その名はロバート
単身赴任。メンヘラー。残業はない。家にお金を入れない。必然的にお金はある。遊ぶ。そういう流れで、私はバックギャモンというゲームを始めた。大阪の例会で本格的にリアルにやり出したのだ。日本に二人いるというプロの一人、景山充人氏とも知り合った。世界を転戦する国際プレイヤーだ。毎年モンテカルロで開かれる世界選手権の常連だ。優勝すれば10万ユーロ。景山氏は、世界的な日本の顔なのだった。
私の名前はロバートだ。金持ち父さんシリーズの、ロバート・キヨサキに引っかけて、ロバート・クロサキを名乗っていた。バックギャモンの仲間からは、ロバートと呼ばれていた。ふざけた野郎だったが、もっとふざけた奴がいた。バックギャモンに引っかけて、バッカモンと名乗っていた。外国人にスペルがちがうと言われたと笑っていた。
2007年頃だろうか。景山氏のもとに、世界選手権か何かの招待状が届いたと聞いた。また、招待状を送ったリストの中にロバートの名前があった。私は自分のことだと思った。景山氏は別人だと言ったが、私は強く確信した。しかし、私のもとに招待状は来なかった。妄想だった。それも、あり得ないレベルの。
ロバートはロバート杯を主催したりもした。「ロバート劇場」という詩集も出版した。何しろノーベル文学賞もとらないといけないので、詩人としても偉大でなければならなかった。「ロバート劇場」は、カクヨムでも読むことができる。
ロバートはカッコ良かった。紺色の10万円のLボードを持っていた。サイコロ1個が千円という世界。社長さん、お医者さん、大学教授といった方がプレイヤーの大半を占める世界。そんな世界に私はいた。
一度、外国人のパーティーでロバートと自己紹介したら、フランス人に怒られた。お前は日本人だ。ロバートというのは嘘だと。小さい奴だなと思った。
会社には行っていた。しかし、平日は行きつけのラウンジで飲む。休日はバックギャモン。すっかり遊び人になっていた。
治療はどうなったのか。会社には休みながらも行っていた。しかし、治療が失敗していることは、ロバートに招待状が来るという妄想からも明らかだろう。私は教授に何かを隠していた。世紀末の大王のことも、ノーベル賞のことも、ロバートのことも言わなかった。医者も超能力者ではない。言わないことは分からない。精神科なんて、そんなものだ。
「ロバート物語」を書いた。「ロバート空間」を書いた。これもカクヨムで読める。
そう言えば「ロバート問題」というショートショートもあった。これもカクヨムで読める。
そう言えば、ミナミのカラオケにギャモン仲間の友達の女性たちと行ったときのことだ。職業を聞かれ、私はスパイだと答えた。シャレだった。きつ過ぎた。どん引かれた。シャレと狂気の境い目。ロバートはその辺りにいた。
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