友達だからもう一度、君が好きな黄昏とラピスラズリを見に行こう
テルヤマト
友達だからもう一度、君が好きな黄昏とラピスラズリを見に行こう
学校からの帰り道、日没近くになって街中の防災スピーカーから流れる時報がちょうど鳴り終わった頃だった。
「ねぇ、茜。好きな空ってある?」
少し前を歩く友人の瑠璃は、学生カバンを入れたカゴ付き自転車を押しながらそう私に問いかけた。
「空って?」
「空は空だよ。そぉーら! 青空とか朝空とか星空とか」
なんて言われても、私は答えるのにつまってしまった。
何ぶん、転校するまではずっと背の高いビルと地下鉄の多い都会の中で生まれた時から暮らしてきたので、空を見上げることは滅多になかった。見上げても高層ビルの窓だとか、長いエスカレーターの先だったりとか、私にとって頭上とはそんなものだった。
「さぁ、あまり考えてこなかったなぁ、そういうの」
「えぇー、無いのぉー? ほんとにー? ここらの景色は綺麗だと思うけどなぁ」
「そりぁ、東京と比べたら空は広いけどさ」
そう言って試しにここの空を見上げてみる。
仄暗い透き通った感じの――昼間の青色でも夕方の橙色でもない、暗く澄んだ藍色っぽい空。
高いビルも地下ホームの天井もない、都市郊外の夏の空だった。
「こうしてみるとやっぱ田舎だなあ……」
「田舎じゃないし! 普通の街だし! 電車もコンビニも街灯もあるごく一般的な市内ですぅ!」
そんな彼女の訴えに応えるようにすぐ傍らの電柱に括り付けられた細い蛍光灯がぴかりと瞬いた。足元はまだ見えるのに、まるで夜の訪れを焦っているようでちょっとだけ面白い。
「そういう瑠璃は? あるんでしょ、好きな空」
「ふふっ、まぁね」
そうして瑠璃は自転車を引きずりながら突然駆け出し、しばらく前方に行くと、曲がり角の先をを指さしてそのまま視線を上に向ける。
「ここ! ここを歩いて見上げる今の時間帯の空がちょうど好き」
「ここ?」
前方の彼女にゆっくりと追いつき、その指差す先を見つめる。
そこは瑠璃の帰り道になってる上り坂で、幅の広い歩道と車道がゆったりと上に向かって伸びている先に、入道雲と若干青緑っぽい空が広がる。さっき見た空とあまり変わりないが、西向きなせいか少しだけ明るかった。
「瑠璃色の空、なんて言うんだってああいうの。私の名前と同じ」
そう言って上を見上げる彼女の表情が、今まで見たことない印象で新鮮だった。
憧れや羨望や、とにかく嬉しさに満ちたようなもの。そんな風に見える。
普段は明るくて活発で、クラスのムードメーカー的な存在の彼女。いつも笑顔を絶やさない彼女ではあるけど、そういう時のとは違っていた。
彼女と出会ってからまだ一年ちょっとしか経っていないものの、それなりに彼女の色んな顔は見てきたつもりだった。でももしかしたらこれが彼女が見せた本音の笑顔なのかもしれない。
「夕焼けのオレンジが雲に写ったりするけど、私の場合少し白く光ってるぐらいが好みなんだ」
「ちょーこだわるじゃん」
「えー、そっちこそ興味なさすぎじゃない?」
「いやまぁ、私はどちらかというと空よりも地上の光の方が好きだから……」
「あー、飛行機から見た都会の夜景ってやつ?」
「うん、そうそれ」
それも強いて言えばの類だった。基本的に私は景色とかそういうビジュアルのものには関心がなくて、音とか体感とか見えないものにロマンを感じる方だったから。
「うーん、けどまぁ……夕陽はキレイなんじゃない? 普段部活が忙しくて見る暇ないけど」
「夕陽の河原でダッシュとかしないの?」
「いや、うちの地域にそんな画が映えるような大きい川とか無いじゃん。あとうちの卓球部はだいたい体育館で走るから……」
「じゃあさ、今見てみる? まだ日沈み切ってないかもよ?」
そう言って上り坂の向こうを見据える瑠璃の視線はやけに楽しげだ。もうだいぶ周りが暗くなっているので、彼女の提案はどうなんだろうかと思いつつも、帰り道とは逆のその坂を一緒に登ることにした。
