16 スマホの中の



 文化祭が近づき、校内が来たる祭りに備えて妙に浮足立っている季節の頃だった。

 生徒たちはそれぞれの所属団体で企画した催し物の準備に駆けずり回っている。その点、メディア部は当日の様子を記録し、後日レポートとして祭りの余韻を提供する役を担うだけ。事前に準備することもそこまで多くなく、クラスの企画の手伝いをするだけで十分に事足りた。

 放課後の時間を準備に費やす必要もない透は、チャイムが鳴るや否や立ち上がって各々の目的地へ向かう他の生徒たちを横目に余裕のある様子で帰り支度をする。この日は頼成が研修でいないことに加え、クラスや委員会での文化祭の準備に生徒たちが動けるようにとメディア部の活動は休みだった。


 しかし透のクラスの催し物の準備は比較的順調に進んでいる。だからこそ透はそちらでも特にやることがなく、帰り道に映画でも観ようと考えていたのだ。今日は誰もが安価で映画を観れる日。ちょうど気になる映画も公開されたばかりで、絶好の機会を逃す理由はない。

 透が鞄にすべてをしまい込んだ頃、騒がしい足音とともにやたら賑やかな声が廊下から聞こえてきた。顔をそちらに向ければ、新太たちが楽しそうに通り過ぎていく姿が見える。

 噂に聞けば、彼のクラスの準備の進捗は芳しくないという。つまりは、今日も新太の帰りは遅くなることを意味する。透は視界を横切っていった彼らから目を離してバックパックを閉めた。映画館も魅力的だが、静かな家の中で一人のんびりするのも悪くない。少しの迷いが頭をよぎった時、立ち上がろうとした透をいくつかの影が囲む。


「なぁ目白。お前、ほんっとうに女子に興味ねぇの?」


 声色と見事にリンクしたニヤニヤ顔で透に話しかけてきたのはクラスメイトの一人だった。対して会話した記憶もない相手だ。彼の隣にはさらに二人の男子生徒がいて、透のことを興味深そうに見つめていた。


「それ聞いてどうすんの?」


 動作を遮られ、席を立てなかった透は呆れ気味に脱力する。この質問にはもう慣れていた。今回訊いてきたこの三人にその話題を振られるのは初めてだったが、透にしてみれば耳に胼胝が出来てもおかしくないくらいには聞き飽きている話題だ。

 目の前に立つ三人を見上げ、透は彼らの出方を窺う。これまでのケースだと、女慣れしていないからだとナンパに誘われたり、反対に面白がって違う高校の男子生徒を紹介してやると言われたこともあった。今回の彼らは次に何を言うのか。透は彼らを吟味しながらその声を待つ。

 最初に話しかけてきたクラスメイトは、淡白な表情のままの透をよそ目にスマートフォンをいじりはじめた。

 彼を挟む二人の生徒は、彼の持つスマートフォンの画面をのぞき込み、息を堪えたように控えめに笑いだす。


「なに?」


 まるでハイエナを思わせる意地の悪い笑顔に、透は不快感を覚えて眉をひそめた。するとスマートフォンを見ていたクラスメイトがその画面を透の顔面に向かってぬっと差し出す。


「じゃあ目白さぁ、こういうの見ても何も思わないわけ? もしかしたらさぁ、実は反応しちゃったりするんじゃね?」

「ってかむしろ見るべきだろ。目白、お前も言ったって男だろ?」


 クラスメイト達は画面に視線を向ける透を説得するような口ぶりで熱弁する。彼らの力の入った姿勢を疑問に思いながらも、透は差し出されたスマートフォンを受け取った。

 画面には何人もの女の顔のアイコンが並ぶ。最初、透は何を見せられているのかすぐには理解が出来なかった。しかしよく見れば、彼女たちのアイコンとその横に綴られた一言がこの場で見るにはそぐわない内容だと気づく。もしやと思い、適当なアイコンをタップしてみる。読み込まれた新たなページでは、必要以上に肌を露出した写真にきわどいコメントが添えられていた。スクロールしても出てくるのは同じような写真ばかり。中には動画もあり、視聴者らしき人の感想がずらずらと続く。

