35 手伝いの功
「たーだいまー」
玄関の鍵を閉めると、畳んだタオルの山を手に持った母がちょうど洗面所へ入るところだった。
「あら。お帰りなさい新太くん。夕飯、用意してあるから温めて食べてね」
「良い匂い。もしかして牛丼?」
「ええ。そうよ」
彼女が朗らかな笑みを見せれば、新太は小さくガッツポーズをする。
「さっさと着替えて食べに行きまーす」
軽やかに階段を駆け上がり、新太は母に向かって敬礼を送った。新太の母になってまだ間もない彼女は、そんな元気な息子の姿を微笑ましく見守ってから踵を返す。
「透っ。ちょっと失礼してもいい?」
階段を上がって新太が一番に足を向けたのは透の部屋だった。閉まっていた扉を二回ノックした後、彼の返事も待たずに扉を開ける。
「なに?」
許可する前に彼が部屋に入り込んでくることは透ももう承知していた。机の前で勉強していた透はつけていたイヤホンを耳から外し、遠慮なくベッドに腰を掛ける新太を見やる。
「今日さ、瑞希と芙美ちゃんと矢嵜造園に行ったんだ。それでさ──」
「え? どこに行ったって?」
肩から下ろしたバックパックを床に置き、ガサゴソと中を漁る新太の言葉を透が遮る。聞き間違いではないかと耳を疑う透の表情からは驚きが窺える。
「矢嵜造園だよ。事件の日に学校の木を整備してた人たち」
外側のポケットを開け、スマートフォンを見つけた新太は指を鳴らしてそれを手に取った。続けて屈めていた身体を起こして透の呆気にとられた顔に笑いかける。
「でさ、あの日学校に来てた作業員の中に、芙美ちゃんとつながりがある奴がいたんだよ」
「は? 生天目と?」
事件の話をするのかと思えば急に芙美の話題へと飛躍した新太の意図が読めず、透はますます眉根を寄せていく。
「そうそう。ほら、この人。芙美ちゃんに写真共有してもらったんだけどさ。この人が叶山高校に来てたのは確実っぽいんだよな」
新太に差し出されたスマートフォンを受け取り、透は画面に視線を落とす。写っているのはマスクをした男の顔だった。右目の下にある三つのほくろが特徴的で、無意識のうちにそちらに目が行く。
「造園で見せてもらった写真の名札では鹿島って書いてあった。どうも芙美ちゃんのファンっぽくて、実際に二人はメッセージを送り合ったりしてやり取りをしてた」
「それって、あの、サイトの?」
「ああ。そうだ。芙美ちゃんなりのファンサービスだってさ」
新太は苦い顔をして笑う。
「で。芙美ちゃんは大学生って偽ってるけど、この鹿島って人は彼女の正体に気づいてたんじゃないかな。それか、何か証拠を見つけて疑っていたとか。それで裏バイトで人を雇って探偵まがいみたいなことをしてたのかも。ようはストーカーな」
ベッドに手をつき体重を後方に預けた新太は天井を見上げて疲れた様子を見せる。
「話を聞いてた瑞希もその線はあり得るって言ってた。あ。言っとくけど瑞希はサイトのことは知らないからな。でも、ネットで知り合ったって聞いて、珍しい話でもないだろってさ。芙美ちゃんはあんま乗り気じゃなかったけど、こいつのことを調べればストーカーについて何か分かるかもしれない。瑞希は協力してくれるって。なぁ。透はどう思う?」
やけに静かな部屋の様子に新太は見上げていた顔を正面に戻す。さっきからやたらと自分の声だけが耳に届くせいで、無反応を貫く透が話を聞いているのか不安に思ったのだ。
新太が彼の方を見ると、透は写真を見つめたまま微動だにしていない。何も言わないことには変わりないが、話はちゃんと聞いているようだ。
「透、どうかした?」
彼の奇妙な沈黙に違和感を覚えた新太は首をひねる。すると透はスマートフォンから目を離して真剣な面持ちで新太の方を向く。
「この人の顔。今日、図書室で見たかも」
「へ?」
想定外の透の発言に新太は間抜けな声を出す。
「今日、放課後、秦野の選挙の手伝いをしてた時だ。生徒会長になるからには教師の好感も得たいって秦野が言うから図書室で学校の過去の記録を探ってたんだよ。学校の歴史を熟知して、他の候補者とは違って伝統も大事にしますって姿勢を見せたいらしくて」
「サシャは抜け目がないよなぁ」
サシャが気合いを入れて書物を漁る姿が容易に想像でき、新太は感心したように肩を脱力させる。
「まぁそれは俺も思う。それはそうとして。その時にさ、過去の学報が出てきた。俺が見たのはちょうど文化祭のレポートだったかな。文化祭の様子を記録した写真が何枚も掲載されてて、その中に、この人が映ってる写真があった」
「透、それ本当か?」
淡々と話す透が嘘をついているとは思わない。それでも思わずそう訊き返してしまうくらい、新太には信じ難い発言だった。
「間違いないよ。このほくろ、特徴的だからよく覚えてる」
「ってことは、この鹿島って人はうちの高校の卒業生なのか?」
前のめりになった新太がごくりとつばを飲み込んだ。
「それは分からない。写真では顔がよく写ってはいたんだけど、写真を撮っているグループの傍を通りかかった人間が偶然写り込んだって感じだったから。生徒なのかは明言できない」
「服装は?」
「制服は着てなかった。私服みたいな感じ。でも出し物によっては生徒だって色んな格好をするだろ?」
「そうだな。俺も今年はずっとスーツを着せられてたし」
「……スパイ喫茶?」
透が薄笑いを浮かべると、新太は遠慮がちに視線だけでその眼差しを止めるように訴えかける。透はくすりと笑いながら軽く咳払いをした。
「とにかく。生徒だって可能性も捨てきれない。明日、改めて確認してみよう」
「ああ。その価値はありそうだ」
透がスマートフォンを返してきたので新太は答えながら受け取る。
「図書室には過去の卒業アルバムがしまってある。あの文化祭付近の年のやつを探れば何か分かるだろ」
「だといいけどな」
新太が消えたスマートフォンの画面を見つめていると、透は開いていた参考書を閉じておもむろに立ち上がった。
「じゃ、そろそろ夕飯食べよ。ずっと勉強してたから、だいぶお腹が空いてきた」
「ああ。そうだな」
口では同意しながらも新太はまだベッドに腰を掛けたままだ。部屋の扉を開けた透はまだ何か懸念があるのかと気になり彼を振り返る。新太はスマートフォンをバックパックに放り込み、視線は下に固定したまま口を開く。
「本当に、鹿島って人が芙美ちゃんのストーカーの真犯人なのかな?」
不可解な思いを絡めた新太の声色に、透はドアノブから手を離す。
「まだ、何も分からない。けど、もしかしたら解決できるかもしれない。新太、許せないかもしれないけど、怒るのはもう少し後に取っておきなよ」
「……ああ」
低い声が返ってきた。透は扉を完全に開いて部屋の電気を消す。
「ほら。早く下に行くよ」
透に促されて目を向ければ、廊下の照明が逆光になって透の表情には明暗が混ざっていた。しかし彼の眼差しが自分を気遣っていることははっきりと伝わる。新太はバックパックを手に立ち上がり、透に続いて部屋を出ていく。
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