気の早い街灯たちの光がぽつりぽつりと増えていく。
坂の頂上までのほんの僅かな距離なのに、周りの景色は夜に沈み、LEDに照らされた足元は一歩ずつ明るくなっているように感じた。
瑠璃の表情はあいも変わらずで、手で押す自転車の車軸の音がカラカラと静寂に鳴り響いている。自分はどうなんだろうか、坂の上を登りきった時に果たして感動できるのかどうか。そんな風に思う度、街灯と街灯の間を歩く私の心臓の音が軽く高く鳴るような気がした。別に、嫌われるようなことでも無いのに。
ほんの二、三分、歩道を登りきったそこは見通しがよく、周りに建物もない十字路だった。この坂の向こうには瑠璃にオススメされたカフェがあって、そこへ行くために何度か通ったことのある場所だったけど、この時間帯では初めてだった。
坂の下の住宅街が広がって見える。変哲もないところにしては結構な景観で、飛んでいる飛行機の窓からとはいかないものの、それなりに良い場所だと思った。
「あー……やっぱり、太陽沈んちゃってるね……」
バツの悪そうな瑠璃の声が隣で聞こえる。視線の先には今しがた沈んだばかりだろうか、橙色と黄色の輝くグラデーションの帯が地平線に沿うように左右へと伸びていたが、それも逡巡のことで時が進むごとにその輝きは褪せていった。
「残念だったね、茜。また明日の帰り来ようよ」
「明日って……明日は土曜日で学校休みだよ」
「あ、そっかぁ。じゃあ、明日この時間に待ち合わせる?」
「えぇー? そこまでしてもらわなくても、自分で……」
「そう言って、なんだかんだで茜観ないでしょ。めんどくさがりだし」
そんなことは無い、と言いたいところだったけど、明日になればどうなるか。そのあたり、瑠璃はとっくに理解できていてよくできた友人だと思う。
「私、茜の好きな空を一緒に観てみたいな」
「なにそれ、私のことどれだけ大好き人間なんだよ」
「ちょー大好き人間だよ!」
そんな風ににこやかな笑みをこぼす瑠璃に、私もつられて微笑んで、いつもみたいな楽しげな言葉のやり取りをした。
だけど本当は少し残念だったのだろう。ほんの少し彼女の態度が明るすぎるように見えた表情から私はそう思った。
今の私が、その夕焼け空を見つめて瑠璃のように感動するとは確証は持てなかったけど――だけど……瑠璃と一緒に観る景色ならもしかしたら感動するのだろうか。
「わかった、じゃあ明日観に来ようか」
「うん、じゃあ明日朝10時に駅前ね!」
「いや、ここじゃないんかい。しかも朝って」
「だって、ついでにお出かけしてショッピングしたいなぁって思ってさ。明日、ちょうど暇だったしさ」
「ふぅん、まぁ別にいいけど……」
そういえば週末に瑠璃とどこか一緒に行くのは久しいような気がする。私が部活でこのところ忙しかったのもあるのだが、そもそも瑠璃はなかなか都合が合わないことが多い。本人曰く、家庭の事情らしいが詳しいことは分からない。
まぁ、そんなこんなだから、瑠璃と一緒に遊びに行くことに関しては私もやぶさかでは無いわけで、あとでまた連絡すると言って私達はその坂の上で別れることになった。
瑠璃はそのまま坂の向こう側へ下り、私は元来た道を戻るように下るだけ。
「じゃあ、またね」
「うん、また」
そんな風に軽く、返事をし合って、しばしの別れに言葉を添えて、私達はそれぞれの帰路についた。
この後家に戻って、そのままご飯を食べて、お風呂に入って、そしてラインで瑠璃に連絡を取り合って……いや、もうその前にはとっくに取り合っているか。平凡だけど、つまらなくもない、過不足ない日常。
いつものような、ごく普通の、当たり前のこと。
それもこれも、きっと、彼女がいたからこそなんだと思った。
それを思い知らされたのは、翌日になってからのこと。
その日から、私の前から瑠璃は姿を消した。
翌日になっても、そのまた翌日になっても、瑠璃は姿を見せなかった。
約束をしたあの日、駅前でいつになっても現れず、ずっと待っていたらそのまま日が暮れてしまって私は仕方なくそこを離れてしまった。
