28 思わぬ動機
学校から一番近い駅を少し過ぎた場所に警察署がある。絶えず人が訪れ、多くの声が混ざり合ったロビーの中央で、新太と透は黙ったまま外の景色を眺める。
入り口の自動ドアが開く度に冷気を含んだ空気が彼らのいるところまで届く。
今度の風はこれまでよりもちょっぴり鋭利に鼻を通った。建物の中の暖かさとのギャップに驚いたのか、反射的に新太がくしゃみをする。
音に気づいた透が隣を見やると、鼻を擦ったせいか新太の鼻先は赤色に染まっていた。自分よりも薄着の彼に対し、透はさり気ない問いを投げる。
「新太もそろそろセーターぐらい着れば?」
もうこれくらいの季節になれば、学校の大半の生徒たちはシャツの上に重ね着をするようになっていた。
透もその一人で、今日もブルーのセーターを着用している。Vネックラインのデザインに合わせるように袖口にも白のラインが配されているクラシックなデザインが、透の落ち着いた雰囲気によく似合っていた。
一方の新太はいつも本格的に寒い時期が訪れるまでシンプルな制服の着こなしを続けている。
暑がりだから重ね着はあまり肌に合わないと自覚しているせいだ。新太は透のアドバイスに情けなく笑い、「考えとく」とだけ返事をする。
「芙美ちゃん、大丈夫かな」
くしゃみをまともに聞かれたことが少し気まずいのか、新太は首だけで背後を振り返って廊下の先に見える閉ざされた扉を見やる。
「女性の警察官もいたし、大丈夫だと思うけど」
透はそわそわした様子の新太に向かって冷静な声を返す。
「だけどさ。やっぱちょっと、心配にはなるよな。勧めといて何言ってるんだって感じだけど」
顔を前に戻した新太は複雑な面持ちで細い息を吐いた。
「最終的に決めたのは生天目だ。それに、放っておくよりもこうした方がいいのは確実だろ」
透は新太の表情を窺うように首を斜めに傾ける。見えてくる彼の眼差しは自信がなさそうだった。それでも後悔までは見て取れない。
「ああ。そうだよな」
弱弱しく笑う新太だったが、透の言葉が嬉しかったのか頬からは緊張感が抜けていくのが分かった。
今日、二人は芙美の付き添いとして放課後に警察署を訪れていた。ようやく決心した芙美がストーカー疑惑について警察に相談しに来ていたからだ。
芙美が勇気ある決断をしたことに二人はひとまずの安堵を得ていた。しかし同時に、新太はこの場所を訪れることに若干の不安を抱いていた。
隣で大人しく芙美の帰りを待っている透は今、叶山高校で起きた凄惨な事件の重要参考人。いやむしろ、第一容疑者と言っていいほどに疑われている存在だ。
そんな彼がのこのこと自分を疑う者たちに囲まれた、いわば敵陣地に足を運んでいいものなのか。新太は何も気にする様子がない張本人を横目に一人警戒心を張り巡らせる。
もしかしたらこの方が堂々としていて逆にいいのかもしれない。
警察に怯えているよりも、自分は無実だと胸を張って姿を現すくらいの度胸を見せつけるくらいがちょうどいいとも考えられる。新太は自分にとって都合のいい最適解を探しながら視線を周囲に回す。
途中に見えた時計に目を留めれば、芙美が部屋に消えてから十五分が過ぎたことが分かった。あの中華店で芙美の瞳の奥に垣間見えた脆い感情が蘇る。
どうかこの決意が彼女の力となりますように。芙美の表情を思い出す度に、新太はそう願わずにはいられなかった。
時計から視線を外し、新太はもう何度も開いては閉じてを繰り返してきた自動ドアに目を向ける。またしても扉が左右に開かれていったので、自然とそちらに意識が向いたのだ。
「え」
ぱちりと瞬きをした新太は思わず前のめりになって自動ドアを食い入るように見つめる。
「新太?」
不自然なくらいに調子の変わった新太の挙動に透は首をひねる。
「あれって、瀬々倉先輩だよな?」
ぽかんとしている透に分かるように新太は今まさに署を出ていった人間の背中を指差す。自分たちと同じ制服を着た派手な髪色の男だ。片手をポケットに入れ、髪を掻く猫背のその姿は明らかに見覚えのあるものだった。
「ほんとだ。どうして警察署に?」
彼の姿を確認した透が単純な疑問を口にすると、二人は顔を見合わせ、示し合わせたように同時に立ち上がった。
青央といえば、彼もまた透と同じく生徒たちの間では事件の犯人ではないかと疑われている人物だ。校内に貼られた悪戯の犯人当てポスターに名前が書かれていただけではなく、生前の頼成と衝突があった目撃情報も多いことが、噂の信憑性を高める要因となっていた。
そんな彼が何故この場にいるのだろうか。
ここは警察署で、もちろん、叶山高校で起きた事件は周知のことだ。一度犯人として疑われた教師の加賀もこの場所で聴取を受けたと聞いている。もしや青央もまた新たな証言をしたのかもしれない。
急ぐあまりに足がもつれそうになりながらも、新太は持ち前の俊足で署を後にする青央の背中を追いかける。途中、数名の人間にぶつかりそうになったが新太はそれらのすべてを華麗な身のこなしで避けていった。