 普段、スマートフォンでは必要な調べ物以上のことはしない透でも、今見ているサイトがどのようなものか容易に察することが出来た。


「裏垢系女子……?」


 サイトの上部に貼られたバナーを読み上げ、透は怪訝な眼差しでクラスメイト達のことを見やる。透の一言にクラスメイト達はご名答とばかりに上機嫌に笑う。


「そうそう。ここ、煩雑なアダルトサイトよりもよっぽどクる動画とかいっぱいあるんだぜ。ほとんど素人の投稿だし、大人たちがお金を投げる分、俺たちはタダでそのおこぼれを見れるってわけ。かわいい子も多いし、色んなタイプの人がいる。目白もここで好みを探せば目が覚めるだろ」

「その顔面、生殺しにする気か?」


 一人が透の頭を手で覆ってわしゃわしゃと髪を撫でる。乱れた前髪が左目にかかり、透は鬱陶しそうに髪を搔き上げた。注意書きにある未成年お断りの文字。そんな警告が機能しているはずもなかった。


「お前らに世話してもらわなくても、俺は別に問題ない」


 アイコンの並んだ画面に戻り、透はスマートフォンを丁寧に返す。これまでにない展開を見せたクラスメイト達の挑戦に半ば感心しつつも、透は再び呆れた息を吐く。


「そんなこと言うなって、目白。ほら、この子とかどうよ? 肌が白くてめっちゃ柔らかそう」


 バックパックを背負おうとする透を引き留めるように、スマートフォンの持ち主は懲りずに画面を見せつけてくる。


「だから。必要ないって──」


 いい加減鬱陶しくなってきた透だったが、画面に映る写真を見るなりその声が止まる。


「お? やっぱ目白のタイプってこっち系?」


 口を閉じ、画面をじっと見つめる透の反応に、三人は顔を見合わせてケタケタと笑う。

 だが透の耳に彼らの笑い声は届いていなかった。

 画面いっぱいに写し出された一人の女性の写真。顔は顎から下しか見えていないが、上半身ははだけ、下着がちらりと見えていた。取れかけた下着を恥ずかしそうに支える彼女の指先には、小さなストーンをあしらった緻密なネイルが施されている。ポップな柄は、アイスクリームをモチーフにしているようだ。全ての指が違うフレーバーを表し、艶やかにきらめいていた。


「目白。気になるんなら俺のアカウント貸してやろうか? このコ、結構人気らしいぜ」


 黙ったままの透の眉間に皺が寄ったのを見て、クラスメイトが提案してくる。


「いいや。いい」


 画面から視線を剥がし、透は立ち上がって椅子をしまう。


「お前ら、そういうの見るなら場所には気をつけろよ。顔を見ればバレバレだから」


 先ほどまでの神妙な眼差しとは打って変わり、三人を見る透の目は冷めている。クラスメイト達が透の言葉にちらりと後ろを振り返れば、近くにいた女子生徒たちが声を顰めて「サイテー」と顔を寄せ合っていた。


「な……ッ! ちがッ! これは、目白のためであって……‼」


 三人の言い分には聞く耳を持たず、女子生徒たちはサッとその身を引いていく。彼らを取り残し、教室に響く喧騒を背後に透は廊下に出た。

 ばたばたと駆け回る生徒たちが横を通り過ぎていっても、透の顔は微かに下を向いたまま。頭の中で、記憶と推測が交錯する。

 透の思考の隙を縫い、ある教室から溢れ出てきた女子たちの笑い声が耳を通った。

 窓から見える教室の中を見てみれば、そこには数名の女子生徒が机を囲んで画用紙で工作をしていた。その中で一人、髪を結んでいない黒髪の彼女に透の視線は向かう。


 生天目芙美。一年の時、自発的に受けた英語の夏期講習で一緒だった生徒だ。目立つ生徒ではない。けれど席が隣で話す機会も多かった透は、彼女が実は快活な少女であることを知っていた。本人曰く、人見知りをするから学校ではなかなか素を出せないとのことだった。

 透が見ていることに気がついたのか、芙美が作業の手を止めて片手を振ってくる。透も彼女の笑顔に手を振り返し、横に向けていた顔を正面にそっと戻す。

 ポケットに手を入れて歩き出した透の表情は、教室を出た時よりも険しさが増していた。

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