26 寄り道、バババ

 窓の外を見下ろせば、青央の姿が視界の下から上へと通り過ぎていく。


「最近、瀬々倉先輩よく学校に来てるよな」


 隣で友人がそう呟く声を、新太はぼんやりと耳に入れる。


「頼成先生がいなくなってからだよ。やっぱり二人、何かあったんじゃね?」

「怪しいよなー。先輩が学校に来なくなる前には頼成先生と言い合ってるところをよく見かけたし。邪魔者がいなくなったから来てるだけなのか?」

「どうしていなくなったのか、っていう理由を考えるとちょっと怖いけど」

「やめろよ。先輩が犯人とかシャレになんねぇ。なぁ、新太はどう思うよ?」


 隠しきれない好奇心が浮かび上がる声で話しかけられ、青央のことを目で追っていた新太は微かに眉を顰める。


「それが分かれば、俺もこんなに悩まないよ」

「んん?」


 自分に言い聞かせるような言葉を吐く新太を見た友人たちは、互いに目配せして首を傾げた。新太の顔は横を向いたまま。目線の先に一組のカップルが下校していく姿が映る。


「っと、いっけね……‼」


 彼らの笑い合う様子が見えた途端、新太はガタガタと慌ただしく机を下りた。友人の机に腰を掛け、くだらない話をしているところで窓の外の景色に意識が向けられていたのだ。


「どうした新太」


 自席に置いた鞄を無造作に手に取る新太の落ち着きのなさに友人たちはきょとんとする。


「今日、夕飯ないこと透に伝えるの忘れてた……ッ! あいつ、もう帰ったかな?」

「さぁ? 特にここからは見えなかったけど」

「待ってくれ、待っててくれよ透ー!」


 ドタバタと騒がしく教室を去る新太の残した荒々しい風を浴び、友人たちはやれやれと頬を崩した。


「透!」


 透のクラスの扉に手をかけ、新太は教室の中を見回す。教室に残っていた生徒たちは皆、やけに響いた新太の声に否応なしに注目する。


「新太くん、目白くんならさっき教室を出ていったよ」


 扉の近くにいた親切な女子生徒が新太に笑いかけた。


「そっか。悪いな、ありがとう」


 教えてくれた彼女にお礼を告げ、新太は廊下に目を向ける。そういえば既に自分の教室に芙美の姿はなかった。今日もいつも通り二人で下校するのならば、もう下の階に下りているかもしれない。

 新太は急ぎ足で廊下を駆ける。あまり大胆に走ると叱られて余計なタイムロスになりかねない。新太は絶妙な歩幅と速度を保ちながら階段を下った。


「あっ! 透!」


 ちょうど正面玄関を出る直前、柱の向こうに今朝も見た姿を見つけて新太は大きな声で呼び止める。


「新太?」


 振り返れば息を切らした新太の達成感の滲む笑顔が見え、透は右眉を歪ませた。


「え? 桜守くん?」


 隣にいた芙美も透に続いて首を傾げる。


「今日は帰るの早いんだな、お前ら。捕まらないかと焦ったよ」


 新太が来るのを待ち、立ち止まったままの二人に向かって新太は陽気に手を挙げた。


「そんなに焦ることがある?」


 透は不思議そうな顔をして目を瞬く。


「ああ。今日、父さんが母さんをサプライズディナーに連れて行く予定だからさ。さっき連絡が来て、夕飯は二人で好きにしろって言われて。透にはお前から伝えとけって頼まれた。だから、せっかくだからどっか食べにいこうかと思ってさぁ」


 新太がにこにこしながら近づくと、透は一度芙美と目を見合わせる。


「そんなの、メッセージで送ってくれれば良かったのに」

「あ。そっか」


 スマートフォンの存在がうっかり頭から抜けていた新太は世紀の発見をした博士の如く深々しい顔をした。

 直接伝えることだけを考えていてすっかり便利なものの存在を忘れていた。


「まぁいいじゃん。ついでだし、もうこのまま食べて帰ろうぜ」


 新太が能天気に透の肩を組むと、芙美がクスリと控えめに笑う。


「いいなぁ。二人でごはん。楽しそう」


 芙美の柔らかな声が新太の耳を撫でた。彼女の方を見やれば、透と新太のこと見て優しく目を緩ませている。新太と芙美は同じクラスだが、普段はあまり話す機会も少ない。新太の囲いが分厚いこともある。けれど、交流が乏しくても、ストーカーの被害にあっているという彼女のことが新太も気にならないわけではない。