彼女とは連絡がとれない。家を訪ねようとしても、そういえば瑠璃の家がどこにあるのか知らないままだった。
どうせ、きっとまた何か都合の悪いことが起きたのだ。いつものことなんだろう。
週末が終わって平日になればまた瑠璃は学校に姿を現すはずだ、そんなことを思いながら私はまた日が昇るのを待ちわびた。
だけど、彼女の姿は教室にはなかった。
他のみんなは既に着席しているのに、私の席から左後ろの2番目の瑠璃の席が空いていた。
「ねぇ、瑠璃なんで休んでいるか誰か知らないの?」
その問いかけに誰も答えようとはしなかった。
今日に至るまで彼女が学校を休んだことは全くと言っていいほど無く、とても珍しいことだったのに、クラスのみんなはどういうわけかそのことについて話したがらない。
何やら良くない空気が、教室中に渦巻いているようなそんな気がした。
「ねぇ……何か知ってるんじゃないの?」
瑠璃と仲の良かった一人のクラスメートに問い詰めた。ほんの少し、焦っていたような、語気を強めた言い方になった。
だって、みんな、彼女について何も知らないというより、知りたくない感じだったから。
「ご、ごめん……ちょっと気分悪くなってた……」
そう言ってその子は席を立ってトイレの方に駆け込んで行った。すぐ近くにいたほかのクラスメイトも、そそくさとその場から逃げるようにいなくなる。
なによ、これ。どうしてみんなこの間まで仲良くしていたのに……。
姿のわからない黒い疑念が私の中で渦巻く。皆が何を恐れているのか分からないが、一体どうして急にこんな態度を取るのか、まったく見当もつかなかった。
誰も、瑠璃の行方を知らない。それどころか、瑠璃を気にする人すらもいない。
気味が悪いと思うのと同時に、瑠璃の身に何かあったのでは無いかと心配になった。
私が、瑠璃を探さなきゃ。
あと2、3日もすれば夏休みに入る。早い終業日だと思って、その日から私は学校を休むことにした。部活の練習もあったが、私は試合のレギュラーでもないしサボることにした。
いざ、彼女を探しに行くと言ってもあてがあるわけでもない。誰かに言伝や書き置きでもない限りは行方を掴めないかもしれない。
だけど、私が見つけなければならないんだ、きっと。
私にしか探せない気がする。なんとなくだが、そんな気が。
――――――◇◆―――――――
来る日も、来る日も街を探す。
遠い場所に行く小遣いも無いので瑠璃が街の外にでも向かっていたら探しようがない。
でも、こうするしか私にはできない。
瑠璃が好きだと言っていたカフェや洋服屋を巡る。いつも利用していたコンビニや自動販売機の前を訪れる。いつかの話題に上がっていた学校近所の家で飼われているワンちゃんのところに向かう――いつもここの犬は人懐っこいのに、今日は機嫌が悪かった。いや、それとも私が怖かったのだろうか。必死になって瑠璃を探す気持ちが、顔に現れてしまったのだろうか。
そういえば、いつか瑠璃にも言われた気がする。「茜はよく顔に出る」と。
何か楽しくないとか、何かに苛ついているとか、何か悲しかったのか。そういう感情がよく分かるのだという。瑠璃に言われるまで気が付かなかったし、なんなら瑠璃以外には言われたことがなかった。
もしかしたら、あの日、あの約束をした時に何か顔に出てしまったのだろうか。自分ではそんなつもりはまったくなかったのに、無意識に、知らないうちに。
そうだとしたら……いや、そんなはずはない、だって私は嬉しかったはずだ、瑠璃と一緒にショッピングに行けることが、一緒に遊べることが。
同じ空を観たいといった瑠璃の言葉も、私には実感の無いものだったけど、もしかしたら好きになれるかもと期待していたはずなんだ。
私は、気が付かないうちに瑠璃を傷つけていたのだろうか。
故も知らない推測が頭の中を渦巻く。
一体いつ、どのタイミングで? あの日に私は、何かとんでもないことをしでかしていなかっただろうか?
