2 同じ家の同級生
女子生徒たちが連れてきた別の教師がメディア室に駆け込んできてからの記憶はあまりない。
問題が起きたと多くの生徒が帰される中、透たち一部の生徒は第一発見者として簡単な事情聴取を受けた。だが生徒たちのショックに配慮した学校側の申し出によって、あまり時間をかけることもなく彼らは一度解放されることになった。後日、また詳しく話を聞くかもしれない。そう告げた警官の事務的な眼差しが、空虚な心を更に鈍らせていく。
恐らく、もう保護者には学校で事件が起きた旨の連絡が入っていることだろう。おまけに自分はその第一発見者の一人。帰宅すれば、今度は親からの尋問を免れることはできない。
「はぁ…………」
透の口からどこからともなくため息が出ていく。
考えることをやめた透はぼんやりとした明かりを抱えた街灯を見上げた。
メディア室を開ける前に見上げたステンドグラスの煌めきとは大違いだ。光を帯びた黒髪の彼女のことを思い出し、透は気を晴らすように顔を振った。
「ただいま」
家に帰ると、思った通り母親が玄関に飛び出してくる。
「透! あなた大丈夫なの? ねぇ、頼成先生に何があったのよ」
「何があったのかは分からないけど、とりあえず俺は大丈夫」
「本当に? 無理しなくていいんだからね。週明けの学校だって、行きたくなければ休んでいいんだから」
「もう週明けの話? 気が早いって、母さん」
母親の恰好を見れば、仕事から帰って何も手についてないことが分かる。服は今朝家を出るときに着ていたものと同じ。いつも帰ったらすぐに落としている化粧もまだそのままだ。家に帰るまでの間に電話で話した母の声も動揺を隠してはいなかった。しかしそれも無理はない。透は母の気持ちを察して普段通りに笑ってみせる。
「夕飯は? 母さんまだ帰ったばっかりだったら、俺が作るよ」
「えっ。いいのよそんなことは」
「よくない。俺は食べ盛りなんだから」
「そんなこと言って。今日は私が作るから」
「そう。じゃあ俺は部屋で課題でもやってるよ」
靴を脱いで母を通り過ぎる。階段を上っていく息子の様子は変わりない。けれど母の表情には不安が宿ったままだった。
部屋に入った透はバックパックを置き、ベッドの上に身体を投げ捨てて仰向けになる。電気を点けない部屋の中は薄暗く、頭の中が整理しきれていない彼にとってはちょうどよい暗がりだった。チクタクと時計が回る音だけが耳にこだまする。息を吐き、瞼を閉じれば待ってましたとばかりに大蜘蛛と教師の姿が浮かび上がってきた。
やはり心地の良い記憶ではない。透は身体を起こして床に置いたバックパックに視線を向けようとした。しかし彼の視線がバックパックを捉える少し前に、部屋に明かりが差し込んでくる。誰かが部屋の扉を開けたのだ。
「おいっ! どういうことだよ透。っつーか、なんで連絡しないわけ⁉」
勢いよく扉を開けた当人は、透の姿を見るや否や番犬のように吠え始める。
「あ。もう帰ってたんだ。おかえり」
「おかえり、どころじゃないだろ‼」
冷静な透とは正反対に落ち着きを見せない彼は一歩前に出た。吠えると言ってもせいぜい中型犬くらいなもので、透は思わずクスリと笑う。
部屋の入り口で透のことを恨めしそうに見つめているのは透と同じ制服を着た男子だった。背は透よりも少し高く、体格の均整も彼の方が比較的立派だ。恐らく日常的に身体を動かしていることが窺える。
髪に関して言えば透の方が気を遣っているのか見栄えがいい。上げた前髪は美容師に言われたそのままを律儀に再現しようと試みた努力が見える。暗い髪色をしていても、表情がくるくると豊かに変わる彼から受ける印象は明るい。
それも自然なことだった。恵まれた造形の上に気さくな性格の彼は学校でも人気者で、どこにいようと校内の名残りがいつまでも纏わりついているからだ。
