22 異論は受け付けない

 二人よりも前を歩いていた加賀がリヤカーを止める。顔を上げればそこはゴミ回収所だ。リヤカーから袋を下ろす加賀を手伝うも、彼女の顔は下を向いたままだった。

 すべての袋を回収所に収め、新太は加賀に代わってリヤカーを押して戻ろうと持ち手を握る。すると。


「桜守くん。目白くん。二人とも、本当にごめんなさい」


 ゴミ回収所を見つめて二人に背を向けていた加賀が千切れるような声をこぼす。二人は同時に彼女の方を振り返った。


「桜守くん。前に、東泉くんと私を説得してくれた時。私、感情が先走るあまり二人の気持ちをまったく汲めていなかった。頼成先生が殺されて、不安に思っているのは私だけじゃないのに。いいえ。むしろ、私が教師として生徒たちを守らなければならなかったのに。評判ばかり気にして。保身ばかりに走って……。本当に、ごめんなさい」


 加賀は静かに身体を二人の方に向けて深々と頭を下げた。


「先生! いや、俺たちの方こそ自分たちの気持ちばかり優先させてました。脅すような真似をして」

「いいの。当然のことよ。私がこそこそしていたのが悪いの。それに──目白くん」


 恐縮する新太を凛とした眼差しで制した加賀は、彼の隣に立つ透に視線をスライドさせる。


「容疑者として疑われてしまうような環境を作って、本当に申し訳なかったわ。学校の人間として謝罪する。私には真犯人は分からない。でも、何よりもまずはあなたたちのことを考えなければならなかった。第一発見者として、目白くんたちは、想像もできないくらいの傷を負ったはずよね。そんなことを見落としていて……私、みっともないわ」


 透の目を真っ直ぐに見つめる彼女の瞳には不純なものは何もなかった。心の底から、素直な気持ちを話していることが二人にも伝わる。


「東泉くんにも、酷いことをいったわよね」


 ぽつりと呟く加賀の言葉に、透は一体何を言ったのだろうと気になったのか新太の方をちらりと見やる。目が合った新太は眉を下げて弱弱しく笑ってみせた。聞くなら、瑞希に直接聞いてくれ。そう言っている顔だ。


「俺たちは全然気にしてません。先生。それよりも先生のことが心配で。あっ。こんなこと、失礼かもしれないんですけど。でも、ずっと、ここのところ暗い顔しか見ていないので」


 新太が透から目を離して若干明るめの声を作って加賀に話題を移す。加賀は肩をすくめたまま目を伏せた。また余計なことを言っただろうか。

 不安になった新太は透に救いを求める視線を送る。だが透は華麗にその期待を払いのけるように目を逸らす。これは、自分で考えろ、の顔だ。


「失礼なんてとんでもない。ありがとう、桜守くん」


 新太が慌てた気配を感じ取ったのか、加賀は穏やかな語調で感謝を告げた。


「私と頼成先生の事情を知った途端、学校で噂が広がったでしょう? 二人は、その話を聞いてどう思った? 幻滅したよね。私、ただでさえギャンブルが好きで……。ソシャゲはいつもすぐ手元にあるから。つい、のめりこんじゃうの」


 加賀の問いかけに二人は目を見合わせて瞬きをする。加賀は二人の答えを待たずにまた口を開いた。


「私、別に警察に知られたくなかったわけじゃないの。ついつい課金してしまうことを同僚に指摘されて、関係が少し気まずくなるなんて、そんなに大した話でもないし」

「でも、先生。警察には言わないでって、前は言ってましたよね?」


 進路指導室で見た彼女の獰猛な眼差しを思い出し、新太は恐る恐る訊く。大した話でもないのであれば、あそこまで拒絶した理由が分からないからだ。


「私が避けたかったのは、今みたいに安易な噂話が広まること。あることないこと付け足されて、尾を引く。やっぱり、人の失敗話や不幸話は面白いもの。だから余計に、面白おかしく揶揄される。それが私にとっては、何よりの拷問なの。とても耐え切れない」


