽかんと目を丸くしている加賀の前に立ち、新太は深々と頭を下げる。周りの視線が一斉に二人に集まっていく。加賀はそれらの視線を見回し、何度も頷いた後でタンブラーを近くの机に置いた。


「分かったから。ほら、こっちにいらっしゃい」


 他の三人が待つ職員室の扉まで新太の手を強引に引き、加賀は最後に愛想笑いを室内へと向ける。


「みなさま、お騒がせしました」


 騒然とした空気を上書きするにこやかな表情と明るい声は見事だった。それだけを残し、加賀は職員室の扉をしっかり閉める。


「一体どうしたのみんな。なんだか体調が悪そうだけど、大丈夫なの?」


 近くの空き部屋に四人を押し込んだ加賀は、怪訝な眼差しで彼らの顔をじっくりと見ていく。


「あの。頼成先生の事件のことで。加賀先生以外の先生には、ちょっと相談しづらくて」


 瑞希が申し訳なさそうに頭を掻きながら事情を話す。


「事件のこと? あなたたち、まだそのことを調べているの?」


 大きなため息を吐く加賀は明らかに呆れていた。それでも新太は話を続けるために瑞希と目配せをする。


「図書室で、卒業アルバムを見ていたんです。それで、この人を見つけました。今は鹿島という名前ですが、五年前のこの時は、柳楽という名前です」


 新太が話を始めると、透が手に持っていた卒業アルバムを開いて加賀に見せる。加賀は眉をひそめたまま柳楽千歳の写真に目を向けた。


「ええ。この年の卒業生のことは覚えているわ。ちょうど私が新任の時ですごく思い出深いから。それで、この、柳楽くんがどうかしたの?」

「はい。彼は矢嵜造園で働いています。といっても、社員ではなくフリーの契約みたいですが」


 新太がそこまで言うと加賀の顔つきが変わる。


「矢嵜造園、って、うちの学校がいつも依頼しているところだわ。確か、あの事件の日も」


 顎に手を当てて考え込む加賀を見た新太は今度は透と目を合わせた。少し前までは生徒たちの憧れを一身に受けていた彼女。流石は頭が回るようだ。


「鹿島、って、名乗っているの?」

「はい。そうです」


 新太が念を押して頷く。すると加賀の眉が寂しそうに下がった。


「そうなのね。鹿島というのは、彼の親戚の苗字よ。ちょうど、高校に通っていた時も彼は家庭事情に悩んでいたみたいでね。もしかしたら両親から離れることになるかもって。ちょっと心配してたのよね」


 加賀からの思わぬ情報に一同は互いのことを視線だけで見合う。


「今は鹿島ということは、きっと、その通りになってしまったのね」


 加賀一人だけは四人とは違う意味で落胆しているように見えた。彼に同情でもしているようだ。彼に何があったのか事情は分からない。けれど新太は話が逸れてしまわぬように続けて訊ねる。


「この柳楽さんって、どんな生徒でしたか? 頼成先生のメディア部に所属してたみたいなんですけど……」

「え? ああ。そうね。まだメディア部が出来て間もない頃だったけど、三年に上がってすぐに柳楽くんもメディア部に入ったのよ。最初の頃は家庭の悩みもあってちょっと暗い、あまり活発な子ではなかったの。だけどメディア部に入ってからはね、どんどん意欲的で明るい生徒になっていったのよ。短期間であまりにも成長するものだからすごく印象的で覚えてる。頼成先生とも仲が良くて、信頼しているようだった。事件の日に、学校に来てたということだけど……きっと、恨みなんてないはずよ」


 加賀は四人が柳楽に不審な思惑を向けていることを察し、最後にそう加える。


「そう、ですか」


 当時の空気を四人が知ることなど出来ない。加賀の言う通り頼成との関係が良好であったのなら、それこそ彼は今回のことを誰よりも嘆いている可能性もある。だがそれもただの憶測。今、この場で思いつく答えはすべてまやかしにすぎなかった。


「ありがとうございます。その……ご面倒をおかけして」

「いいの。気にしないで。頼ってもらえたことは嬉しいから。本当よ?」


 新太の詫びに加賀はゆっくりと首を横に振った。四人の顔を順番に見た彼女は息をこぼして微笑む。


「ふふ。あまり思いつめすぎるのも良くないわ。みんな、たまには息抜きするのよ?」

「……はい」


 加賀の言葉に頷きつつも、四人の暗い表情は変わらない。心に蔓延る靄を消し去る術など彼らは持ち合わせていなかった。鹿島改め柳楽が芙美とのかかわりがあることは確かなのだ。おまけに発覚してしまった頼成とのつながり。いくら加賀が否定しようとも、彼への疑念を払しょくすることなど難しかった。


 だが、希望がすべて消えてしまったわけではない。

 心をどうにか奮い立たせ、部屋を出ていく加賀の背中に頭を下げながら、ポケットに入れた頼みの綱であるスマートフォンを握りしめる。

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