頭が痛くなるような気がして、私は考えるのをやめた。
とにかく……とにかく瑠璃を見つけなきゃ。
日が過ぎ、時が経ち、夏休みがあっという間に消えていく。
なにかやらなければならないことがたくさんあったはずなのに、今は彼女を探すことしか考えられなかった。
私は一日中街中を探し回って何も成果が挙げられないまま、いつも同じ時間にあの上り坂を訪れていた。あの日、約束をしたあの上り坂の頂上に。
時間はいつも決まって日没が過ぎた頃だった。気付けばその時間帯だったのか、それともあの空を独りで観ることを無意識に拒んでいたのか。
ふと見上げた空は、いつか彼女が好きだと言った藍色もの。暗い影を落とす入道雲の向こう側は、あの日眺めた時と比べて若干夜に近づいていたような気がした。
疲れたな……もう。
だからといって、止めたくは無かった。彼女を探すことを、私の唯一の親友と再会することを、諦めたくはなかった。
最初に会った時はどうだったけ。転校初日に同じクラスメイトだったからだっけな。いや、確か、どっかの路地でぶつかったんだっけ?
もう……よく思い出せない。
あまりに長い間、捜索に専念していたせいか、判断力が鈍っているような気がする。
たまにはゆっくり休んだほうがいいのかな。
そう思って気が付くと、夜が明けていた。
いや、駄目だ。はやく、早く見つけてあげないと。
――――――◇◆―――――――
未だに、誰も彼女の姿を見ていないようだ。夏休みだし、見かける機会は少ないだろうから仕方のないのだろうが。
彼女の家族は何をしているのだろうか。流石に捜索願とか出していそうなものなのに。
この近所で女子高生が一人失踪したのなら、それなりに騒ぎになっているだろうに。
今日も捜索を始めようとして、ふと自宅の前を見るとやけに人だかりが多いような気がした。どうしてなのかと気になりはしたが、何よりも見つけ出すことが第一だと考えそっとその場を後にした。
――どうして? 流石に変じゃない?
いや、関係ない。私には時間がない。
――どうして? 時間が無いの?
それは、もう夏休みが終わるから。
今日は何日?
今日は……そう、夏休みが終わるから……?
「今日ってなんの日だっけ」
多分きっと、約束の日だ。彼女と会って、一緒にショッピングして、どっかでカフェして、そして……そして。
あれ……それって、確かあの日の。
「茜」
気が付くと、目の前に彼女がいた。ずっと変わりのない、あの日の姿のままで。
どこだっけここは。
そうだ、あの坂だ。彼女と一緒に歩いたあの坂だ。
「ごめんね、約束守れなくて」
目の前の彼女は笑みこそ浮かべているものの、今までに見たことないくらい寂しい表情だった。
どうして……なんで……?
彼女を――ついにやっと出会えた私の親友。再会することができた私の親友。
いっぱい、いっぱい、いっぱい、伝えたいことが、聞きたいことが、確かめたいことが、たくさん、たくさん、たくさんあったはずなのに。
どうしてか、何も思いつくことができなかった。
嬉しい? 多分きっと?
いや、悲しい? どうして?
「ねぇ、わかる? 私のこと」
そんなもの、当たり前だよ。
「じゃあ、自分は? 自分の名前、わかる?」
わたしの名前? そんなもの当たり前……。
「さっき、呼んだよね? じゃあ、言えるよね?」
さっき? さっき、彼女はなんと呼んだんだっけ?
「ごめんね、ゆっくり話したいけど。もう時間が無いの。私のせいで、茜に迷惑かけちゃったから」
「あか……ね?」
「うん、あなたの名前。ちゃんと思い出せたら、ちゃんと話せるよ」
彼女がそう言った通り、頭にかかっていたもやみたいなものが徐々に晴れていくような気がした。
今まで、自分がどうしていたのか……すごく朧げだが、でも少なくともさっきよりかははっきりしている。
「茜、手を繋ごう。私が連れて行ってあげるから」
「連れて行くって……どこに?」
「もちろん、あの場所だよ。ほら、あの坂、ちゃんと上まで登ろう」
彼女が見上げる先にはあの上り坂がある。夏休みに入る前、二人で登ったあの坂だ。
あの時確か、彼女は自分の自転車を押して歩いていたはずで、今は私の手を握ってあの坂に向かって歩いている。
記憶の中のこの道は、もう少し明るかったような、いや、もう少し暗かったような。ふと傍らの街灯は、まだ何も気づいていないように静かに佇んでいる。
「ねぇ、今までどうしていたの? ずっと、ずっと探していたんだよ?」