落ち着いた眼差しで自分を見てくる透に対し、表情が怒りから悲哀に移り変わる彼の名は
二人が兄弟になって変わったことは、互いの呼び名を変えたくらいだ。
「頼成先生が殺されたって、大事件じゃないか‼ 俺もまだ学校にいたし、言ってくれれば駆け付けたのにさぁ‼」
新太は同じ家に住んでもなお素っ気無い透の態度を嘆く。手に持っていたスマートフォンを突き出し、これは何のためにあるんだと言わんばかりに透に見せつける。
「駆け付けたところで何も変わらないよ。結局、警察の聞き取りでしばらく拘束されてたわけだし」
「そうじゃなくて‼」
新太は淡々とした透に向かって首を横に振る。言いたいことが上手く言語化できずに悩んでいるようだ。
「お前のことが心配なんだって‼ 頼成先生ってお前の部活の顧問でもあるだろ? 親しかったんじゃないのかよ」
スマートフォンを下ろし、新太はもどかしさに頭を掻く。
「親しいって言っても普通の教師と生徒の関係だよ。そりゃ、驚いたけど……でも、心配してもらわなくても大丈夫だから」
「大丈夫って、お前……」
「俺は警察でもないし、ただ捜査の行方を待つだけだ。それ以外に出来ることある?」
「ないけどさ」
はぁ、と新太は息を吐いた。ベッドから立ち上がった透は、消していた電気を点けようと扉の傍まで歩く。彼の邪魔にならないように、新太はさらに一歩部屋の中に入って身体を引いた。
「新太には迷惑かけないようにするから。心配しないで」
「俺のことは別にいいんだよ」
電球の明かりが広がった部屋の中は一気に鮮やかになっていく。同系色の家具で揃えられた部屋の中、透はバックパックを拾い上げて机に置き直す。
「じゃあ俺は英語の課題をやるから。新太は何か宿題出てないの?」
「あるけど……」
「じゃあ、早く部屋に戻りなって。もう俺の心配はいいから」
「うん……」
頷きつつも新太はその場から一歩も動こうとしない。課題図書を取り出す透はそんな彼のことを不審な眼差しで見やる。
「まだ何か?」
透がため息交じりに訊ねると、新太は言いづらい空気を誤魔化して情けない笑みを作る。
「あのー……頼成先生の件で、ついでに聞いちゃったんだけどさ」
「うん」
「お前、あの時
新太は何故か照れくさそうに目線を逸らして頬を掻いた。
「だったら、何か問題でも?」
「いやっ! 問題とかはないんだ。全然全然‼ ただ、そのー、あのさ、それってさ。ほら、芙美ちゃんとお前が一緒に階段を上がっていくとこを見たって目撃情報もあるし。なぁ?」
「はぁ……」
はっきりと言わない新太に対し、透は肩を落として呆れたように息を吐きだす。
「なっ。なんだよー透! その目は!」
「いや別に」
「まったく。そんな直球で聞けるほど俺だって肝が据わってねぇっつうの。で? なんて答えたんだよ?」
「なにが」
「何って、お前。ここまできてはぐらかすこともないだろ。なぁ、芙美ちゃんに告白されたのか?」
「……………………」
「はははっ。答えたくなかったら別にいいけどさ。まぁ、ね。その、さぁ。じゃあ俺も宿題してくるわ」
「ああ」
手を振って廊下へ消えていく新太を見送り、透は机に出した課題図書に目を落とす。本の表紙には、簡略化された人間たちのイラストが描いてあった。その中に一人、黒髪の少女が笑っている。階段を下りるほんの少し前、目の前で緊張に包まれていた彼女の姿を再び思い出す。イラストの女の子と同じく真っ直ぐな長い黒髪の彼女の名は生天目芙美。彼女もまた、第一発見者として警察の聴取を受けていた。
帰り際、微かに目が合った彼女の眼差しに潜む怯えが透の胸をチクリと刺す。その僅かな痛みを振り切るように、透はバックパックを床に戻して本を開く。
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