27 誠意を掲げ

 三人が向かったのはゲームセンター近くにある中華料理店だった。

 老舗の店で、学生が多く来ることを想定しているのか値段は安いのにボリューム満点の料理は地元民の間でも有名だ。新太と透もそれぞれ別のタイミングではあるが時々来店することがある。だからこそ、味の保証がばっちりであることも周知のことだった。


 芙美はあまり外食をする機会がないようで、彼らには馴染みの中華店であっても彼女が来店するのは初めてだ。新太におすすめされた炒飯を頼み、そわそわした様子で店の活気を窺っていた。

 料理が運ばれてくると、温かな湯気が彼らの顔の前に立ち昇る。

「美味しそう……‼」


 まるで豪華なディナーコースを目の前にしたかのように表情を輝かせ、芙美は感嘆の声を上げた。

 彼女の素直な反応を目にした透と新太は、目を見合わせて互いに口角を上げる。


「いただきまーす」


 しっかりと手を合わせ、三人はごま油の香り漂う晩餐に手を付ける。

 サバイバルゲームで身体を動かしたこともあってか、思った以上にお腹が空いていたようだ。

 想定よりも早いペースで食べ進めていく新太は、何かメニューを追加しようかと壁に貼られた一覧を見上げる。


 その途中、芙美の顔がちらりと見えた。並んで座る新太と透に向き合う形で一人座っている芙美は、蓮華で丁寧に炒飯を掬いながら頬を膨らませている。食事して体温が上がったのか、ついさっき見た時よりも肌は熱そうな色になっている。しかし彼女はそんなことは気にもせず、この店自慢のご馳走を嬉しそうに頬張っていた。


「芙美ちゃん」


 無邪気な彼女に垣間見えた幼い表情に新太は思わず胸が痛んだ。


「ん? 桜守くん、どうかした?」


 新太に呼ばれ、芙美は顔を上げる。透もつられて隣の新太に目を向けた。新太の横顔はサバイバルゲームで見せていた天真爛漫なものとは違い、妙に深刻な影が落ちていた。


「新太」


 もしや早速あの話をするつもりか。彼の覚悟を察した透は箸を置いて眼差しで正気を問う。すると新太は視線だけで透のことを制し、改めて芙美に向き合った。


「ストーカーの話、聞いたよ。やっぱり、警察に相談した方がいいと思う」


 新太がすべてを言い終えた瞬間、新たな客が店に入ってきた。賑やかな声と威勢の良い掛け声が店内を駆け巡り、自分たちの前に小さな竜巻が渦巻いたような錯覚を覚える。


「……どうして」


 芙美がちらりと透を見たので、新太は更に言葉を続ける。


「透じゃなくて瑞希から聞いた。あいつの情報網、バカにできないからさ」

「そっか。東泉くん、か」


 蓮華を置き、芙美は皿の上に半分残った炒飯に目を落とす。


「心配してくれるのはありがたいよ? でも、警察に言ってもどうせ相手にされないし」


 芙美は視線を落としたままぽつりと呟く。


「そうとは限らないだろ。何も対策を打たないよりマシだ。自分の身を守るために、有効な手段は全部取るべきだと俺は思うけど」

「でも。わたし、ただでさえ警察の心証が悪いし」

「事件のことか? そんなんで偏見もつほど、警察は頭が悪いとは俺は思いたくないけどな」


 新太は眉をしかめて学校で見かけた警察官たちのことを思い出す。


「透も俺も、芙美ちゃんのことが心配なんだよ。できる限り俺たちも何も起きないように協力するし、目を光らせる。でも、俺たちだけだと限界がある。もし、芙美ちゃんに何かあったら。俺たち、後悔してもしきれない。耐えられないよ。これ以上、大事な人たちが傷ついていくのは」


 新太の芙美を見る目は実直だった。一切の揺らぎがなく、ただ真剣に、身体の奥底から滲み出るひたむきな気持ちに溢れていた。芙美はそんな彼の真摯な瞳を真っ直ぐに見ることが出来ず、もじもじと下を向く。


「芙美ちゃんの言う通り、相談したって何も変わらないかもしれない。でも、相談したっていうその事実が重要なんだ。分かっていて何もしなかったのは、大したことじゃないって思っていたと勘違いされるかもしれない。残酷だけど、それが現実なんだろ」


 新太の脳裏には警察に続いて進路指導室を出てきた透の姿が蘇る。彼らは細部まで見ている余裕がない。ただ目の前に並べられたその時の事実のみを吟味するだけで精一杯なのだ。新太は悔しそうに唇を噛む。


「大丈夫、自分で何とか出来るって思い込んじゃだめだ。頼成先生が殺されるって、一体誰が予想できた? 誰も出来なかっただろ。誰も何もできなかった。でも、今回は違う。芙美ちゃんのことは、まだ、どうにかできるかもしれない。その可能性を少しでも信じるのは我儘なのか?」

「……新太」


 新太の声には余裕はなかった。けれど、そこに誠意がこもっていることは分かる。険しい顔をして苦しそうに訴えかける新太を気遣うように透は隣を見た。


「目白くん、は?」

「え?」


 微かに芙美の声が聞こえ、透はすぐにそちらを向く。


「目白くんは、どう思う?」


 芙美の瞳がこちらを向いていた。その目には、今まで秘めていた彼女の畏怖が見える。


「俺も新太と同じ意見だ。生天目、相談するのは勇気がいるかもしれない。けど、俺たちがいる。生天目には、いつも味方がいることを忘れるな」

「…………うん」


 芙美の声が極端に小さくなる。きゅっと閉じた唇は何かを堪えているようにも見えた。しばらくしないうちに、彼女の片目から一粒の涙が落ちて真っ直ぐに頬を伝う。


「ありがとう、桜守くん。目白くん。わたし、ほんとうはこわかったの。毎日毎日、生きた心地がしなかった。でも、きっと軽くあしらわれちゃうって思ってて……ただでさえこわいのに、さらに嫌な思いをしたくなくて……」


 こぼれた涙を拭い、芙美は力強く開けた瞳を二人に向ける。


「わたし、警察に相談する」


 まだ不安は残っている。それでも芙美の表情には微かな勇気が宿っていた。


「ああ。俺たちも付き添うよ」

「ありがとう、桜守くん。ふふ、なんだか、覚悟を決めたらほっとして……お腹が空いてきちゃったな」


 芙美は新太の言葉を聞いて崩れるように笑う。新太は残り少ない自分の定食を見やり、再びメニューに目を向ける。


「俺、追加注文するし。芙美ちゃんも何か食べたいものあったら、分け合おうぜ」

「うん……!」


 まだ炒飯は半分残っている。それでも芙美は新太の申し出に嬉しそうに頷いた。

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