「……うん、知ってる。本当にごめんね。私もずっと、探しているつもりだった」
どういうことだろうか、彼女の話はまだ要領を得ない。
「本当は私、逃げていたの。茜から」
「わたしに……? なんで、何かしちゃったの? 何かいやなことを……」
「ううん、そうじゃないよ。茜はなにもしていない。何もしなかったのは、私の方だから」
ゆっくりとした足取りで彼女は上を見上げる。坂の方よりもずっと上の方を。
「会いたかった。ずっと、茜に会いたかった。でも会えば、もう会えなくなるから」
「何それ……一体なんのこと。どうしてもう会えなくなるの?」
「それは、私が……私が、いや私は……」
何か、何か大切なことを言おうとして、何も言い出せずにいる彼女を、私は少なくとも今まで見たことは無かった。
ずっと明るくて、楽しそうな表情を浮かべているのが当たり前だと思っていた。
私が転校して初めの日に、新しい学校で誰も知り合いのいないクラスに馴染めるかどうか不安がっていた時、手を差し伸べてくれたのは彼女だった。
『はじめまして、私達のクラスにようこそ!』
未だに思い出せるあの日の出来事。あの日の声を。
知らない景色ばかりだったあの日に、初めて視界を向けられたあの声に。
『あなた、茜ちゃんって言うんだね! 私は――――』
生涯、忘れることのないであろう、大切な人と出会った日。
「瑠璃」
今、ようやく本当の意味で再会できたような気がする。
ぴくりと、私の手の中が震えた。握った手のひら越しに熱いものを感じるような気がする。目の前の彼女の足が止まりかけ、しかし、奮い立たせるようにしっかりと前へと踏み出していく。
「私ね、実は陰陽師なんだ」
「陰陽師……?」
「正確には陰陽師でもなくて、エクソシストでもお坊さんでもあまり変わらないのだけど、とにかくそういう類のもの」
彼女はそうやって私に秘密にしていたことをすらすらと語りだす。その間も歩みは止めないまま坂の上を目指していた。
「私の家はね、代々この地域に住んでいて、ずっとこの街を見守って来た一族なの。私もその家の一員としてずっとお手伝いをしてきた。後継者は今の所私だけだから、ずっと教えを守ってずっと修行してきた。いつか、私が一人前としてこの街を守れるように」
「守る……それって、一体何から……」
「それは……」
言いたげにして、口を噤む。なにか、彼女にとって都合の悪いものか、私に聞かせたくないものなのか。
「役目があったの。私がこの街を任されることになったから、そのためにやらなくちゃいけなかったのに……」
「役目……?」
それが、私の前から彼女がいなくなった理由だろうか。
「ねぇ、茜。今日が何の日かわかる?」
「今日……夏休みが終わる日?」
「それは一昨日だよ。もう新学期に入ってる」
「えっと、じゃあ……何の日?」
皆目見当もつかなかったが、ふと、今日の出来事がなんとなく頭をよぎった。家の前に集まる、数多くの人たちを。
あれはそう、家の前の門近くに何かが垂れ下がっていた。あれはたしか白黒の垂れ幕のようなものだった。
「今日は、ちょうど四十九日目なんだよ」
数字が意味するところ、聞き慣れない言葉が指し示すところ。わざと彼女は逸しているような気がした。
よくよく思い出してみればここ最近の私とその周りはおかしかった気がする。
クラスメートの様子がおかしかったのも近所の犬が吠えだしたのも、もうしばらく、自宅に帰ってた記憶がないのも。
きっと私は知らないだけなのだ。いや、考えようとしなかったのだ。
「瑠璃、何が起こったの? 私に」
「……言わせるの、それ? 分かってるんじゃないの、本当は」
「言って、瑠璃。私じゃ思い出せない」
「言いたくないよ」
「瑠璃!」
「嫌だ!!」
反発して離れそうになった彼女の手を、私は強く握りしめた。もうどこにも行って欲しくないから。もう、会えなくなりそうだったから。
彼女の表情はもう見えない。ずっと坂の上を見据えて後ろにいる私に見せようともしない。だけども、私には今彼女がどんな表情をしているのかなんとなく分かっていた。それが、今まで見たことないものだったとしても。
何か言わなきゃ、何か伝えなきゃ、でも、それが何なのか私にはわからない。
一方、彼女の方は、何を言って、何を伝えなければならないのか、きっと分かっているはずだ。だけどきっと、その言葉が見つからない。
この沈黙はきっと、それらが生み出した僅かばかりのわがままだ。
けどそれも、すぐに終わりがやってきた。
