12 甘党とは違うのだ

 瑞希が警察に自らが頼成の秘密を知っていたことを告げたという。秘密の詳細までは伝わっていない。が、彼が事件に一噛みしたことに変わりない。

 透にメッセージが届いた次の日には、綿が水を吸うよりも早く校内にこの話題が広がっていた。


 生徒たちは新たな容疑者の登場に、忘れかけていた緊張感を思い出す。疑念が漂う校舎の中、廊下を歩く瑞希に向けられる視線は重い。どこにいても針の筵に座るような気分に包まれ、瑞希はなるべく顔を正面に上げないことを意識しながら歩いた。昼食の時間を迎えても、隠れられる場所など限られている。

 しかし瑞希は一人になるのに最適な場所を以前から心得ていた。彼が軽食を片手に向かうのは決まって体育館だ。体育館のギャラリーにわざわざ立ち入って昼休みを潰す生徒は滅多にいない。行事や試合でも控えていない限り、そもそも体育館に立ち寄る理由もないからだ。


 叶山高校の生徒の動向を把握している瑞希にしてみれば、自分だけの空間を探すことは容易だった。

 鍵のかかっていない体育館の扉をガラリと開け、慣れた足取りでステージ横から階段を上がる。

 靴底が鳴らす単調な金属音が響く。その足音が教えてくれるのは、いばらからのようやくの解放だった。


「ふぅ」


 自然とこぼれた安堵の息が口を出ていく代わりに入ってきた空気が、狭くなっていた肺を広げていくような気がした。

 昼食を食べるためにギャラリーの一番隅に座り込む瑞希。もちろん定期的な掃除はされているが、座るとやはり埃が制服につくことは免れられない。けれど瑞希は汚れなど一切気にせずに背中を壁につけて天井を見上げた。さきほどより頭上の空間が狭い。電気がついてなくとも、あちこちの窓から差し込む光で視界は悪くなかった。


 漂う埃が目の前を舞っている姿をぼうっと見つめ、瑞希はそのまま瞼を閉じた。待ちわびた休息の時。吸い込む酸素が綺麗なものではないことは分かる。それでも、このカビの混じった独特の匂いが瑞希の心を落ち着けてくれるのだった。

 自分が呼吸していることを思い出せる時間。誰の目も届かないこの場所。限られた条件下で、ここは彼のとっての特等席になる。誰にも邪魔されない、見えない防護壁に守られた特別な空間だ。特に今日は疲れている。

 瑞希はゆっくりと瞼を開け、勝手に進んでいく時計に目を向けた。彼の警戒心がすっかり緩みきった、その時だった。


「なぁ瑞希。それ昼食って言うよりもお菓子じゃね?」


 聞こえるはずのない声が隣から弓矢のように飛んできて、瑞希の心臓に脅威を与えた。


「うわぁっ⁉ えっ⁉ なに! 桜守⁉ いつからここにいるんだよ‼」


 すべての内臓とともに身体を飛び上がらせた瑞希は、驚きのあまり俊敏に立ち上がる。びっくり箱のピエロも舌を巻くほどの素早さだった。


「お前が来る少し前。瑞希が教室にいないときは大体ここにいるって透から聞いたからさ。絶対に先回りしてやろうと思って。どうだ。驚いたか」


 ニヤリと歯を見せて得意気に笑う新太は、膝を抱えてしゃがみ込んだまま指先を揃えた片手を上げた。彼が友人にする挨拶の仕草だ。


「よっ。じゃ、ないんだよ‼ 心臓止まるかと思った。いるならすぐに声かけてよ」

「そうしようかなぁと思ったんだけどさ。隠れるのが楽しくて」

「勝手にかくれんぼするなよ。はぁ……ほんとうにびっくりした」


 まだバクバクと強く鼓動を打ちつけている胸を撫で、瑞希はへたりこむようにして再び座り込む。


「瑞希って甘いもん好きなの? 菓子パンばっかりじゃん」

「そうだよ。甘いものは手っ取り早く糖分を摂取してる気分になれるからちょうどいい」

「なるほど。お前、いつも頭動かしてそうだもんな」


 瑞希の回答に新太は納得した顔色で頷く。


「それで。なんで桜守がここにいるの」


 気を取り直し、瑞希は大きな息を吐きながら片足を立て、もう片方の靴先を欄干に伸ばす。


「加賀先生のこと。直接先生に頼成先生とのことを聞こうと思って。それで、瑞希も一緒だと心強いなぁーと思って相談したかっただけ。お前教室出ていくの早すぎ。透に対抗策を聞いといてよかったよ」

「加賀先生が、素直に話してくれると思う?」

「それは分からないけど。でも、生徒が正直に話したんだから、少しくらいは見習ってもらいたいなと期待してるのが本音」

「だから僕にいて欲しいって?」

「いや。そういうわけじゃない。そもそもこの情報はお前が掴んだものだ。又聞きの俺が問い詰めるだけじゃ心許なさすぎるからさ。心強いってのは本音だよ」

「ふぅん」


 菓子パンの袋も開けずにじっとパッケージを見つめていた瑞希が、新太のことを流し目で吟味するように見やる。


「鈴巻さんに会いに行こうって誘ってくれたし、僕も協力するって言ったから。どんな理由だろうと一緒に行ってやってもいいけど」

「ほんとか? 助かるぜ、瑞希」

「加賀先生がどんな反応するかなんて知らないからね」

「それはもう承知してるって」


 新太は頬を崩して朗らかな様子で笑う。


「そう。じゃあ放課後、早速訊きに行こうか」

「ああ。よろしくな」

「ん」


 菓子パン袋の口に両手を添え、瑞希は力を込めて開こうとした。彼の一連の動作を眺める新太は、彼の心模様を読み取ろうと目を凝らす。だが当然見えてくるはずもなく、新太はさり気なさを装って訊いてみる。


「瑞希。警察に言ったって、凄いことだと思うぞ」

「ええ?」


 袋を開け、パンを手に取ろうとしていた瑞希の動きが止まる。疑い深い表情を新太に向け、瑞希はその心を眼差しで問う。


「瑞希はメディア部の部員だけど、今のところ警察の捜査は来ていない。なのに自分から先生の秘密について警察に話すなんて、かなり勇気がいることだと思う。場合によっちゃ、瑞希も容疑者になるかもしれないのに」

「僕はただ、校内で秘密を知ってるのが僕だけじゃないかもって思ったんだ。だから、はじめから言っておいて、でも僕は誰にもバラしたことはありませんって正直に伝えておこうと思った。そうしておけば、もし警察が新たに容疑者を洗い出そうってなった時に、少しは信頼してもらえるかなと思って」

「先回りってことか」

「そういうこと。そのせいで学校の連中は僕が犯人かもとか言い出してるけど。でも、校内で厄介者の目を向けられるのはもとからだし。しょうがないよ」

「しょうがないってこともないけど……」

「桜守。分かってるだろ。僕が皆にどう思われてるか。変に気を遣わなくていいよ」


 瑞希にぴしゃりとそう言われた新太は、眉尻を下げて頭を掻く。どうしたものかと悩む彼の様子を尻目に、瑞希は好物の菓子パンを口に含んだ。


「加賀先生、何かヒントになればいいけどね」

「……そうだな」


 昼食を味わう瑞希の声に促され、新太は複雑な面持ちで太陽光に照らされる塵を見つめた。

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