11 校内のメディア王

 「新太」


 透が教室の扉を叩いて顔を出すと、クラスメイト中の視線が一斉に彼の方へ向かう。

 新太は珍しく自分の方から訪ねてきた透の姿を見るなり嬉しそうに笑った。


「透! どうしたんだ? 珍しいじゃん」


 透のもとへ駆け寄り、新太は声を弾ませる。無邪気に笑う彼の後ろでは、数人の生徒が面白くなさそうな顔でこちらを見ていた。彼らの目は明らかに透のことを事件の真犯人だと疑っている。

 新太に押されて教室を出た透は、その顔が見切れるまで彼らに向けた視線を剥がすことが出来なかった。新太はクラスメイト達の不穏な表情にそっぽを向いたまま。背中に届く厳しい眼差しに気づいているのかいないのか。飄々とした笑顔からは何も読み取ることはできなかった。


「東泉に頼成先生の件、協力してもらえないか一応聞いてみたんだけど」

「おお! さすが透は仕事が早いなっ」

「期待に応えられなくて悪いんだけど、やっぱり嫌だってさ」

「ええっ⁉ って、まぁそうか」


 ワクワクとした笑顔から驚愕の顔つきへ見事に表情を変貌させた新太は、乾いた息を吐きだしながらカラカラと笑った。


「新太の名前出したわけじゃないけど。でもやっぱり、東泉は気まぐれだし。協力してもらうのは難しいかも」


 透は週末の深夜に見た彼のメッセージを思い浮かべながら淡々と伝える。


「いーや! 諦めるのはまだ早いぞ? 透」

「何か秘策でもあるの?」


 やけに自信たっぷりな新太の反応に透は微かに首を傾けた。


「ああ。いいモノを仕入れたんだ。俺が交渉してみるよ」

「なんか怪しいな。新太、変なことに手を出してないよね?」

「まさか。至極真っ当な手段しか俺は使わないからな」


 新太は不審な目をする透に向かってほくそ笑む。


「気になるなら、お前も一緒に交渉に行こうぜ」

「いいけど。あ。そうだ新太。秦野が言ってたんだけどさ」


 透が何かを思い出したように口を丸くした瞬間、教室の中から新太の友人がトントンと扉を叩いてアピールしてきた。


「新太。お前、次の授業小テストあるけど大丈夫なの?」

「げっ⁉」


 透のことをちらりと横目で見た友人は、新太に視線を戻して親切な提言をする。新太は見るからに大丈夫ではなさそうな表情を浮かべてサーっと青ざめていく。


「小テストか。それは早く戻って準備した方が良さそうだね。新太、じゃあ、東泉のことはまた放課後に」


 新太の分かりやすい反応を見た透は、それだけ言い残し自分の教室へと足を向けた。


「えっ? 透、話の途中じゃないのかよ」

「それも放課後で」


 片手をひらひらと振り、透は背中を向けたまま自らの教室に入っていった。

 透が消えた廊下に残った新太は、教室から顔を出す友人と目を合わせてから慌てて席に戻っていく。



 放課後になると早速、新太は透を連れて講堂前にある広場へ向かった。そこに目当ての人物がいるという情報をクラスメイトから聞きつけたからだ。

 講堂の前にはすり鉢状の階段があり、下の広場には花壇が広がっている。普段は園芸部の面々がここで活動をしているはずだが、今日は休みのようだ。


 階段の上から広場を見下ろしても、そこには男子生徒一人しかいない。彼は首から立派な一眼レフカメラを提げ、階段の一番下に座ってカメラのディスプレイを夢中で眺めていた。

 パーマのかかった柔らかそうな黒髪は、太陽の光を浴びて薄茶色に見える。座っているだけでも小柄な体格だと分かる彼の肌は、室内にいることが多いと思わせるほどに透明感があった。


