30.「これからも頼むわ、あたしのこと」(3/4)

「そうやんな。……ほんまにごめん、紬希つむぎ。紬希に嫌な思いをさせたくないっていう考えが、むしろ紬希を傷つけちゃった。あたしが全部悪い。ごめん」

「そんな――みおが頼りたいって思える人になれなかった私が悪いんだよ……!」


 この人なら心を丸々預けられると澪に思わせてあげられれば、申し訳ないという感情が生まれるすきもなかったのだ。

 澪の拒絶心は私の不甲斐ふがいなさを直せば解決する。私の不甲斐ふがいなさは、澪が何かを変えたところで直らない。原因がどちらにあるかは一目瞭然である。


「相応しくないのは、むしろ私のほうだよ……!」

「いや、あたしの自殺の問題は紬希と会う前からあったことやから、紬希は何も悪くないで」

「いや、澪こそ悪くないんだよ。あたしが澪の助けになりさえすれば万事解決だったのに」

「いやいや、それじゃあたしが紬希におんぶにだっこやんか。そんな頼りっきりじゃあかんやろ」

「いやいや、今の私が澪におんぶにだっこなんだよ。今は澪ばっかりに負担を背負わせてる」

「「いやいやいやいや」」

『堂々巡りやなぁ!』


 鶴の――もとい澪の真心の一声で、終わりのない言い合いが一時停止した。


『紬希はともかく、あんたまで自責で張り合ってどうすんねん』

「いや、あたしだって悪いと思ったら自分責めるわ」

「澪は悪くないよ」

『まだ言うか紬希!』

「ごめんなさいっ!」


 真心のほうの澪によるこういう突っ込みは初めてだったから、真正面から受け止めてしまって反射反応のように謝罪が飛び出した。あっ――と、矯正プロジェクトに慣れたせいで、ごめんなさいと口にするたびに思考が一時停止してしまう私。今回も例に漏れず後悔の念を自覚して、ふと、気がついた。

 今考えてみれば、ごめんなさいの頻度が減っている気がする。

 少なくとも、謝罪の文脈でしか使っていないのではないか。これまでのように、謝罪が場違いな文脈でも息をするように口にしていたごととは違う。澪と同じタイミングで自殺しようとしていたときだって、これまでなら馬鹿みたいに謝っていたはずだ。追い詰められると中身のない謝罪を繰り返す癖を、嫌というほど自覚しているのだから。

 その癖を直すために、まずは“ごめん”に置換しようという澪との約束だったが、それすら飛ばして。

 口癖、直った……?

 心のざわつきの外、澪の真心は仕切り直して話を始める。


『あんたら二人は両成敗、謝るのはあたしでいいやろ。紬希に直接危害加えたのはあたしなんやし』

「いや、あんたの言動はあたしの意思やって、」

『まぁ、そういうこと言ったけどな。ええやん、あたしが罪かぶっとくのが一番話まとまるやろ』

「でも……」

「ありがとう」

『「納得早いなぁ!?」』

「えぇぇごめんなさい!?」


 やっぱり直っていないかもしれない。

 澪二人分の激烈な突っ込みを受けて、私はたじたじだった。しわ寄せを申し出てくれた真心への敬意が足りなかった私が悪いのだけれど。


『でまぁ、その罪滅ぼしというかなんというか……、見せたるわ』

「私の見たかったもの……?」


 言って、澪の真心が指を鳴らすと、灯籠の上部にログの列が浮かび上がった。

 今思えば、灯籠の炎がついていたのに、ログは表示されていなかった。真心は、やはりある程度ログハウスの支配権を持っているのだろうか。真心にロードを手伝ってもらったという澪の言葉を加味すると――あるいは、彼女の真心は私の真心よりもログハウスへの干渉力が強い可能性がある。私の真心は、たとえ私が慣れていない頃でも、ログハウスの操作に手を出そうとしたことは一度もなかった。

 ともかく、そのログの一覧だ。

 私のログハウスと比べると、特に変わった部分はないように見えるそれ。ただ、前回ここを覗いたときの記憶と照らし合わせると、それはもう、途轍とてつもないことが起きているようだった。


『不幸中の幸いというか、幸い中の不幸というか。……ログ、こんだけなら残ってるで』


 言って彼女は、ログの一覧をスクロールした。

 残りのログを、見せるために。


「なん、で……」


 澪は。

 鬱病の影響で、無意識にセーブを連発してログを使い潰して、ロードを乱発してジャンクログを過剰生成して、残りのログが尽きたはずだ――ちょうど今日に。だから、彼女は自殺というかたちでその人生を終えるのだ。

 ……自殺、していない。

 ここに、まだいてるスロットがあるから……?


