20 雨雨フレフレ

 つい一時間前までは朗らかな空模様だったのに。

 教室に戻る途中で見た空の色を思い出しながら、新太は窓の内側から土砂降りの外を眺める。

 放課後になるや否や一日の終わりの解放感を台無しにする大雨が曇天から容赦なく降り注いできた。


 傘を持っていなかったことで面倒な思いをした過去の記憶から、新太は鞄にはいつも軽量型の折り畳み傘を常備している。だから周りの生徒たちが空にクレームを入れている間にも、意気揚々と帰ることが出来るはず。

 それでもまだ外に出る気にならないのは、ここまで降られるとどうしたって靴が浸水してしまうせいだろうか。少し先の未来が分かり、億劫になっているだけだ。新太はもやもやする心にそう言い聞かせる。


 教室から外の世界を見下ろせば、久しぶりに会った友人たちにじゃれつかれて下校していく青央の姿が見えてきた。傘は当然持っていない。友人に傘を差し出され、否応なしに相合傘をさせられていた。

 新太はぼうっとした眼差しで彼らが視界から抜けていくのを見つめる。

 彼に言われたちょっとした言葉が、時間が経った今でものどに刺さった小骨のように存在感を示すのだ。

 未来について考えたことがあるのか。


 それを言った青央本人がどうなのかという疑問が残る問題はあるものの、受験を控えた三年生らしい言葉ではある。

 新太自身、来年は受験を控えた学年であることを自覚している。あと一年と数か月を過ぎれば、この校舎ともお別れだ。部活動をしていない新太は恐らく、卒業生として訪問する予定もない。


 ならばこの先自分はどうしたいのか。

 彼の言う通り、事件に構う前にもう少し真剣に考えた方がいいのだろう。しかし、新太が引っ掛かっているのは文字通りの彼の言葉ではなかった。青央が言いたいのはきっとそんな単純なことではない。初対面の後輩に対して親切に進路の心配をしてくれるなど、青央のことをよく知らない新太でも不自然だということは分かる。


 あの言葉は、本当に自分に対して言ったことなのか。

 新太はその時の青央の苦悩を滲ませた先鋭な睨みを思い返し、唇を噛んで息を閉じ込める。

 彼が言いたかったことの真意はいくら探っても分からない。けれどその一言が新太の焦りを増長させたのも事実だった。


 自分も将来を考える時。

 それは、同学年で弟でもある透も同じ。

 もし、このまま捜査が難航して真犯人が見つからなかったら。

 痺れを切らした警察が、状況証拠を過信して透を真犯人だと断定してしまったら。

 彼が望む未来は一体どうなってしまうのか。考えるだけでもおぞましかった。


 透は複雑な自分の立場をよく理解している。だからこそ、将来にやりたいこともたくさん思い描いていることだろう。それは自分よりもハッキリと、誇りを持って、鮮明に。新太はそのことをよく知っていた。

 ほんの少し聞きかじっただけの透の小さな展望は、ほんの入り口にしか過ぎないが、真意でもある。

 人間の内側から、少しずつ変わっていけるきっかけを作っていきたい。

 僅かに語ってくれた彼の本音が今も明瞭な感情を持って胸に残っている。

 そんな些細な望みすら、今後の事件の行く末によっては潰されてしまうかもしれないなんて。


「そんなこと、あってたまるか」


 新太は窓に向かってぽつりと呟く。


「諦めちゃだめだ」


 未来を想うことが新太の情を一層強いものにしていく。彼の声は、ざあざあと窓の前を落ちていく大量の雨音にも決してかき消されることはなかった。



 まだ雨は降り続く。天気予報をチェックしたクラスメイトによれば、今日はもう深夜までこの調子が続くらしい。ならば、少しでも弱くなるタイミングを待っているのもなかなかの賭け。観念した新太は靴が濡れることも承知で教室を出る。

 この悪天候の中、普段は外で活動する運動部も筋トレぐらいしかすることがないようだ。トレーニングルームの前を通るといつもの十倍は賑やかな様子が伝わってきた。彼らの喧騒を横目に、新太は正面玄関を目指して職員室の前を通過する。


 ちらりと職員室を見やれば、事件の日に青央がその場にいた光景が目に浮かぶようだった。先輩は何をしていたのだろう。姿は浮かんでも、どうしても輪郭はぼんやりとしたままだ。