「そろそろスマホのカメラに切り替えてもいいんじゃないの?」


 階段を下りていく新太が彼の背中に声をかけると、彼はピクリと耳を動かして顔だけで振り返る。


「桜守。分かってないな。一眼とスマホのカメラじゃ、シャッタースピードも臨場感も段違いなんだよ」


 カメラのディスプレイを消し、彼はハァ、とため息を吐く。

 東泉瑞希とうせんみずきはサシャと同じクラスの二年生だ。一年の時は新太と同じクラスだった。だが二人が会話をする機会はほとんどなかったと言えるくらい関係性は皆無のまま時は過ぎた。

 新太が唯一認識している彼に対する情報は、自分のことを好ましく思っていないということだけ。

 瑞希は新太の後ろを歩く透に目を向けて、唇を尖らせた。


「目白。桜守を連れてきても逆効果だって」


 文句を言いたげな眼差しで透を見つつ、瑞希は面倒くさそうに立ち上がる。


「悪いな、瑞希。透にクレームを言っても無駄だぜ。なにせ、お前と話したいのは俺だからな」

「はぁ?」


 五段上で立ち止まった新太を見上げ、瑞希は心底鬱陶しそうな声を出す。


「頼成先生の件。瑞希の力を借りたい。犯人探しに協力してくれないか?」

「随分と直球だね」

「まどろっこしいこと言っても、瑞希は嫌がるだけかなーと思って」

「ふぅん。まぁ、礼儀は弁えてるかな」


 瑞希は上機嫌な顔をして鼻を鳴らす。


「だからといって、桜守の頼みを聞く義理なんかないけどね」


 腕を組み、新太の出方を窺う瑞希は睫の下から新太を見やる。


「ああ。そりゃ俺だって一方的には無理だろうなと思ってる。だからちゃんと、対価を持ってきた」

「対価? それ、本当に価値のあるものか判断できてんの?」

「もちろん」

「怪しいなぁ。桜守だし」

「おいおい」


 徹底的に敵意をむき出しにしてくる瑞希に対し、新太は反対に力が抜けたような顔をして笑う。


「俺だって学校一の事情通にわざわざ変な情報を渡すことなんてしないって」

「そう?」


 少し褒められた気がしたのか、瑞希の声から僅かに刺が抜ける。


「瑞希は透も認めるメディア部のエースだ。俺もそれなりのモノを用意したよ」


 新太の斜め後ろで二人の様子を見守る透は、得意気な様子を崩さない新太の妙な自負心に微かな不安を覚えていた。


「分かった。じゃあ、とりあえず話だけ聞くよ」


 瑞希は組んでいた腕を解いてこくりと頷く。


「頼成先生が殺された時。誰が鍵をかけたのかって問題のほかに、一つ違和感があっただろ? 普通、学校にはないもの。それがそこにあった。暗号なのかすら分からなくて、犯人のただのいたずらかと思われてた」

「ちょっと。ちょっと待って」


 新太の話を途中まで聞いた瑞希は、どうどうと牛を宥めるように両手を上げてわざとらしく口角を持ち上げる。


「蜘蛛の話ならもう知ってるし。先生の弱点だったって話だろ?」


 ぽかんとする新太をよそ目に、瑞希は優越感に満ちた表情でいやらしく笑った。


「そんなの、犯人探しに協力する対価にすらならないって。やっぱり桜守は、この道に向いてないね」


 新太を茶化し、愉快そうな調子で笑う瑞希。彼の笑い声がすり鉢の階段に響く中、新太は透を振り返ってぱちぱちと瞬きをした。目が合った透は、瑞希を見た後で困ったように肩をすくめる。


「瑞希、どうしてそのことを知ってるんだよ」


 高らかに笑っていた瑞希の声が、新太の一言によってピタリと止む。


「家族や親しい人しか知らない秘密なはずだ。先生が気絶するほど蜘蛛が嫌いってことは。瑞希、それを知ってるって、まさか、お前──」

「違う違う違う違う‼ 待って待って待って待ってって‼」


 瑞希の声が新太を遮る。彼は途端に顔色を変えて両手を顔の前で必死に振っていた。


「まさか僕がやったって思ってる⁉ それはない! ないないない‼」


 瑞希は否定を唱えてぶんぶんと頭が取れそうなほど力強く首を横に振った。


「しまった。うっかり口が滑ったよ」


 はぁはぁと勝手に息を乱す瑞希は、うわぁと呻いてしゃがみこむ。


「どういうことだよ、瑞希」


 新太はさらに階段を下りて瑞希の前に屈みこんだ。


「僕がこのことを知ってるのは、前に職員室で生物部の奴が話しているところに遭遇したからだよ! ほら、タランチュラを飼いたいって言ってた部員がいた話、知ってるだろ? その時、僕もちょうど職員室にいたんだよ。メディア部の予算で新しいカメラが買えないかって相談してて。で、先生がタランチュラの話を聞いて──」


