33 前を向け

 教室を出ると満面の笑みが目の前に広がった。待ち構えていたのか、こちらを見つめる彼の眼差しは爛々としている。


「瑞希。待たせて悪いな」

「いいっていいって。そっちのクラスの担任はいっつも話が長いからなぁー」


 新太がバックパックを肩にかける様子を観察しながら、瑞希は晴れ晴れとした返事をした。


「それよりも。事件の日の業者と連絡が取りたいって、どういう風の吹き回し?」


 次々と教室を出てくる生徒たちにぶつからないよう、二人は廊下の窓際に寄りながら会話を続ける。


「警察は今、また校内を疑ってるだろ。ならこっちは校外の人間を疑うまでだ」

「ふーん。同じ方向を見ていても仕方がないってこと? 桜守にしては考えたね」

「ああ。俺は諦めることが苦手なんでな」


 やけに得意気な表情をする新太の横で、瑞希はスマートフォンで何かを検索し始めた。彼が準備をしている間、賑やかな教室の扉を振り返った新太はまさにそこを通ろうとする人物に声をかける。


「芙美ちゃん。今日、透はサシャの手伝いで遅くなる。俺たちと一緒に来ない?」

「え?」


 芙美は新太に声をかけられ不安そうな顔をする。新太は遠慮がちに周りをきょろきょろと見やる彼女を手招いた。


「まだ解決したわけじゃないだろ? ちゃんと用心しなきゃ」

「あ……。うん……そうだね……」


 自らのストーカーの黒幕について言っているのだと察した芙美は力なく頷く。ゆっくりの足取りで二人の傍まで近づいてきた芙美は、通行人の邪魔にならないようにか、必要以上に肩をすぼめた。

 芙美が先日の帰り道で起きた出来事のことをまだ引きずっていることは新太も分かっていた。週末を挟んでも彼への気まずさが消えないようだ。

 それは新太もまた同じ。けれど窮屈な感情をあまり表に出すのも良くはないと考え、新太はあえて芙美に声をかけた。透が今日、彼女を見送ることが出来ないことは知っている。ならば放っておくわけにもいかない。


「よし! 問題はなさそうだっ。じゃあ行こうか」


 新太と芙美のぎこちない空気など構いもしない瑞希がスマートフォンの画面から勢いよく顔を上げる。


「どこかに行くの?」


 不思議そうな顔をして芙美が瑞希に訊ねると、瑞希はにっこり笑う。


「造園業者のところだよ。うちの学校を担当してる会社」

「造園業者?」


 芙美が首を傾げると、瑞希はスマートフォンの画面を彼女に見せる。


「そうそう。事件の日に来てた業者の一つだよ。仕出しの方は昼に来てすぐに帰ってるから、警察の調査通り特に怪しいところはなさそうだけど、こっちは放課後にも残ってた業者だ。もしかしたら、事件のことを目撃してるかもって、桜守が」


 瑞希が新太を横目で見上げると、芙美は瑞希のスマートフォンに映し出された業者のホームページを見て眉をひそめた。


「でも。この会社にももう警察の人は聞き込みに行ったはずだよね? それで、当日持ち場を離れていた作業員はいなかったって答えてる。六階で起きた事件のことなんて分からないんじゃない?」


 芙美の言う通り、外部の業者についても既に警察が一度調査した後だった。その上で、彼らは再び校内に注目したのだから。

 しかし新太は芙美の発言に首を横に振る。


「そんなの、本当のところは誰にも分からないだろ?」


 新太は爽やかな笑みで芙美と目を合わせる。芙美は彼の屈託のない笑顔に猫だましにあったような顔をする。

 きょとんとした芙美の表情と新太の顔を交互に見た瑞希は二人の間に何かがあったことを察知したのか、興味深い眼差しを向けてきた。

 瑞希の様子が変わったことに気づいた新太は慌てて彼の方へ視線を向ける。


「じゃ、さっさと行こうぜ。協力してくれてありがとな、瑞希」


 造園業者のことを調べ、アポイントメントを取ってくれたのは瑞希だ。新太は白々しい声で彼にお礼を告げてそそくさと歩き出す。


「へぇーーーーぇえ?」


 明らかに面白がっている面持ちの瑞希が次に見るのは芙美だった。彼と目が合った芙美はぎょっとして愛想笑いを浮かべる。


「な、なんでもないよ? ほら、置いてかれちゃうから早く行こう?」


 早口でそう告げた芙美は急ぎ足で新太の背中を追っていく。


「正直な奴らだなぁ」


 そんな二人のことを若干呆れた笑みで眺めながら、瑞希も彼らに続いて目的地を目指す。



 三人が辿り着いたのは学校の最寄りから一駅隣にある造園業者だった。隣駅とは言っても社屋があるのは駅よりも外れ。ただでさえ隣駅との距離の間隔は狭く、頑張れば歩けなくはない距離でもあった。しかし時間が惜しい三人は電車を選択した。


「お邪魔しまーすっ」


 訪ねた造園業者は園芸店も兼ね備えているらしく、店の裏に回れば従業員たちの作業場がある造りになっていた。作業場にはいくつもの不揃いな植物が並び、その前で休憩している作業員たちの姿が見える。

