天陽白花

玉宮妃夏

はじめに―― 草結の庵にて筆、了うこと。








これは亡き、酉籠とりかご 惣一郎そういちろうる手記である。




 私は酉籠とりかご 惣一郎そういちろうよわい、三十六となる。

自死へのぞゆうはないが、別段、生への渇望もない。


 するとカウンセラァを名告なのる、天川あまかわという少壮しょうそうの男は私にこううのだ。

酉籠とりかごさん、ふみを綴ってみたらいかがでしょう。したらば互いに日々を記録して、時折は、読みいをしませんかと。


 全く、馬鹿げている事この上ない話である。精気盛んなこの男は、私を恋仲の女学生か何かかと違えているのではないだろうか。れに従前じゅうぜんより、私にはカウンセラァだとかセラピィだとかいう世話焼きは、不要だと述べている。れでもこれを記している訳は、あの天川あまかわに、恩の借受かりうけができてしまったからに他ならない。



 私の旧家にやってきた天川あまかわは開口一番、酉籠とりかごさん、ごみ屋敷で餓死するおつもりですかと云った。私の死に、いったいどうして他人が関する義務があろう。

ないし無論、の権利も。

 しかし天川あまかわは、他人事ではないだのとぶつくさ云って、私にとある家屋をつように云ってきた。其れは自然豊かな山麓に建つ、古き良き日本家屋という風情なのだそうだ。仔細しさいはこうである。


 其の家屋は、天川あまかわが初めて担当した身寄りのない老婆の家であるらしく、彼女の他界とともに、遺言を介して天川に託された遺産であるらしかった。

そもそも私の様な厭人癖えんじんへきとは違い、人間其のものを傾慕けいぼするようなこの男は、万難ばんなんはいしてでもこのえにし無碍むげにはしまい。だからと云って白羽の矢を私に立てるのは如何いかがかと思うが。


 天川は、空き家は寿命を縮めるので、私に住んでくれと云う。そして清浄さえ保てば、僅だが月々の報酬も支払うとまで申し出た。其の提案には勿論もちろん前述ぜんじゅつした文通ぶんつうも込みだったのではじめ、断りを入れたが、いざ家屋へと足を運んでみると気が変わった。想定より立派な屋敷であったという事もあるが、やはり注目すべきは、内装造りが実に珍妙であった事だ。



 屋敷は大小問わず、六つの建物で構成されている。外観や玄関、廊下と、木造建築の想像容易そうぞうたやすい、なるほど古き良き日本邸宅と云えようむしろ、欄間らんまや仏間には繊細な彫刻もあって、保存状態も良いことから、文化財を喰い物にするぜにゲバならば大手を振って悦ぶであろう。事実、私が移り住んでからも幾度かは、解体業者が軒先に立った。時代はグロゥバリズムで、木材を海外へ輸出するだとか目を輝かせて云う。私は判ったように頷き、そっと戸を閉めて施錠した。


 私は求めずとも既に、海外を得ている。というのも、この屋敷における仏間のある母屋をのぞいた残りの五つの建物、室間はすべて、外観からは連想できぬような洋間となっていたからだ。例えば北西の茶室である。茶室ならば、畳や囲炉裏を思うがしかし。そこはフロゥリングに、英国紅茶やハァブティの茶葉が所狭しと保存されている、ロココ調の茶箪笥や食器棚がひしめく空間である。それだけに留まらず、神話と王政を辿る歴史書物や基督キリストと聖母のステンドグラス、さらに活きた薬効植物の生息地でもあって、まさにとして君臨す。


 ただ刮目かつもくすべきは、そうした文化の丁寧な統一化は、この室間に限らない点にある。


まず、外観と母屋が大日本の象徴であれば、北東の居間なら米国北米を想わせ、南への渡り廊下をゆけば海峡諸国と豪州大陸が出現してくる。ははぁ、あれは広がるウルルの裏庭か。さながら世界各国の縮図であり、おおむね、この日本邸宅が封ずるは、世界地図の体現と云ったところであろう。