『恩を着せるわけじゃないけど、めちゃめちゃしんどかってんで?』

「え……」

『紬希がここに来たときあったやろ、だから……あたしが焼き殺そうとしたとき』

「うん、」

『あのあと、後悔と反省の裏で、紬希の言葉を何回も反芻はんすうしてた。なんかなぁ、確かに、どうも紬希が三ヶ月の付き合いには思えへんくてさ。紬希の言うとおり、数ヶ月やそこらの関係ではないんかなって、思い始めて。で、ここ――ログハウス? について、めちゃめちゃ調べたわけ。本体のあたしにしてた説明を頼りにな』


 少し照れくさそうな様子で、真心が言葉をつむぐ。私が意気消沈していた裏で走っていた、八百坂やおさか澪の内心について。


『蓋を開けてみれば、まさに紬希の説明どおりに、セーブとロードが勝手にされるわけ。それも、すごい速度で。これが寿命を削ってるんやなってのはすぐ分かったから、とにかくそれを制御しようとした。本体はそもそもログハウスの存在自体を知らんから、あたしが直接セーブとロードの手綱たづなを握るしかなかった。……多分これ、あたしみたいな存在が触れていいものじゃないんやろな、死の可能性すらよぎるほどの苦痛やった。頭痛とか吐気とか、そんなよくある症状じゃなくて、脳が悲鳴をあげてる感覚。本体も、何かしら負担かかってたはずやで』

「ん……確かに、脳みそじ切れるような頭痛一回あったわ。すぐ治まったから病院は行かへんかったけど」


 思わず眉根をひそめたけれど、謝罪は聞き飽きたと言わんばかりの真心の目遣いに口を結んだ。


『やっぱりな。でも、その甲斐あって、ちょっとずつ制御のコツを掴めて、最終的には毎日零時のセーブ以外はなんとか支配下に置けるぐらいになった』

「す、ごい……」

『すごいのは紬希やで。あのとき、炎に包まれても止まらずにあたしの手取ってくれたやろ。あとから思えば、なんかあのときに変な感覚があってん。頭の中の鍵が一個外れる……みたいな』


 言って、彼女は自分の頭をとんとんとつついた。

 そうだ。

 澪の真心はあの時のことを謝ってばかりで忘れかけていたけれど、私の想いに反応して、最後に手を取ってくれたのも彼女だ。最後の最後に、心を開いてくれたのだ。

 その時に、鍵の開くような感覚――か。


『ただ、幸い中の不幸って言ったとおり、完全に抑えられたわけじゃない。あたしの制御をい潜って、勝手にログハウスが動作することもある。それに、セーブとロードの異常はかなり前からあったことやから、その分はどうしようもない。……残せたのは、これだけ』


 ばつが悪そうに残りのログを見せる澪の真心。

 ただ、ざっと目を通すだけでも、数日や数ヶ月で尽きるような数ではなかった。セーブを抑えたのはもちろん功を奏したのだろうが、それよりもロードを制御したのがあまりにもファインプレーだ。ログを逼迫ひっぱくする最大の原因であるジャンクログが、ほとんど生成されていないのである。

 ログハウスの暴走がかなり前からのことである事実は、やはり私の真心と危惧していた通りのようだ。じわじわと悪化する鬱病にともなって、ログの浪費もじわじわと進行していたのだろう。それは、心苦しいが、仕方ないと割り切るほかないことだ。


「今日で尽きていたことを考えると、大進歩だよ……」

『こんだけやで、』

「確かに多くはないけれど――でも、私のログも、もうたぶん残り少ないんだよ。澪を助けるために大量にジャンクログを作ったし、それ以前からどうでもいいことですぐにロードしてたし」


 ログハウスに初めて干渉したのは高一の秋。澪が実際にどれだけの期間と速度でログを使い潰したのかは分からないけれど、私のログの消費も、澪と出会う前からのことなのだ。特に、力に慣れてきた頃は酷かった。怪我をしたときや恥をかいたときはもちろんのこと、時間遡行そこうが楽しくて不必要に力を行使したこともだ。どうでもいいこと以前に、極めて無駄なことのために。ジャンクログが、寿命を食い潰す存在であることなんて、考えもせずに。

 若かったで済む話ではないが――まぁ、若かったのだ、当時の私は。

 隣の澪を見やれば、神妙な面差しだ。


「紬希のログは、あと……どんくらいなん?」

「それなんだけど――」


 責めていると思われたくないから、泳ぐ目が澪の真心に向かないようにつとめた。


「その確認すら、できなくなっちゃってさ」

「そう、なんか」

『…………』

「でも、これまでの記憶を振り返って、なかば直感で答えるなら――あと、何年ももたないと思う」

「え、……嘘、」

「分かんないけどね。でも、澪とそんなに差はないかも」


 澪の運命に寄り添いたくて、言っているふしもあるけれど。それなりの確信をもって、自分の寿命が長くないことを自覚しているのも事実である。

 前に概算したとおり、人間のログの総数は想定四万から五万。寿命を八十歳と仮定して、毎日のセーブと数日に一回のセーブ、適宜てきぎロードという条件で。

 その計算に当てはめれば、二十歳の時点では一万強のログを消費していることになる。そこに、私の意図的なセーブとロードを計上すると、おそらくその倍では済まない。それだけ、ちょくちょくロードをしていたのだ――愚かにも。


「澪も私も、もう、長くはない」

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