 幻想を振り払い、鞄から傘を取り出そうとする新太の背後に足音を消した影が忍び寄る。


「ばぁっ!」

「うわぁあっ!」


 どっきりのお手本の如く膝から崩れ落ちる新太の反応に、仕掛け人はケタケタと上機嫌に笑う。


「わーい。引っ掛かったー」


 新太が振り返ると、瑞希が嬉しそうにガッツポーズをしているところが見えた。


「瑞希。なんだよ脅かすなよ」

「前に体育館でやられた仕返し。どうだ、参ったか」

「へぇへぇ」


 床に落とした折り畳み傘を拾い上げ、新太は頭を掻きながら参ったことを渋々伝える。


「職員室で何かしてたのか? 瑞希」


 恐らくそこから出てきたのだろうと推測した新太は、まだ少しだけ乱れた脈を無視して瑞希に問う。


「そうだよ。メディア部の今後の活動について確認したくて。頼成先生がいなくなっちゃったから顧問もいない。ほかに顧問になる先生っているんですかって訊いてみたんだ」

「で。どうだって?」

「まだ決まってないってさ。メディア部の活動も、今は生徒たちが勝手にやってるだけって状況だし。学校的には、まだあんまり動かしたくなさそうだった」

「それはあんまりだな」

「でしょ? 僕、メディア部の活動だけが楽しみで学校に来てるようなものなのにさっ」


 瑞希は憤慨した様子でわざとらしいすまし顔をして瞼を閉じる。


「結局文化祭のレポートもまだだよな。俺、少し楽しみにしてたのに」

「編集は終わってるんだけどね。ちょっと、時期が悪いって止められちゃってるんだ」


 正面玄関に向かいながら、瑞希はやれやれと両手を上げた。


「あ。ところでさ桜守。今、ちょうど桜守にぴったりの情報を仕入れたところなんだ。知りたい?」


 がっかりした気分に浸りたくないのか、瑞希は表情筋を存分に動かしてニヤリと新太に笑いかける。


「情報? その様子じゃ、瑞希が言いたくて堪らないって感じに見えるけどな」


 新太は渇いた笑い声を漏らして瑞希を見る。


「まぁー、本音を言えばそうかも。でも、無駄にゴシップを撒き散らすのはもうやめたからねぇ。これからは、等価交換を意識してやっていきたいと思ってるんだ。ああもちろん、今はお金は求めないよ?」


 瑞希は人差し指を立てて念を押すように新太に今の心情を述べた。


「じゃあ何を求める? 俺、まともな情報なんて持ってないけど」

「そこは心配しなくていいよ。教える代わりに、ちょっと頼みたいことがあるだけだ」

「頼み事?」

「うん」


 新太が首をひねると、瑞希は意気揚々と息を弾ませた。


「今度、桜守たちがやってるパーティーに誘ってよ。僕、みんなに気持ち悪がられてるから誘われたことがないんだ。一体どこで周知してるのさ」


 瑞希が寂しそうに嘆くと、新太は顎に手を当てて考える素振りを見せる。


「そんなはずないだろ? 俺たちの学年は誰だろうととりあえず歓迎だから、詳細は学年のグループトークに投稿してるぜ」

「百パーセント実行されてるって思ってる? 僕、ブロックされてるんだ。桜守は招待する係じゃないのかもだけど、事実、僕はこれまでパーティーとかイベントをやってることは自力で情報を得てきたからね。SNSの投稿を探って。もちろん正面から参加できないから忍び込む形になったけど。前、つまみ出されそうになったこともあるんだからな」

「嘘だろ。それは申し訳なかった」

「いいよ。桜守がやったんじゃないし」


 しゅんとして反省の色を滲ませる新太の表情を見やり、瑞希は静かに首を横に振った。


「でもこれからは、正々堂々と参加したいなって思って」

「ああ。当たり前のことだ」

「じゃあ、いいの? 僕、今度は省かれない?」

「もちろん。俺が保証する」

「ありがとう桜守!」


 新太が力強く頷けば、瑞希は歓喜に突き上げられたのか勢い余って彼の肩に抱きつく。


「ようやく俺に連絡先を教える気になったのか? 随分とガードが堅いんだな、瑞希は」

「大事な僕の情報だからねぇー。ハッキングでもされたら大変」

「考えすぎだって」


 そう言いながらスマートフォンを取り出す新太の声は嬉しそうだった。ようやく彼とのわだかまりが解消された。今度は自信を持ってそう思えたからだ。


「それじゃ、僕の持っている情報を教えるね」


 連絡先を打ち込みながら瑞希は改めて咳払いをする。


「生天目さん、どうやらストーカー被害にあってるみたいだよ。ストーカーの正体まではまだ突き止められてないんだけど。最近の目白、よく生天目さんと一緒に帰ってるだろ? ほら、前も見た通り。だからさ、勝手に敵視されたりしないかなって思って。もちろん生天目さんのことも心配だ。でも、変な奴だったら目白のことを逆恨みする可能性だってある。僕も調査は続けるつもりだけど、桜守もちょっと気を付けた方がいいかも」

「…………は?」


 スマートフォンを返された新太は見るからに状況を飲み込めていない顔をしていた。


「あ。ほら」


 まだ時の止まったような目をしたままの新太に対し、瑞希は正面玄関に見える二人を指差す。

 折り畳み傘を広げる透の隣には、両手を合わせてぺこりと頭を下げる芙美がいた。

 そのまま同じ傘に入って雨の中を進んでいく透と芙美。身長差のせいか、芙美の肩は少し濡れてしまっている。


「ストーカー、だと?」


 ようやく事態を把握した新太は、神妙な声を出して眉間に皺を寄せた。

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