 数台の軽トラックが停まっている駐車場を抜け、瑞希はガレージのような構えの事務所の窓を叩く。


「おぅ。いらっしゃい。こりゃまた随分と、お若いお客様だな」


 事務所にいたのは外の作業員とは異なるブルーグレーの作業服に身を包んだ白髪混じりの壮年男だった。


「こんにちは。先日ご連絡させていただきました、東泉と申しますっ」


 妙に元気の良さを強調した話しぶりで瑞希は彼にぺこりと頭を下げる。彼は瑞希に合わせて会釈を返し、優しい笑みで三人を迎え入れた。


「そちらはお友だちさんかな? どうぞよろしく。私はここの矢嵜造園代表の矢嵜やさきです。と言っても、補佐、なんだけどね」


 矢嵜は手に持っていたペットボトルを机に置き、声を出して笑う。瑞希も彼と一緒になって笑うが、新太と芙美はどう反応していいものかと目を見合わせた。


「ここの本当の代表はうちの妻でしてね。いやぁ、なかなか尻に敷かれておりますよ」


 二人がぱちくりと瞬きをし合っているのを見た矢嵜が補足するように伝える。合点がいったようで、二人の目が丸く見開いた。矢嵜は二人の反応に安堵したのか目を細める。


「で。東泉くん。君の家で庭師を探してるって?」

「あ。はい! そうなんです」


 机を挟んで向こう側に立っている矢嵜は近くにあった棚からファイルを取り出す。どうやらスケジュール表のようだ。


「うちの家、母が日本庭園に憧れてて形だけは整えたんですけど……。なかなか良い職人さんに出会えなくて」


 瑞希は手を叩いて話を進める。彼がノリノリで話をしていく姿に驚いた芙美はこっそり新太に身体を寄せた。


「ねぇ、東泉くんの話、本当?」

「ん? 日本庭園の話? ああ。どうやら本当らしいぞ。あいつの家、結構広いんだってさ」


 こそこそと訊ねてきた芙美に合わせて新太も小声で返す。


「あんま知らなかったけど。今度遊びに行ってみる?」

「お邪魔じゃないかな?」


 新太の提案に芙美は弱弱しく頬を緩めた。瑞希の家で庭師を探しているということは新太も先日聞いたばかりだった。

 透と芙美を送った帰り道に瑞希に業者の調査がしたいと申し出たところ、彼がちょうどいいタイミングだと言わんばかりに教えてくれたのだ。

 本当は庭の日本庭園化を全く急いでもいないので、庭師も本腰を入れて探していたわけではないらしい。が、事件の日に学校を訪ねていた矢嵜造園に探りを入れるには絶好の口実になる。


 瑞希も警察と同じく校外への興味を失っていたところだったが、新太の意欲に感化されて協力を受け入れた。

 矢嵜造園にアポイントメントを入れるからその時に何かしらの情報を聞き出そう。

 瑞希の強力なアシストによって新太はこの場に来る機会を得た。


「わー! これはすごく立派なお庭ですねぇ」


 矢嵜にサンプルの写真を見せてもらっている瑞希の無邪気な声が事務所内に広がり、新太は改めて彼のことを見やる。

 瑞希が繋いでくれた貴重な縁だ。この好機を無駄にするわけにはいかない。


「このサンプル写真、スマホで撮ってもいいですか? 母にも見て欲しいので」

「ああ。好きなだけ撮ってくれて構わないよ」


 矢嵜が瑞希にアルバムを渡したところで、新太は呼吸を整えて気合いを入れ直す。


「あの。ついでに、ちょっとお訊ねしたいのですが」


 瑞希の後ろから突如として声を出してきた新太を見やり、矢嵜はスケジュール表を机に置いてにこりと笑う。


「はいはい。何でも聞いてくれていいよ」


 人当たりのいい返事をした矢嵜は新太の言葉に耳を傾けようとする。ふかふかの両手のひらをこねるように握りしめた彼の雰囲気は、まさに親戚のおじさんのような安心感があった。


「あの。最近、叶山学校に作業に来ていたと思うのですが……その時、何か学校で異変を感じた人とか、いたでしょうか?」


 新太が申し訳ない気持ちを織り交ぜながら訊ねると、矢嵜の表情に少しの憂いが滲む。


「ああ……あの事件の日だろう? 先生が殺されちまったっていう」

「はい。そうです」

「前にも警察の方にお話ししたんだけどね。うちの従業員は全員、特に何も見ていないんだ。作業をしているから音にも鈍感になってた。悪いけど、うちから何か情報を出せる、ってことはないんだ」


 矢嵜は力になれないことを嘆いて口角を下げる。


「事件の日に偶然居合わせちまったのはなんとも悪い巡りあわせだよ。先生のことは、心からのお悔やみを申し上げる」


 頭髪を撫で上げ、参ったような表情をした矢嵜は新太を気遣う眼差しで見つめた。


「いえ。作業員の方々には、余計な心労をかけてしまって……。その、俺が、言えることではないですけど」


 言いながら新太は目を伏せる。視線の先では瑞希がアルバムをめくっていた。

 既に彼らは警察との会話を終えている。だが警察が持っている情報を新太たちは持っていない。

 もし彼らと同じ立場に立てたなら、彼らが再び校内に目を向けたことにも納得がいくのだろうか。新太はだめもとで口を開く。


「あの。少し、お願いがあるのですが」

「おお。私らに協力できることが、まだあるかい?」


 矢嵜は嫌な顔をすることもなく新太の言葉に前のめりになる。


「当日学校に来ていた作業員の方って、どなたかご存知ですか?」


 新太の質問に芙美がちらりと彼を見上げる。真剣な横顔からはただ一心に現状を変えたいというひたむきな情しか見えてこなかった。


「ああ! もちろん記録してるよ。警察にも伝えたんだが、状況からあまり興味はなかったようでね。なにせ四人はずっと作業をしていたし、リーダーを除けば叶山高校に初めて行った奴らばかりだ。最近はベテランだけじゃなく若手にも力を発揮してもらってるから……ほら、この四人だ」


 矢嵜はぺらぺらと話しながら先ほどスケジュール表を取ったのと同じ棚から別のファイルを取り出す。橙色の表紙をめくり、彼は事件の日の記録を机に広げる。写真を撮っていた瑞希もアルバムから目を上げた。

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