 瑞希は近くに寄ってきた新太のことをがばっと見上げて一生懸命説明する。


「なんか挙動がおかしかったから、先生に訊いてみたんだ。もしかして蜘蛛苦手なんですか、って。でも先生は否定した。だけど僕には分かっちゃうんだ。あの時、明らかに先生の目は泳いでたし、笑顔も不自然だった。やたら時計を撫でて、貧乏ゆすりまで始めた。何より声が揺らいでたんだ。ほんの僅かだったけど。緊張感を隠す声色だったんだよ。だから、先生は蜘蛛が本当はものすごく嫌いなんだろうなって、そう確信した。どうして嘘までつくのかは分からなかったけどさ」

「そんな憶測めいた話を信じろって?」

「信じろよ! だいたい、僕に動機なんかないだろ」


 新太のシャツの胸元を掴み、瑞希は脅しをかけるような声で訴えかける。


「前に、匿名で先輩たちのゴシップ情報を流して怒られてたよな? その時、頼成先生にこっぴどく叱られたって聞いたけど」


 新太はちらりと透を見やり、その記憶が曖昧ではないことを自分に言い聞かせた。同じメディア部に所属する透から聞いた話だ。新太は瑞希に視線を戻す。すると瑞希は新太のシャツから手を離してへなへなと地面に項垂れる。


「あれは、確かに厳しく注意されたよ。でも、先生は一方的に僕のことを怒ったんじゃない。僕のことを守ろうとしてくれたから必死になってくれただけなんだ。週刊誌みたいな会社の後ろ盾や保証があるわけでもなく、ただの個人として勝手なことばかりをしていたら報復を食らう。そんな危険な道を歩こうとするな、って、僕の将来のことを考えてくれたんだよ。先生も昔は、そうやって無意識に人を傷つけたことがある。だから情報は、正しく扱わないと駄目だって。僕の夢はジャーナリストだ。それを知っていたからこそ、先生は折角の能力を勿体ない方向に使うなって警告してくれたんだ。上手く使いこなせるようになれば、お前は誰よりも信頼のある立派なジャーナリストになれるって。叱りながらも反対に背中を押してくれた。皆を混乱させることでしか情報の扱い方を知らなくて、陰で笑うことしかできない僕のこと、先生は期待してくれたんだよ。そんな人を、殺すわけないだろ‼」


 瑞希の声は震えていたが力強かった。キッとこちらを睨む彼の瞳には、ちょっとやそっとじゃ消えそうにない強い信念が見てとれた。新太は瑞希と目を合わせ、彼の肩にそっと手を添える。


「疑って悪かった。ちょっと驚いただけだ。さすがは情報屋ってところか?」


 感心しているのか困惑しているのか。どちらとも捉えられる微笑みを見せ、新太は恐る恐る瑞希の肩を撫でた。切羽詰まった瑞希の表情が僅かに緩和され、新太はほっとしたのか目元を緩める。