透は彼が作った道を通りながら、何事かと目を丸くする彼らに簡易的なお詫びを告げていく。
「瀬々倉先輩‼」
透が新太に追いついた頃には、新太は駐車場を抜けた先にある信号の前で止まっている青央に呼び掛けているところだった。赤信号で足止めを食らった青央は、新太の声に気怠い視線を向けた。
「あんた、確か……」
青央は新太の顔を見るなり嫌な記憶を思い返すように眉根を寄せる。
「二年の桜守です。前に学校でお話ししましたよね?」
「ああ。覚えてる。何? あんたもしかして警察の手先?」
新太の背後に見える警察署を軽く見上げ、青央は呆れた声とともにため息を吐く。彼の感情に連動して肩が下がった。
「いや。そういうんじゃないんです。今日は事件とは違う件で来てて」
「あんたの事情は別に興味ない。で? まだ俺に何か用があるわけ? この前で話は終わったと思うんだけど」
青央は色が変わった信号を横目で見やる。さっきまで彼の目の前を行き交っていた車たちは白線の内側に止まったまま。しかし青央は信号を渡ろうとはせず、新太と透に身体を向ける。
「先輩、警察署で何をしてたんですか?」
彼との対話に余計な芝居など不要。そのことを前回学んだ新太は単刀直入に話題を切り込む。
青央と話したこともない透は、やけに強気な新太の口ぶりに少しの違和感を覚える。二人はこれまで接点などあったのだろうか。透の知る限り、その機会に心当たりがなかったからだ。
「何、って。あんたに話す義理がある?」
青央は渇いた笑いを唇の端に浮かべながら両手をポケットに入れた。
「前に、先輩、言いましたよね。将来を考えたことはあるか、って。その結果です。将来を考えた結果、先輩のことを無視できない。やっぱりそう思ったんです。だから、頼成先生の事件で怪しい動きがあるのなら、俺はなんとしてでもその裏を突き止める。そう覚悟したんです。だから、義理があろうとなかろうと関係ない。俺が知りたいのは、先輩が当日何をしていたか、ただそれだけだ」
きっぱりと言い切る新太の断固とした眼差しに、青央は顔を横に逸らして苦笑する。
「あのポスターに感化でもされたわけ?」
青央が言っているのは篤が掲示した犯人への投票を呼び掛ける趣味の悪いポスターのことだろう。二人の話が見えてこない透でもそのことはなんとなく察することが出来た。
そういえば新太はあのポスターの出所をまだ知らない。教えてあげるべきだろうか。一度悩んだ透だったが、殺気にも似た空気を纏い始めた新太の背中を見ていると、言わなくてもいいという結論に至る。
透が再び意識を目の前に戻すと、新太のピリピリとした表情をせせら笑う青央の声が聞こえてきた。
「それだけじゃないです。先輩が頼成先生と何かあったのは確実だ。それが何だったのか知らない限りは、俺は先輩に対する疑いを晴らせない。先生が殺されたこと、全然気にもしてない感じだったし」
新太は訝しむ表情を隠そうともせずに青央を見る。
「警察と、事件のことでも話してたんですか?」
再び新太が問いかけると、青央は一歩ずつ二人のもとへと近づいてくる。ちらりと青央の視線が透に向けられた。刹那、透と青央の目が合った。けれど青央はすぐに透から視線を外す。
「先生の話じゃない。今日は俺も別件だ。あんたたちと同じ」
「え? ストーカー……?」
「は?」
まさかの答えに新太の頭が一瞬真っ白になる。しかし思わず出ていったその言葉は的外れだったようで、青央は遠慮なく眉間に皺を寄せた。
まるで睨んでいるようにも見えたが、恐らく彼自身もその表情は無意識だった。透は場にそぐわない素っ頓狂なやり取りに目を瞬かせる。新太がまるで狼のもとに迷い込んだ命知らずの子犬のようにも見えてきた。
「違う」
青央はため息を吐きながら首を横に振る。
「俺が話してたのは、薬の売人のことだよ」
「ヤク、って……」
やはりあの噂は本当だったのか。青央に関する疑惑に一つの答えが出た途端、新太の背中に冷たいものが走る。息をのんだのは透も同じだった。
瀬々倉青央が薬物中毒ではないかという噂はもっぱら有名だ。しかし誰もその証拠も答えも持ち合わせてはいなかった。
雰囲気と態度でそう思われているだけなのかもしれない。噂は所詮噂だという軽い気持ちが二人の中にあったことも否めなかった。
「今はもうやめたけど。情報提供する約束になってるからここに来ただけだ」
狐につままれたような顔をしている二人を尻目に青央は駐車場前にある低い石垣に腰を掛ける。
「最近学校に来れなかったのは、更生施設に行ってたからだ。薬を断ち切るために」
青央は自分に向けられる新太と透の視線を感じながら目を伏せた。
「施設を手配したのは頼成だ。頼成は俺が中毒者だってことを知ってた。お節介ばっか焼いてさ。お前の命を守りたいんだって偉そうなこと言っといて。自分はこれだよ」
蔑むように笑う青央。だがそこには彼なりの哀惜が滲み、新太も透も彼の発言を責めることが出来なかった。
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