――――――◇◆―――――――
時間にしていくらだろうか。そんなに経っていないはずだけど、あの日よりは長くかかったのかもしれない。
「あっ……」
どちらが発した言葉だろう。おそらく同時なのだと思うけど、互いの声を確かめる間もなく、私たちはただじっとその景色を見つめていた。
夕日はまだ沈みきってはいなかった。
まるで、空全体が燃えているような、真っ赤な夕焼け。おそらくきっと上空でたくさん群れている羊雲が照らされてそういう風に見えるのだろう。地平線に近いところから上の方まで一面の茜色。想像していた夕暮れよりも何倍も鮮やかに思えた。
これがきっと私の名前と同じ、茜色の空ってやつなのだろう。
「なんだか、すごいや」
そんな有り触れたセリフしか出てこなくて、それは隣の彼女も同じようであった。
「ずっとこの街に生まれ育ってきたけど、こんな夕焼け初めてかも」
「瑠璃もそう思う?」
「うん、そう思う」
短い会話の中で私たちは互いに同じ想いを抱いたことを知った。そして、雲の隙間から飛び出して、夕日の明かりがそっと私たちを包み込んだ。
まるで心を縛り付けていた何かが崩れてなくなっていくような感覚。
とても眩しくて温かくて、とても綺麗な柔らかな光。
「なんだか、夕陽の光で燃やされているみたい」
繋いだ手の感覚が段々と無くなっている気がして強く握りしめようとすると、瑠璃も同じように握りしめてくれた。そこを向けば、陽に照らされて顔も目蓋も真っ赤になった親友の横顔がある。
だがそんな時間はあっという間に過ぎ、目の前の夕陽が地平線に沈み出せば終わりの時はすぐそこだった。
ふと、振り向けば東の方はもう夜が近付いて空に仄暗い影を落としていた。しかしそれも完全じゃなくて、まだ明るめな藍染のようなもの。
「今ここってさ、ちょうど真ん中なのかな。あの空と」
「え? どういうこと」
「ほら、好きだって言ってたじゃん瑠璃色の空。それとこの夕焼け空のちょうど境目」
私たちの立つ坂の上。その真上に浮かぶ空は昼と夜、あるいは赤と青が混ざり合っているような、微妙な色合い。
瑠璃色と茜色、二つの空だった。
「いいね、なんだか。茜と私みたいで」
「そこまでロマンチックなつもりで言ったわけでは無いんだけど」
「いいじゃん別に! あれは二人の空なの! はい、決定!」
「わ、分かったよ、二人の空ね。にしても何色の空っていうのかな、あれ」
「名前なんていいよ。ああいうのは、つけないからいいんってもんだよ」
まぁ、瑠璃がそういうのならそれで良いのだろう。
もう、私が見上げるものではなくなるのだから。
「私ってどうなるのかな。やっぱり意識とかなくなるのかな」
「……私たちは送るだけだから、その後のことは真の意味で分からない。でもきっと私たちはまた会えるよ」
「どういうこと?」
そう尋ねると、瑠璃は数珠のようなものを手にしてそれを胸の前で掲げる。
「私が茜を見るから、茜は私を見ていて。そしてまたここで……この空を一緒に見よう」
それは、あの日と同じ約束だった。あの時果たされず、そして今ようやくめぐり合って叶えられた約束をもう一度。
私は頷いてそれに応えた。
日は沈み、街灯たちが目を覚まし、黄昏の終わりが訪れる。
私の身体は地上に留まる重さを忘れ、どこかへて飛んでいくような錯覚を覚える。
意識も何もかも、何かに溶けていくような気がした。
もう握った手の中に、瑠璃はいない。
目の前の景色ももう地上の光も夕焼け空も宵の空も見えない。
でもきっとどこかに君がいる。一方の私はきっとこの空の中にいるのだろう。
そしてまたいつか、君が見上げる。
――その時、私たちは約束を果たせるのだ。
――――――◇◆―――――――
今はもう一人で通る道のりに、たくさんの白い花束が見かけるようになった。いつか親友と共に歩いた道のりには、知らない顔の生徒たちが学びに歩き、そして帰路につく。
どこにも往かず、彷徨わずに済んだ彼女は、今はもうどこにもいない。どこか少し、寂しい風をよく感じるようになっても、遠い明日に向かって歩いていけると気づいている。
そしていつもの時間になれば、あの場所で空を見上げる。
約束は何度交わしたっていいものだ。
友達だからもう一度、君が好きな黄昏とラピスラズリを見に行こう テルヤマト @teruyamato
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