12.「なんで、なんでなんで――……」

       *



「あ、起きた?」

「………………は?」


 人生で初めて、ここまで遠慮のない疑問の声を出したかもしれない。

 待って。頭の整理が追いつかない。

 私は、確かに五月二十二日のログをロードしたはずだ。就寝中の零時にセーブされたログで、目覚ましが鳴ると同時に覚醒するはずのログ。まだ私にき乱されていない、ノイズのないそれ。

 それなのに。


「は――って、え、なに」


 なぜ、みおに目覚めを出迎えられている?

 ベッドで起き上がった体勢のままの私を、彼女はそのすぐそばの大きなクッションに腰かけて。朝から優雅に小説なんて手にしながら。

 ……? 贅沢な大きさの――一度座るとそのまま墓場にしてしまいたくなるような?

 これは……出迎えられているんじゃない。



 私が、澪の部屋のベッドで目を覚ましたんだ――……。



「……なん、で、」

「え……何が? 紬希つむぎ大丈夫? なんかやばいで、変やで」

「話しかけないで!」

「っ……」


 言って、はっとした。今さら口を押さえても遅い。

 眉を寄せて、目をみはって――驚きと疑問に支配された澪の表情。

 ただの一度も声を張り上げたことのない私が、それも澪に牙をむいて吠えたのだ。無理もなかった。

 ただ、今の私には、結果として降りた気まずい沈黙さえ気にならないくらい、とにかく余裕がなかった。たとえ澪でも、今話しかけられると混乱のあまり手を上げてしまいかねないほどだ。


「なんで、なんでなんで――……!? ログを間違えた? ……いや、」


 いや。

 ログの選択ミスが原因である確率は、太鼓判を押してゼロパーセントだと断言できる。なぜなら、目的と異なるログをロードしたところで、身を投じるのは別の時点の過去だ――どれだけ間違えても、に行き着くことはない。

 知らない。こんな記憶は、ない。


「ね、ねぇ……」

「いや、うん……どしたん……?」


 当たり前だが、澪はすっかり警戒してしまっている。心なしか、クッションの端の方に座って、私から距離を取っているようだった。

 そんなことはどうでもいい。覚醒早々、もはやノイズを気にするようなレベルではなくなっているのだ。


「これってさ……?」

「な……なんちゅう質問やねん! 急にヒステリー起こしたかと思ったら、今度は事後かってか!? てか、なんで忘れたみたいな感じになってんねん……!」

「ごめん……あんまり記憶がはっきりしてなくて」


 不自然でも、もう、なんだっていい。事実確認だけさせてほしい。


「あ、あんなに……乱れてたくせに……」

「やっぱり、事後なんだね」

「あっさりしてんなぁ!?」


 跳ねるように言い放って、そのままクッションから滑り落ちて行った。小説のページが折れないように無理な体勢のまま倒れて、復帰しようともがいている。

 そんな澪に、私はとても興味すら持てなくて――自分のものとは違う掛け布団に、思い切り顔をうずめた。

 あり得ない。ただでさえおかしいのに、……房事ぼうじがあった夜で、こんなログにはなり得ない。

 朝起きるのがロード後の覚醒なのなら、零時のセーブのタイミングではすでに眠っていたということになる。だけど、私と澪がになるときには、いつもきまって日をまたぐのだ。その日のうちにさっさと済ませてそそくさと寝てしまうなんて、一度たりともなかった。

 根拠が不純だけれど――この過去は、確実に、私が持っている記憶にはない。


「何が起きてるの……」


 掛け布団に吐き捨てたくぐもった自分の声を聞いて、やはり、信じられないという結論が浮かび上がってきた。

 信じられない――信じない。


「……澪、」


 顔を上げて、ようやく座り直した彼女へ向ける。


「ん……?」

「ごめん、やり直してくる」

「………………ん?」


 言い捨てて、ふっ、とログハウスへ降りる。無駄なやり取りはいらない。

 意識のシフトをできる限り早く済ませて、ログインの宣告。今は澪がすぐそばにいる――手早くロードしないと、揺さぶられでもして意識が引き戻される可能性がある。


「ねぇ……今、いる?」


 ログの上で目を流しながら、宙へ向かって問いを投げる。

 もちろん、その対象は、私の真心だ。


「…………」


 気は急ぎながらも、数秒、限界まで待った。

 想定通り、返ってきたのはただの沈黙だった。光とともに音も失ったようなこの空間に、はらの奥を抑えつけるような静寂が吹き込む。

 特に、落胆するわけでもない。いくつかの条件を同時に満たす、本当に限られた状況下でしか起きない現象なのだ。狙って真心を引っ張り出してくることはおろか、こんなにも心がざわついているときに会話を試みようなど、無謀そのものだった。


「そりゃ、そうだね」


 独りちて、目的のログに注目する。

 西暦。月。日。曜日。時刻。サムネイル。

 表記されている全ての情報を、ひとつひとつ、め回すように確認した。間違えないように――というより、私の選択ミスという可能性を徹底的に潰すために。

 大丈夫。絶対に、このログで合っている。日付も時刻も合っていて、漆黒のサムネイルは、私が零時の時点で就寝中だったことを物語っている――本来なら自室のベッドの上で。


「……ロー、ド」


 慣れた文言もんごんで、思わず息が詰まってしまった。

 これでまた知らない現実に降り立ってしまったら、いよいよ何もかも分からなくなる。選択ミスの可能性はさっき自分で否定したはずなのに、今は選択ミスであってくれと心から懇願していた。

 意識が、ふわりと浮き上がる感覚。

 私の覚悟は、最後まで全然わらなかった。



       *

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