3 Jesus!

 頼成英紀らいじょうひできは叶山高校で教師を務めていた男だ。生徒には”ジーザス”と呼ばれ、愛称の仰々しさとは違い、気さくで親しみやすい人間だった。文化祭も終わり、秋の風がにわかに冷たくなってきた金曜日の放課後、彼は叶山高校の一室で殺された。自らが顧問を務めるメディア部の部員たちに見守られ、頼成は言葉なく学校を去って行った。


 週末を越え、新たな一週間が始まった校内は当然の如く頼成の悲劇の話でもちきりだった。生徒の中にはショックで登校できない者もいた。第一発見者となった短髪の生徒もまたその一人で、透は彼を気遣うメッセージを送った後、人波に混ざって講堂へと向かう。


 朝から教師たちがどうにか平静を装って生徒たちを不安にさせないようにしている空気は感じていた。だが校内で起きた事件をなかったことにはできない。事件の余波がこれ以上広がらぬよう、今日は一限目から講堂に全校生徒を集め、全校集会を行うことになっていた。校内放送からはカウンセリングの案内が絶えず流れてくる。

 講堂の席を探す透は、数列前に芙美が座っていることに気づく。彼女は手元のスマートフォンに夢中で彼のことには気づかない。透は芙美から目を離し、すぐ近くの空いている席に腰を掛けた。


 透が席についたほんの数分後、友人たちとともに新太も講堂に姿を現す。新太は事件に沸いて非日常を味わう友人たちを横目に、舞台に掲げられた頼成の写真に意識を向ける。愛想に満ちた清涼感のある笑顔で講堂を見渡す彼の穏やかな瞳と目が合って、新太の胸はざらついた。

 教師生活十二年目を迎えたにしては若々しい顔立ち。無理に流行を追わない普遍的な髪型の彼の姿を見ると、寝癖が爆発して友人たちにからかわれていた場面で助け舟を出してくれた時のことを思い出す。「桜守は天然属性まで手にしたいのか? 逆に計算してきただろ」そう言って笑いながら優しく肩を叩いてくれた。からかわれることが得意でない新太にとっては、僅かな心遣いが嬉しかった。


 席に座った新太は、舞台上でばたばたと準備をする教師たちの姿をぼうっと瞳に映してその時を待った。

 しばらくすると、講堂全体の照明が絞られ舞台の明かりが煌々と強調される。生徒たちのざわめきが静まり、眼鏡をかけた壮年の男が壇上に上がった。叶山高校の校長だ。恭しく頼成の写真に頭を下げ、彼は低い声で話し始める。

 改めて校長によって頼成がメディア室で無残な姿で見つかったことが告げられると、生徒たちが一斉に息をのむ音が聞こえてきた。主に日本史と世界史の授業を受け持つ彼とは、多くの生徒に接点がある。ついこの間まで教室の前方で教鞭を奮っていた彼の飄々とした話しぶりを思い出し、新太の目頭が熱くなっていく。


