14.「…………遺、書?」
「だい、じょうぶです、はい――……」
意識を戻された、答え合わせ。
絶対にあり得ないけど万が一
謝辞を伝え、私は自室へと帰った。
ばたん――と、戸が外界を遮断する音。
隣人との会話で最後の気力を使い果たした私は、玄関でそのまま
ひやりと冷たい床の感触が、スカートを超えて肌に伝わる。その冷感はすぐに体の中を駆け抜けて、心まで凍り付かせるようである。
ぶぅーん、という冷蔵庫の音と、ぽたぽた、という蛇口から
いつしかそんな音たちも聞こえなくなって、自分が呼吸をしているのかも分からなくなって、ただただ過ぎていく時間の中に居座った。
「――ふふ、」
突如、誰かの声。
不意打ちの
「ふふ、ははは……」
その笑いが、まるでじわりとインクが染みていくかのように
楽しい。
「あっはは、あふふ、へへ」
肩が揺れるほどの大笑いに成長して、
笑いが加速して――隣人の前で止まっていた涙が、また、
笑って泣いて、破顔してしゃくりあげて、気色悪いことこの上ない。私だったら、こんな人とは関わりたくないと思った。
「ふっつうに、過ごしてただけなのに――」
やっと言葉という言葉が出たけれど、これも私の意思というわけではなかった。取り
「急に澪が死んじゃうしさ。それも自殺って」
意味のない、
「せっかく助けようと思ってやり直して。身体にガタが来ても、何度も何度もロードして、諦めなかったのに。その結果が、この地獄だよ」
澪の死を避けようと奔走した結果得られたものが、澪からの罵倒。人の言葉かと疑いたくなるほどの、この上ない
ついさっき浴びるように聞いた彼女からの
それを、手に、握りしめていた。
「唯一の頼みの綱がロードだったのに、ログがバグって過去がハチャメチャ? もう、笑うしかないよね。こんなの、地獄じゃないと説明つかないって。はは、あーもう面白いったらない」
やはり、全ての感情を
自分の口から出た言葉を耳が拾うごとに、私の手が動く。はじめは金縛りを
玄関入ってすぐのところにキッチンを備え付けた、設計者が悪い。キッチンのすぐに手に取れる場所に包丁を置いた、私が悪い。首に
ひやり。
冷たさに熱を奪われた感覚か、当てたはずみで少し切れてしまった感覚か、判断がつかない。それに、どっちでもよかった。
「もう、無理だよ、こんなの。どうしようもないじゃんか――」
へへ、と、相変わらず中身のない笑いを漏らして。大きく息を吸って、ぐ、と力を入れる。
いける。やれる。
いち、にの、さ――。
「…………」
……いち、にの、さん。
「…………」
……やっぱり、ちらつく。
家族の顔。澪の顔。
ちらちらと脳裏に
「遺書――……」
そうだ、遺書。遺書を書かないと。
便箋は――ない。代わりになる紙も、思い当たらない。
パソコンの文書ソフトで書こう。それなら書く労力も少なくて済むし、字が汚くなることもない。私は澪と違って、字が綺麗ではないから。
まず、家族に謝らないと。彼らからしたら何の脈絡もなく娘が死んでしまうのだから、ごめんなさいと、きちんと謝ろう。それだけでは足りない。これまで育ててくれたことへと感謝も
私関係の身辺整理についても書いておいた方がいいかもしれない。どの私物は捨ててくれてもよくて、どの私物はできれば残しておいて欲しいか。人間関係も、友達に何か
あぁ、それから、どうしてこんな最期になってしまったかを書いておかないといけないじゃないか。死因ではなく、死の経緯。これまでは黙っていたけれど、セーブとロードの力について打ち明けよう――どうせ信じてくれないだろうけれど。レズビアンであることは
「…………遺、書?」
ぴたり、と。
加速度的に速まっていた死へのカウントダウンが、止まった。
私は――遺書に、書こうとした。自殺に至った経緯を。
まるで、タネ明かしでもするかのように。探偵ドラマの、謎の答え合わせのように。
だったら――。
「澪の、遺書は……?」
タネ明かし。答え合わせ。
そんなものが与えられるわけがないと――向こうから寄ってくるわけがないと、すっかり思い込んで。私は、骨を
どうして?
今となっては、心底不思議でたまらない。一番はじめに、そこをあたるべきだったんじゃないのか? 犠牲とリスクを払うのは、そのあとじゃなかったのか?
計、四回。
私は、澪の
その四度全てにおいて、私は澪の死を目の当たりにすることでいっぱいいっぱいになってしまって、周囲に意識を配る余裕は
見に、行かなければ。
自分の死の
「でも――澪との関係があまりにも違うこの世界線だと、遺書があったとしても当てにならないよね……」
この関係性でも澪が自殺をしてしまったとして、遺書を書いた場合、私への
同じログをロードしても、その時によって澪との関係性が変わった。つまり、ロードを繰り返していれば、ログが狂ってしまう前の澪に戻る可能性は大いにある。
やるしかない。
「ログイン」
私は、首筋に包丁が触れているなんていう物騒な現実から、逃げ出した。
*
※近況ノートとpixivにて、今話の挿絵を投稿しております。
https://www.pixiv.net/artworks/109063642
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