「確かに、疑われるようなことを言ったのは否定しない」


 瑞希はぼそっと呟いてゆっくり立ち上がっていく。新太も彼に合わせて屈めていた身体を戻す。


「だけど僕はやってない。僕だって先生が亡くなって悲しいんだ。先生に、まだ教えて欲しいこと、たくさんあったのに」

「そうだよな」

「蜘蛛嫌いを知ってたってだけで僕を疑ったよね。それなら……もっと怪しい人、僕知ってるけど」

「え?」


 新太は同じく驚いた表情をしている透と顔を見合わせる。


「もしかしたらその人が犯人なんじゃないかって、僕は疑ってる。でも確証がないし。裏付けには足りないんだ」


 瑞希は顎に手を当ててぶつぶつと独り言のように呟く。


「瑞希、それって誰だよ?」

「…………加賀かが先生」


 新太の顔をまじまじと見た後で、瑞希はしぶしぶ声に出す。


「加賀先生と頼成先生、少し揉めてたから」


 聞き覚えのある名前を新太が脳内で消化するのを待たず、瑞希は続ける。


「加賀先生って、化学の加賀先生?」

「そう。加賀真唯先生だよ」


 瑞希は新太の入念な確認にあっさり頷いて名前を強調させた。

 透の方を見ても、彼にとっても意外な名前だったらしく、眉間には皺が寄っていた。


「そっか。教えてくれてありがとう。代わりに、俺も白状する」

「うん?」


 改まった態度をとる新太に瑞希は素直な表情で首を傾げる。


「先生の蜘蛛嫌いを教えてくれたのは先生のご友人だ。今朝、話してくれた。もし、瑞希も興味あるなら、今度一緒に話を聞きに行こうぜ」

「どうしてそんなこと言ってくれるの?」

「情報を互いに渡さないと不公平だろ。平等じゃないのはよくない」

「へぇ」


 新太の回答に瑞希の好奇心が刺激されたようだ。少しずつ開いていく瞳孔がキラリと輝く。


「桜守って、意外といい奴なの?」

「は?」

「僕もその人に会ってみたい。桜守、一緒に犯人をつきとめちゃう?」

「んんんん? ああ、それは、嬉しい提案だけど」


 ころりと変わった瑞希の態度に翻弄され、新太の口元がもごもごとまごつく。


「じゃあ僕、撮った写真を厳選してくるから。園芸部の活動報告を今度会報に載せる予定だからさ」

「そっか」

「じゃあまたね。目白も、そろそろ部活に戻って来いよー」

「ああ。気が向いたら行くよ」


 階段を一段飛ばしで上る瑞希は、途中、透にも笑いかけながら広場を去って行った。


「新太、蜘蛛の話知ってたんだ?」

「ん。そうそう。さっき言った通り。先生のご友人に聞いたんだよ。鈴巻さんって人。あれ? 透も知ってたのか?」

「今朝、秦野から。秦野は警察の話が聞こえたからって教えてくれた。さっき廊下で言おうとしてたのもこの話だよ」


 階段を上がり、透の前まで来た新太は「なるほど」と呟いた。


「なんか、思わぬ方向に話が飛んだな」

「加賀先生のこと?」

「うん。瑞希の態度が豹変したのもちょっと不気味だけど。でも、瑞希は頼りになる奴だろうし。ありがたい話だ」

「加賀先生と頼成先生、何があったのかな」


 透は残りの階段を上がりながら前方に見える講堂をぼんやりと見つめる。


「それもこれから、きっと分かっていくだろ」


 大胆に階段を駆け上がった新太は、自分のペースで上がってくる透に向かってニヤリとしたり顔をしてみせた。


「人には秘密があるものだからな」

「……そうだね」


 新太に追いついた透は、隣で暑苦しく笑う新太のことをじっと見やる。


「新太。ボタン、取れかけてるよ」


 瑞希に掴まれたところのボタンがグラグラと揺れていることに気づき、透はそっと指をさす。


「げっ。ほんとだ」

「補強しないとどっかに失くすよ」

「分かってますって」


 新太は小刻みに頷きながらも特に何もしようとはしなかった。透が目を逸らすと、新太は慎重な口調で話を切り替える。放っておいとくれと言われたきり触れなかった話題。しかしやはり気になるのが正直なところだった。


「そうだ。秘密といえばさ。芙美ちゃんとはお前、どうなってるんだよ。もし、悩みとかあるなら相談に乗るから言えよ」

「なんでもないって。俺には秘密なんてないし」

「あっ。そんなこと言ったって、誤魔化しになんかならないからな?」


 煙たそうな表情のまま新太を抜かしていく透のことを、新太はめげずに楽しそうに追いかけていった。

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