 加賀は顔を上げて隈の浮かんだ目元を擦る。


「事件の日。職員室にいなかったのも隠れてガチャをしていたからよ。どうしても負けたくないイベントが始まってね。スタートダッシュが肝心だから。それで、職員室を離れていた。警察にも話したわ。呆れてたけど、ゲームを見せれば証拠としては認めてくれた。ドン引きよね」


 自嘲的な笑みを浮かべ、加賀は明後日の方向に目を向ける。


「私だって一人の人間なの。皆の思う、完璧な大人でなんていられない。必死で繕ってきたメッキが剥がれて、今の私はもう剥き出しのまま。そんな私の本当の姿に恋人も唖然としちゃって……。悪いのは隠し続けていた私。でも、あんまりにも信じてくれないから。幻想を追うのはやめて、って、喧嘩してしまった。くだらない人生だ、って思うよね? でも、それが私なの」


 二人を交互に見やり、ささやかに笑う彼女の表情が二人の目には普段の彼女の笑顔より何倍も柔に映る。

 なにものにも包まれることのない彼女の素顔。その中には、確固たる彼女の芯が潜んでいるような気がした。

 つい、初めましてと言ってしまいたくなった。本来の加賀真唯の姿がそこにはあるからだ。


「先生。少し気にしすぎじゃないですか。今の話、それこそ教師の鏡だと思ったんですけど」


 先に沈黙を破ったのは透だった。淡々とした聞き慣れた声なのにどこか爽やかに新太は感じる。


「俺たちは先生のこと、確かに完璧で雲の上のような人だって思ってました。でもどんなに隙がないように見える先生だって、完璧なんて難しい。加賀先生みたいな人でもそれは難しいんだって、そう思う方が肩の力が抜けて良いです。それに、先生は生徒たちのことを思って行動してくれるじゃないですか。一つの噂が広がったからと言って、これまでの先生の行動がなかったことになるわけじゃないです。完璧かどうかなんて、そんな判断は必要ない」


 透に続き、新太も加賀に向かって笑顔を向ける。


「逆に、どんな個性があろうと生きるために前を向いていく。それでいいんだ、って、今の加賀先生が教えてくれるような気さえします。皆、欠点がある。それを隠したいし、出来れば知られたくないです。だけど先生なら。それも全部ひっくるめて、堂々としていればいいんだってことを教えてくれそうな気がするんです。前の先生よりも、今の先生の方が、授業よりも大事なことを伝えてくれる。ついていきたいなぁーって思う。そんな予感がします」


 お得意の笑顔で新太は自信たっぷりに語気を強める。慎重に開いていく彼女の瞳孔に取り込まれていくのは、目の前にいる二人の生徒から届けられた微かな光だった。


「でも、その……あんまり無理なお金遣いは……ほどほどに」


 言うまでもないだろうとは思いつつ、新太は最後に控えめにはにかんだ。


「……二人とも、ありがとう」


 生意気なことを言っていないかそわそわしていた新太の耳に、加賀のしとやかな声が通る。

 彼女と目を合わせれば、以前にも増す魅力を帯びた彼女の微笑みが、胸を痛めつけていた鬱積を溶かしてくれた。



 リヤカーを倉庫に戻し、新太と透は職員室へ戻る加賀と別れた。校舎に向かう彼女の背中は、十数分前よりも張りがあるように見える。彼女の毅然とした姿勢を見ていると、何故か新太にまで誇らしい気持ちが伝播してきた。

