24.「全部私に預けろっつってんの!!」(1/4)

       *



「ぅ……」


 無音空間。

 頭を押さえつけるかすかな鈍痛を振り払って、上体を持ち上げる。

 落下感の時点で分かっていたから、目を開けて暗闇が映っても動揺はない。そもそも、ここに来るのが最大の目的だったのだから。


「――ログイン」


 早速宣言してみるが、……いつもの間隔がっても、炎はつかなかった。


「やっぱり私の声じゃ駄目か……。でも、みおのログハウスって確定はしたね」


 前回も、私の宣告を待たずに勝手に着火したのだ。ログハウスは、他人の声では反応しないようである。

 にしても――と、私は思う。

 どうしてキスがここへの入口なのだろうと、無駄な思案が走ってしまったのだ。

 澪とのキスくらい、これまでに何度もしてきた。それこそ数えきれないほどだ。だが、それがログハウスへの転移と結びついたのは、前回が初めて。

 察するに、また、奇跡の類としか言えないものだろう。

 私の勝手な考えだけれど、私と澪の意識の波長が完全に重なったときに、キスをきっかけとしてログハウスに入れているのだと思う。その時々の、感じている情動や互いの愛情、テンションなど、全ての要素が上手く噛み合ったときだけに起こる奇跡。スピリチュアルな解釈だけれど、そもそもログハウスの存在自体が超常的だから、ある程度の仕方のなさはある。

 ただ――そういう解釈だから、つまり。

 もう、次にここに来られる可能性はないと見なければならない。


「ここが、正念場だ……」


 自己暗示がてらにつぶやいた、その時。

 視界の一角で、青い光がともった。灯籠がたたえる、青い炎。

 そこまではいつも通りで驚くこともないのだけれど、ログが映し出される代わりに、信じられない刺激を知覚した。


『――また来たん』


 と。

 聞き慣れた女声。

 独特な響き方をしているけれど、私の真心と話すときの、全方向から響いてくる感覚ではなかった。確実にある一点から――灯籠を超えた向こうから、その声は聞こえていた。


「澪……?」

『帰れ――』

「え、」

『帰れ!!』

「うあ――ッ!?」


 澪の叫びを聞いたかと思った、次の瞬間。

 私の身体は、宙を裂いて吹き飛んでいた。

 いよいよ何が起きたか分からない――ただ、凄まじい爆風を全身で受け止めた感覚はあった。まるで、澪の言葉が質量をもって放たれたかのように。

 物理法則に従って地に落ちた私は、もちろん勢いを殺すことができず、数メートルほど転がった。ただの物になったかのような気分で、身体中を打ち付けながら慣性のままに地をる。


「うぅ……っ」


 果たして停止したときには、身体のあらゆる場所に打撲の痛み。骨が折れなかったことが救いだった。

 光がほとんどないこの空間で転がると、一瞬で平衡感覚が奪われる。痛みとくらみが治まるのを待ちつつ、私は灯籠のほうへと目をやった。


「…………え、」


 映った光景は、絶句に相応しいそれ。

 確かここは光に見放された暗闇だったはず――そんな確認をしなければならないほど、。青々と、網膜を刺激する明かり。

 一面が、青炎の海だった。


「な、に、これ……」


 ログハウスというものに慣れているからこそ、理解があまりにも難しい。

 さっきともった炎は、前回と同じで消えかかっているかと思うほどに弱々しかった。灯籠には勿体ない、蝋燭ろうそくの火のように。それが、たった一瞬で、辺り一帯を焼き払うほどに成長した……?


『もうさ、構わんといて。それ以上近づいてこんといて。……人と関わるのが、ほんまに疲れた』


 やはり、炎の向こうから声がしていた。

 ――疲れた。

 思えば、澪がその言葉を使ったのは、後にも先にも遺書の中でだけだった。疲れたなんて誰でも言いそうなものを、彼女の口から聞いたことがない。

 言うのを避けたりしていたのだろうか?

