世紀末の大王

28歳。結婚3年目で離婚。これも私の精神疾患が原因なのだが、私は精神科に通院していなかった。社宅で一人になった。買い物の帰り道、自由になったと思うと、とても嬉しくなった。脳内は爽快感でいっぱいになった。これで好きな本を好きなだけ読めると思った。毎週、日曜日には八重洲のブックセンターに行き、1万円分ほど本を買ってきては読んだ。社会科学系の専門書が多かった。中でも、丸山圭三郎氏の本にはまった。その時だった。私は世界的な思想家になる。もしかしたら、ノストラダムスが預言した世紀末の大王なのではないのか。ふと、そう思った。これは、妄想と言えるだろう。

読書、思索、論文執筆。休みの日は忙しかった。力もないのに意味不明な論文を書き応募した。研究のイロハも知らないのにだ。たとえば「ポリ・コスモスへの視線」どこにも、ポリ・コスモスとは何かという説明がない。それでも、仕事関係の論文では、経済産業省から表彰されたことがある。これは、妄想ではない。

33歳。2回目の結婚。この時はシステム開発部門の課長をしていた。忙しくて、論文どころではなくなっていた。家を買った。子供が出来た。それでも私は妻にこう言った。

「私の目標はノーベル賞三つ。平和賞、経済学賞、文学賞の同時受賞」

明らかに精神異常なのだが、妻はふんふんと聞いていた。

まだ、世紀末の大王というある種の重要人物妄想を引きずっていたのだろう。ノストラダムスと言えば、1999年だ。その時が近づいていた。

1998年夏。私は二つの大きなプロジェクトを抱えていた。それなのに、パワハラにあって飛ばされた。単身赴任になった。この頃から精神に異常をきたす。

態度が尊大になった。異常な言動が目立った。単身赴任先では、デートサークルに出入りするようになる。

1999年春。喘息で眠れない日が続いた。ステロイドを使っていた。頭が働かなくなった。それでも会社に行っていた。部下に怒鳴りつけた。見かねた周囲が精神科に行くように促した。初診、1999年4月。町医者。診断名、神経衰弱。明らかに双極性障害の1型だった。躁状態なのだ。妄想もあった。開発中のシステムにCIAが関心を持っていると。町医者は入院は避け、別荘で静養するようにと言い、私はそれに従った。治療。炭酸リチウム。

1999年8月、会社復帰。ただし、システム部門からはずされた。そして何と勤務地は変わらず、単身赴任継続だった。主治医は町医者から産業医に変わっていた。

産業医は金儲けに必死のヤブ医者だった。クリニックのくせに寝かせつける薬を出しては廃人を製造しているようだった。私も、ロドピンやバルネチルを飲まされた。普通に生活する中で使う薬ではない。意識が遠のき、危険だった。

2000年4月、産業医ではヤバいと大学病院に転院。教授が主治医になった。診断名。気分障害。躁うつ病。非定型精神病。初診の時にバーバリーの紺のブレザーを着ていったのは、お笑いだ。私は有名なカリスマ・システム・エンジニアだと自己紹介した。教授は寛大だった。

しかし、世紀末の大王の話は教授にはしていない。教授の診察は、1回約30分。いま思うと贅沢な診察だった。そうこうしているうちに世紀末は終わり、21世紀になった。

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