 頬を綻ばせているのに眉には力が入った新太の奇妙な表情に透は眉をひそめる。一拍置いた、次の時だった。

 透のスマートフォンに一件の通知が入る。

 ポケットからスマートフォンを取り出し画面を眺める透に気づき、新太は文字を追う彼の瞳を見やった。


「新太、もう帰る?」

「え? ああ。そろそろ帰ろうかな」


 透はスマートフォンを元の場所にしまって新太の返事に頷く。


「じゃあ俺も帰る。暇つぶしは終わりだ」


 そう言ってさくさくと校舎を目指す透の流れるような行動に、新太は一瞬追いつけなかった。


「でも。何か用があったから暇つぶししてたんじゃないのかよ?」


 早足で追いかけ、高くなった空を悠々と流れていく雲を黒目で見上げる透に訊いてみる。


「そうだけど。もう必要なくなった」

「えぇ?」

「生天目が図書室で自習してるのを待ってただけだから。でも、仕事が早く終わった父親がちょうど車で学校の近くまで来てるらしい。ついでに迎えに来るって話だから、俺は待つ必要がなくなった」


 芙美のメッセージでは、両親は頼成の事件に関係してしまった娘のことをえらく心配しているらしい。芙美はごめんね、と申し訳なさそうに謝っていたが、透としては特に問題ではなかった。

 勝手に時間を潰していたのは自分の判断だ。親が迎えに来るのならば自分の出る幕はないと理解している。


「だからたまには新太と帰るのも悪くないかなって」

「お……おおぉ」


 透が芙美と一緒に帰るつもりだったことを知り、多少失礼なことを言われていても新太はそちらにまで意識が向かなかった。二人の関係性がやはりよく分からない。どこまで突っ込んでいいものか。加賀の件で過敏になった神経ではまともな判断が下せなかった。

 ひとまず鞄を取りに行き、新太と透は久しぶりに二人で帰ることとなった。

 並んで同じ家に向かって歩けば、新太は改めてここのところ二人でまともに会話する機会があるようでなかったことを自覚する。頼成の事件について、犯人探しに熱を入れているのは透よりも新太の方だ。張本人との熱量の差がある中で、同じ話ばかりしていても愛想を尽かされてしまうだろう。

 そう考えた新太は、つい先ほどの出来事について思い返す。


「なぁ透。お前、結構いいこと言うじゃん」

「なに? 突然褒めてくるとかどうしたの新太」


 新太のにやついた声を透は警戒する。だが新太はさらににこにこと笑顔を強めていく。戻そうにも表情筋が言うことを聞こうとしないようだ。


「さっき加賀先生に言ったことだよ。透、ここぞって時はいいところ持っていくよな」

「新太だってかっこつけてたくせに。あの時のどや顔、写真撮っておけばよかった」

「えっ。俺、そんな顔してた?」

「うん」


 透が神妙に頷くと、新太は少し気まずそうに首の後ろを掻く。本当に無意識だったらしい。


「でも、まぁ言ってることは悪くなかったかな。俺もその通りだなって思ったし」


 透はクスリと笑って新太を励ますような言葉をかけた。


「透の言ってたこと。それは俺も同じことを考えてた。加賀先生、大変だろうけど……もう少し、肩の荷を下ろしたって罰は当たらないよな」

「ああ」

「でも、完璧じゃない人間は難しいって透は言ってたけど。俺にしてみれば、お前は完璧に近いよ」

「はぁ?」


 ニーッと笑う無邪気な新太の表情を透は訝し気な目で捉える。心の底から捻り出てきた疑念の声だった。


「何がどう完璧かなんて、自分たちで勝手に決めればいいだろ。それを踏まえると、俺はそう思うんだ」

「なんか、気味が悪くて風邪ひきそう」

「おいおい。そこまで謙遜することないだろ?」

「どんだけポジティブなの。新太は」


 何とも言えない顔をしたままの透を見ていると、新太の心が緩んでいく。もしかしたらこの流れで芙美のことも聞けるかも。一度はそう思った新太だった。けれど透の瞳の奥に見える複雑な感情を見ていると、文鎮のごとく重たい何かが口を封鎖してしまうのだ。

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