 いや。

 今はそんなことはどうだっていい。目下もっかの問題は、私の双眸そうぼうが捉えていた。


「澪……!」


 炎の向こう――否。

 炎が燃え盛る中に、ひとりたたずむ澪の姿があった。


『名前、呼ばんといてくれる? さっさと出ていけっつってんの』


 ただ、様子がおかしい。

 力を感じない立ち姿に、負の感情を凝縮したような面持ち。さっきから浴びせられる、きつい言葉の数々。さらに加味する要素を増やすなら、灯火ともしびがついた瞬間から声が聞こえて、炎の中に姿を現して、……ここが、ログハウスであること。

 その全てを計上して、答えを出すなら。


「澪の、真心――……」


 現時点での澪が、自力でログハウスに干渉できるとは思えない。それに、今回の澪とは、そんな雑言を言い散らされるような関係ではないのだ。

 証拠は十分とは言えないかもしれないが、目の前の人物が澪の真心であると、私は確信していた。


『何言ってるか分からんけど。……なぁ、あたしのために何でもできるんやろ? じゃあ、早くあたしから離れてくれる? それが今のあたしに必要なことやねん』

「嫌だ、絶対に離れない。私が澪を救うって、覚悟を決めたから」

『だーかーら、放っといてくれるのが一番の救いやって言ってんねんか』

「それは……やり直したばっかりで、まだ、澪にとっての私の影響力が小さいからだと思う」

『知らんから、そんなん。あたしの問題やねんから、あたしが言ってることが正しいに決まってるやろ』


 言って、あまりにも露骨な睨み。

 駄目だ。何を言っても、取りつく島がない。

 きっと、鬱症状を一切抑えずに遠慮なく振る舞えば、澪はこういう感じなのだろう。弱った心を防衛するために、攻撃的な態度を敷く。真心がこの状態なのなら、なるほど、澪が毒を吐く世界線に簡単に直面していたわけだ。

 本性を出していたログというより。本性を抑えられなかったログだったのだ。


「ねぇお願い、話を聞いて」

の奴の話なんて、聞いてるだけ時間の無駄やわ』

「やっぱり……私のこと、二カ月半しか知らないんだね」

『……あ?』


 思い切って大きく出ると、思い通り、澪の真心は嫌悪感をあらわにした。

 彼女は、出会ってから二カ月半の私しか知らない。いくら時間を横断する意識を持つ真心でも、ロードしていない過去の時点では知識は本体と同じだ。今この瞬間、真心の見立てどおり、澪がこれほどの過去までは改変していなかった事実にお墨付きを得た。

 やり直した先にはジャンクログは引き継がれるが、それよりも過去なら、ジャンクログはまだ生成されていない。あとどれだけの空きスロットがあるかは分からないが、間に合う見込みは大いにある。


「私はね、澪のこと一年以上見てきたよ」

『……なに訳分からへんこと言ってんの、気色悪い』

「澪を救うためなら、気色悪くたっていい」


 言って、一歩を踏み出した。

 それに反応して、澪の真心が一段階警戒を高めたことが見て取れる。


『近づくなって言ってるやろ! それ以上進んだらき殺す!』

「半端な覚悟で来てないんだよ、私も!!」


 澪の叫びに触発されて、私の喉も叫びをあげる。

 彼女が一瞬ひるんだ。そのすきに、三歩分距離を詰め寄る。


『いいから――下がれ!』

「くっ……!」


 彼女が手を振ると、それに合わせて炎が一気に延焼した。吹き飛ばされて距離のある私の元まで、ほんの一瞬で到達する。音まで立てながら高く昇る業火が、いとも簡単に私をみ込んでしまった。


「うっ、ぐぅぁ……!」


 熱い、ひたすら熱い。皮膚表層をじりじりと激痛が走る。

 だが、不思議なことに、火傷をしている感覚はなかった。ただただ、脳が知覚する刺激として、熱い――そして痛い。それだけ。


「なるほど、幻覚の、炎ってわけね……!」

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