1話目―― 天陽白花



 しかし。性分は揺るがぬもので、畳の仏間が私の巣窟そうくつとなった。万年床を用意し、机を寄越して食を摂る。次に、仏間から、縁側へと出る。すでに季節は弥生らしい。山から引いた疎水流るゝ中庭は、草木のうずきがあちらこちらと地を盛りあげて、せわしない。

 さて。居を移してから、三日目の深夜のことだった。


 床に就いた私は、しかし妙に目が冴えていて、ついには息苦しさまで押寄せる始末であったのでたまらずに万年床まんねんどこを抜けだし、いそいそと縁側に向かうことにする。弥生の夜は、未だ肌寒い。私は穴の空いた靴下をはき、もれなく風穴のある甚平じんべいを羽織った。障子戸しょうじどをなくして縁側に立てば、美しい望月もちづきが私を歓迎する。

 そうだ。天川あまかわに持ち寄らせた酒があったのだ、と思い至り、私はまた隠れて、手に持って、それから戻ってきてようやっと腰を落ち着けられた、の時であった。


 「ゴトリ」


 背後の仏間で、何かが落ちる音がした。あれは何か。畳の上で、拳大こぶしだいの其れが、望月もちづきとて及ばぬ暗がりに道化どうけしている。いくら目を凝らそうとも、らちがあかない。


 私はねずみでも出たのだろうと独断し酒をあおったが、果してしみみる酒精のせいか今宵の月にるものか、しだいに自論に懐疑的となってゆき、遂には矢も盾もたまらなくなった為に、えいっと立ちあがって行灯あんどんを灯した。


 すると万年床の傍に、る物が不貞寝ふてねしている。其れは、『てん』である。行灯を寄越よこし、まじまじとみる。げにもこれは、『てん』一文字だ。素材は木彫り。大きさは掌大てのひらだい。『てん』は左右に、木目細きめこまやかな渦の彫刻を羽織はおり、威風堂々と貫禄している。

 得心とくしんした私は、ぐるりと天井に目をやった。すると天井に近く、天井と平行して壁から張りでる、一枚の木板がある。あれは神棚板である。であるのならば、この天一文字の故郷はあそこか。永きに渡り、神の斎庭ゆにわを守りつづけてきたのであろう。だが今や神去かむさり、宮はなし。そして斎主さいしゅは他界し、後継人はない。

ここに、信仰心の薄い野暮やぼがいるのみである。


 君も役目を終えた分際ぶんざいか。惰眠だみんを貪りたいか。

私はあわれみから天一文字を拾いあげたのだが、すると手に稲光いなびかりが走って、感電。ぜたかと思われるほどの痛みが、私の毛細血管を穿通せんつうしたのである。ぐと目を瞑り、其のまま滑稽画こっけいがのように尻餅をついてしまったのは決して、見事に痙攣けいれんした手や、毛穴からく冷汗のせいではない。


 手から落ちた天が、てん、ころ、りんと畳を跳ね、床框とこがまちに乗った突如、眩暈めまいがするほどの閃光せんこうが放たれて、私の両目をつんざいたからである。

 何だ。何事だ。

まぶた越しにも目映まばゆい光り。とじたまぶたをもなお、ひらくことさえままならないでいる私。夜々中よるよなかであるはずなのに、燦然とするは昼日中ひるひなかまごう明るさである。

さて。あまりのことに恐々とながらも、目を慣らしながら、目をひらけてゆく他はない。手翳てかざしする如くいくぐり、れば、したらばそこに仏間を、私を、余すことなく照らす物体が一つあった。

驚くかな、其れは白い火輪かりんである。火輪かりんもとい、花輪かりんであった。

太陽のように白く輝く、一輪の花である。

 輪郭は向日葵ひまわりに似て、丈は私の半身ほど。葉も、茎も、大輪の花弁も輝く。目を細めれば、花弁が九枚あることが判る。花は、天が跳ねていった床框とこがまちに咲いて、尻餅をついたままの私を蔑んでいるようだ。


不気味か? 虫酸が走るか? 否、恍惚だろう。

まっこと美しい、と私はすり寄りながら思うた。


 傍まで近寄ちこうより、手をかざしてみる。火輪のようであるが、熱はない。次に、花弁に触れた。質感は生花だ。発光することを省けば、変哲もない花と云うあやしさ。そこで私は直感した。

 困った。この調子では此奴こやつ、よもすがら明るい侭でいるつもりだろう。これではあまりに眩しく寝るに寝られぬ。

と、感動もへったくれもない、己の希薄さを嫌いたい。


 ただ現に、この花は予想したとおり夜を徹して輝いていたし、幾ら酒に酔おうが背を向けて横になろうが私は眠ることすら意に叶わず、またもや起きあがって半ば恐喝まがいに怒鳴りつけてみたり、或いは取引を交渉するように相談しても尚、花は輝きをやめなかった。そうだな。ここに、私は深酒を認めよう。

 煌々とする花を鎮める為、私は朦朧もうろうする大脳を叱咤しったした。座卓で塞いだり枕で埋めたり、極めつけには床脇とこわきに放置されていた掛け軸を広げ、城壁固めの版築仕上はんちくしあげにして封じてやる。そうしてようやっと眠りにつく事ができたのは朝ぼらけの頃だったと記憶している。


 しかし、次に門戸を叩く音に驚いて、私は早々に目を覚ました。

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