 であると前の家主は、来賓らいひんを、主なたのしみとしていたと推察することができる。私はそう思做おもひなし、高を括っていたのだが、屋敷も半ばまで来たところで、ハタと気がつく事があった。

 隣を歩く天川が、素足なのである。

一方の私は洋風上沓うわぐつを履いている。はて、と思い返せば屋敷にあがる際、当の天川が下駄から用意してくれたからであって、私は成行きのとおりに足を入れたまでである。


 私は天川の話を遮り、何故、君は洋風上沓うわぐつを履いていないのかと尋ねた。そして尋ねた刹那、自らを恥じた。

 私は、馬鹿か。たしかに珍妙な屋敷だが、あくまでここは日本式の邸宅だろう。であるのならば洋風上沓うわぐつを履いていなくとも当然。しかし待て。であれば何故、私の足には洋風上沓うわぐつがある。つまり用意はある。来賓用か? しかしどうも妙である。不均衡だ。これまでの道中にも、ある種の違和感は拭えなかった。私は何を見落とした。まさか。


 「まさか一足しかなかったのか」

 「一足しかなかったからですよ」


 私と天川の声は同時に、互いを貫通した。私はきびすを返して、先の英国茶室へと戻った。やはりだ。どの茶器も、二つとして同じ物がない。通例、紅茶茶碗ならば、きょうするのに二組ないし四組ほどは用意があるものだ。しかしどの抽斗ひきだしをみても、茶器、茶碗は一組だけである。そして洋風上沓うわぐつも一足。私は勘づいた。来賓を想定していないのだ。造り込まれた屋敷である割に、他所向よそむきのかおがない。徹底して、孤独にこの世界地図を娯しんでやろうとする、狂気めいた気概きがいさえ感じる。


 私は、内装の奇怪さに気を取られていて、本質を見落としかねる処であった。なるほどこれが前の家主の、趣向か。私が云うのも難だが、奇天烈である。否、実に滑稽だ。嗚呼この一風変わった屋敷ならば、ひしと私に似合いだろう。


 ふたたび茶室を引っ掻きまわしていた私に、あろうことか天川は、この奇天烈な前家主との思い出を語りはじめた。私は周章狼狽しゅうしょうろうばいながらも天川を制し、それ以上語るなと適当な茶葉を鷲掴みして、奴の口を塞いでやった。これ以上は蛇足である。前家主の実情は、もはや今を生きはじめた私には不要の代物だ。


 私は、茶葉で咽せかえっている天川に、この屋敷に居を移す旨を伝えた。したらば筆を走らす条件も呑んでやる。しかしながらそう頻繁にセラピィされては困るので、ふた月に一遍いっぺんで宜しく。私はそう釘を刺したのだが、天川君、きみは一体全体、何がそこまで嬉しいのか。犬の様にまわって私の話を筒抜けにしていそうであったので、ここに今一度、正式に文書もんじょとしておくことにする。文通セラピィなるものは、ふた月に一遍で宜しく。



(空白)



 ただ、在るがままに。私はこの奇天烈な屋敷と出逢った事で、ようやく、自死する決意を固める事ができた。期限は、一年だ。私は一年間この屋敷を堪能し、そして自らの手で、私はこの世を去ることにする。この屋敷を、つい住処すみかとしよう。

(この三行は、後に、空白部に記されている事が判明した。厚紙を薄く剥いで、そこに字を記してから丁寧に蓋をされていた。)




 して、天川よ。貴様を見直したぞ。

 確かに、環境が変われば、生への活力も湧いてくるものらしい。そして口でなく筆となれば、思いを吐露とろし易いので、という君の話にも一理あることを認めよう。



 手前、たまにはこう記しておきたくなった。






 ありがとう、と。









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