 このまま彼女の意志に任せたままでいいものかと、僅かな葛藤が胸をよぎった。


「生天目も今日、夜一人だから夕飯作るんだってさ。早く帰るのはそれが理由」


 透が補足を付け加える。


「へぇ。じゃあさ、せっかくだから芙美ちゃんも俺たちと飯食べる?」

「えっ? いいの?」


 新太の提案を聞いた芙美がちょこんと肩を弾ませた。


「もちろん。いいよな、透?」

「うん」


 透が頷いたのを見た芙美の表情が晴れやかな笑顔で彩られていく。


「まだ夕飯には少し早いよな。ちょっと寄り道してから食べに行こうぜ」

「寄り道?」

「あっ。それなら、最近できた駅前のゲームセンター行こうよ! サバゲーが出来るって話題なんだよ」


 芙美が手を挙げながらいい案を出したので、透と新太は目を見合わせる。


「行く」


 二人が声を合わせて答えれば、芙美は嬉しそうに拍手をした。



 ゲームセンター内に設けられたサバイバルゲーム施設は、それ専用の本格的な施設より規模は劣るものの、気分を味わいたいだけであれば十分な設備が整えられていた。

 三人は簡易的な防護ベストとヘルメットを身に着け、それぞれレーザーガンを手に取った。

 防護ベストはレーザーガンから放たれるセンサーに連動して、直撃すれば撃った人のレーザーの色がペイントのように侵食する。同じフィールドでは三つの軍団に分かれて互いに攻撃し合う。

 勝ち負けで言えばベストの色を多く染めた方が勝ちだが、大体は勝敗など気にせずその場の空気を楽しむ者が多かった。


 初めてサバイバルゲームに参戦した芙美もまたそうだ。とにかく楽しめればいい。その気持ちを第一優先にしてレーザーガンを構える。透は前に一度メディア部のメンバーで別のゲームを体験したことがあった。所詮はゲームだという思いはある。が、やるからには手を抜かないようにと気を引き締めた。

 三人の中で一番気合いが入っていたのは新太だった。仲間たちともよく色々なゲームをするが、彼はいつだって本気だ。何事も全力で。それが彼の信条だからだ。


 三人はそれぞれ別の軍団に所属することになった。周りは別の学校の生徒のほかに大学生が多い。

 頼成の事件が起きてから、こうやって学校帰りに遊ぶ機会はめっきり減ってしまっていた。だからこそ、久しぶりの高揚感に三人とも自然と胸を躍らせていたのは言うまでもない。

 カウントが始まれば、もうすぐにでも戦いの火蓋が切られる。

 ヘルメットと一体化したサングラスを下ろし、三人は無数の光が輝く戦場へと足を踏み入れた。


「あーッ。疲れたー!」


 ヘルメットを外し、ベンチに思いきり身体を預けてくたりと座り込む新太が満足そうな声を上げた。


「惜しかったな、新太」


 隣に座った透は外したヘルメットを膝の間に置き、疲れ切った様子の新太のことを横目で労う。


「透、強すぎだろ。戦闘中どこに隠れてたのか分かんないけど、命中率は参加者の中で一番だっただろ」

「無駄に動き回るのが苦手なだけだよ」

「お。嫌味か? 俺に対する当てつけなのか?」


 透のあっさりとした言い分に新太はニヤリと笑みを浮かべた。ベストを脱ぐ透は、疲れているはずなのに一向に活力が尽きる様子が見えない新太の調子に苦笑を返す。


「でも、初心者にしては芙美ちゃんも頑張ってたよな。俺、二発くらい当てられたし」

「そうだな。気分転換できたなら、それでいいけど」


 同じチームメイトだった別の高校の女子生徒と女子大学生と楽しそうに話している芙美の姿を見やり、透はぽつりと呟いた。


「透。やっぱり、芙美ちゃんにちゃんと言った方がいいと思うんだけど」

「何を?」


 遠くにいる彼女を見ているのは新太も同じだった。透は新太に目を向けて訊き返す。


「ストーカーのこと。ちゃんと警察に相談した方がいいって」

「そうだけど……言っても聞いてくれないんだよね」

「透の言い方が曖昧なんじゃないの?」


 新太が肘で透を小突くと、透は痛いところを突かれたように黙ってしまう。


「まぁ、俺に任せてみろって」

「生天目、結構頑固だよ?」

「頑固者の相手は慣れてるから大丈夫だって」

「えぇ?」


 新太は意味深な眼差しで透のことを見た後ですっくと立ち上がる。


「芙美ちゃん、そろそろ夕飯食べに行こうぜ」

「あっ。桜守くん! うんっ。わかった」


 芙美に手を振って笑いかける新太。彼が直前に言った”頑固者”が自分のことを指しているのだと、透はなんとなく分かっていた。しかし、微かな意地が残る透はだからといって彼の発言を快く認めようとはしなかった。

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