 涙がこぼれ落ちそうになり、咄嗟に目元を指先で拭う。彼のしんみりとした様子とは裏腹に、隣の友人たちは校長の話を聞きながらこそこそと口を動かしていた。

 囁き合う彼らの会話が気になり、新太は彼らの方へ身体を傾ける。すると友人たちは、興味を示した新太も仲間に入れて話を続けた。


「メディア室の鍵がかかってたってほんとかよ?」

「ああ。間違いない。警察の知り合いがいるっていう叔母さんに聞いた。発見時は密室状態だったんだってさ」

「げぇ。これって名探偵が現れる布石?」

「そんな都合よく名探偵が世の中にいるわけないだろ」

「そうかなぁー」


 新太の隣に並ぶ三人の男子生徒は声を顰めながら腕を組む。


「そうそう。あと、先生の近くで蜘蛛も死んでたって話だぜ。しかもタランチュラ」

「蜘蛛ぉ? なんでまた。学校でタランチュラなんて飼ってたっけ?」

「いいや。毒があるし危険だからって生物部の申請が却下されてたはずだ」

「なるほど。あっ! 俺、分かっちゃったかも」


 新太の隣に座っていた友人がポンッと手を叩く。少し声が上擦ったので、前に座る女子生徒が怪訝な眼差しを送ってきた。新太たちは肩をすくめながら彼の見解に耳を寄せる。


「タランチュラがいたってことはさ、先生、もしかして毒にやられたんじゃないの?」

「いや、死因はナイフで確実だろ。それにタランチュラの毒って、言ってもたいしたことじゃないらしいぜ。人間には無害でハチよりも弱いって生物部の奴が訴えてたし」


 新太の二つ隣に座る友人が目を瞬かせて冷静に言う。


「ふぅん。じゃあ、本当に誰かに刺されたってことでやっぱ確定か。警察は単純な殺人事件だって言ってたらしいし。うわ、こわ」


 新太から一番遠くに座っている友人が青ざめて身を震わせた。


「ああ。毒も効かない蜘蛛がいた意味が分かんないけど。ダイイングメッセージってやつかも」

「メッセージにしちゃ異様だな。蜘蛛も死んでるんだし。まぁ、間違いなく殺人事件だろ。先生に恨みを持つ誰かがやったんだよ」

「誰だよそれ。頼成先生、結構人気あったのに」

「それが気に食わない他の先生とか? それか、痴情のもつれってやつかもよ? 先生モテそうじゃん」

「そんならわざわざ学校で殺すかよ」


 思わず新太の口からも言葉が洩れる。すると身を震わせていた友人が前のめりになって新太の顔を真っ直ぐに見つめてきた。


「おい新太。そうじゃなかったらもっと嫌な可能性だってあるんだからな」

「嫌な可能性?」

「ああそうだ。俺はお前が心配だよ」

「なんでだよ」


 それを言うならメディア部の部員でもある透の方だ。そんな思いが行動に現れ、新太の視線が遠くに座る透の後頭部へ向かおうとした。青ざめたままの友人は、彼の視線の行く先を見やり慌てて補足する。


「まさに目白が第一容疑者なんだよ……!」


 新太の顔は青ざめた友人の怯えた表情に向かう。


「は? なんで?」


 警察の知り合いを持つ叔母の話をしていた彼。顔は青ざめているのに、その瞳からは凄みを感じた。ぽかんとする新太に対し、彼はさらに声のボリュームを落とす。


「メディア室の鍵を持ってるのは、生徒の中では目白だけなんだよ」


 消え入りそうなほど小さな友人の声だけがスポットライトを浴びたように強調されて新太の耳に一直線に入ってくる。


「え?」


 目を丸める新太の反応に、友人たちは互いに顔を見合わせた。


「二年に上がった時に、メディア室の鍵担当が目白になったってメディア部の連中が言ってた。残る鍵は職員室に保管されてるやつと先生が持っていたやつだけ。あの日、職員室の鍵は暗証番号のかかった保管庫に入ったままだったし、先生の鍵はポケットに入ったままだった。つまり、鍵をかけられるのは目白だけだったってことだよ」


 友人たちが新太のことを心配そうに見やる。彼らが兄弟になったことは周知の事実だった。


「それ、みんな知ってるのか?」


 新太の静かな声が三人の耳に届く。三人は控えめに頷いた。


「そっか……」


 ぽつりと呟く新太の視線の先には透がいる。三人は新太の横顔を申し訳なさそうに見た後で壇上にいる校長の話に耳を傾けていく。


「頼成先生には、授業や部活の顧問だけではなく行事の際にも多大なる貢献を頂き────」


 校長が頼成に対する感謝と敬意を生徒たちに語れば、あちこちから悲しみと寂しさの混じったすすり泣きが聞こえてくる。しめやかな雰囲気が辺りに漂う中、新太の胸にはじわじわと憂慮が滲んでいった。

 バクバクと心臓が鳴り始める。視界を少し透から広げていけば、周りの生徒たちの表情が透のことを見ては不穏なものに変わっていくのが見えた。それは透よりも前方に座っている芙美の周りもまた同じ。

 彼女と透が一緒にいた噂を聞きつけた生徒たちが、彼女のことも訝しんでいるのが分かる。芙美と同じ列に座った金の三つ編みの女子生徒もまた、肩身が狭そうに辺りの様子を気にしていた。誰も彼女のことを見てはいないのに、その女子生徒は一人、滲みよる惧れに怯えている。


 校長の話はまだ続いていく。彼は頼成がメディア部の顧問になった時のことを昨日のことのように語り始めた。


「大丈夫かよ……透」


 誰にも聞き取れない微かな独り言をこぼし、新太は眉間に皺を寄せたまま瞳孔を震わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る