第9話 想定外と準備不足
今回訪問するのはスマートフォン向けゲームの運営をメイン事業としている企業。トレンドやランキング上位にくるようなヒット作はないものの、堅調なタイトルを複数運営しているお陰か業績は安定している。
そして今回獲得を狙うべき案件は、今季中のリリースを予定しているスマホゲームの先行体験を動画で紹介するというものだ。
ちなみに代表からは今回訪問する企業について『詫び石の配布は渋い』『メンテ延長は少ない』『SNS担当は定型文の告知しかしない』『過疎ゲームでも1年は運営する』等などの、おそらく案件獲得には役に立たない情報を道すがら教えてもらっている。とはいえ運営タイトルの中身までを詳しく知っている代表が居てくれるのは非常に心強い
アイナさんの退所を防ぐ為に、ここは2人で協力して頑張りたいところだ。
◇
オフィス入口にて受付を済ませると、会議室へと案内された。
「――ではこちらへお掛けになってお待ち下さい」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
案内をしてくれた女性にお礼を言い、席に着く。
そうして手早く鞄から手帳と資料を取り出す。資料はアイナさんのチャンネル登録者数や総再生時間、メイン視聴者層などを纏めたものでセールストーク用として昨日突貫で作成した。実際に使う流れになるかどうかはわからないが準備するに越したことはない。
そうして一通り準備を終え、一息ついたところで。
「代表、座らないんですか?」
何故か隣で立ったままの代表が気になりすぎてそう声を掛けた。
「うぇっ!? こ、こういうのって勝手に座っては駄目なのではないのか……?」
「さっきの案内の人が座って待っててくれって言ってましたよ。担当者の方が見えたら立てば大丈夫です」
「そ、そうか。そうなのか……そういうものなのか……」
小さく呟きながら恐る恐るといった様子で座る代表。
どうにも様子がおかしい。そういえばお客様オフィスに入ってから一言も喋ってなかったような気がする。……まさかとは思うが緊張しているのだろうか。
……いや代表に限ってそれはないか。あまりこのタイミングで会話しすぎるのも良くないので気にしないでおこう。
「――いやぁすみません、お待たせしました」
会議室の扉が開き、今回挨拶させて頂く担当者の方がやってきた。
年齢は40代半ばといったところだろうか。眼鏡を掛けており、目尻が少し下がり気味で温和そうな印象を受ける男性の方だ。
「お世話になっております。本日はお時間頂きましてありがとうございます」
すぐに立ち上がり、頭を下げる。代表も俺の後に続いてぎこちない様子ではあるがお辞儀をしている。
さて、次は名刺交換だが……何故か代表が動く気配はない。普通であれば上司からするものなのだが……ここは臨機応変に動かないと不味いかもしれない。
俺は胸ポケットに仕舞ってある名刺入れを取り出し、相手も取り出したのを見て。
「タレントマネージャーの風戸と申します」
「企画広報の高橋です」
お互い慣れた手付きで名刺交換を行う。
もし名刺交換の存在を忘れているのであればこれで気付いてくれるといいと思っての行動だったが……。
「ええとそちらは……?」
「えっあのえっと……わ、私はその、あれで」
ビジネスの場には非常に珍しいであろうゴスロリ姿の代表に、高橋様からは困惑した様子が醸し出されている。
そして代表は代表で名刺交換の存在を思い出す様子どころか、まるで別人のように慌てふためいている。どうにもよろしくない状況だ。
「弊社代表の蟹川です。今回は大切なお客様へのご挨拶ですので同行して貰っています」
会話の流れを止めないように俺の方から紹介する。
「ほう、代表様自らお越しとは。これは失礼しました。企画広報の高橋です」
「か、蟹川だ――じゃなくて、蟹川です」
め、名刺を片手で受け取ってる……。
しかも代表は用意していないのか受け取るだけ……だめだフォローのしようがない。嫌な汗が吹き出してきそうだ。
「は、はは…………随分と特徴的な格好をしておられますね」
格好や言動にかなり戸惑っている様子の高橋様。それはそうだろう。俺だって同じ立場ならそうなると思う。
そして服装についての話が出たので、ここは言っていた通り代表に任せたいところではあるが……。
「わ、わたしのこっ、こここの服はだな――えと」
うん、これは無理そうだ。ここは俺がフォローしないと。
「代表はVtuberという新しい時代の自己実現に携わる者として、普段から率先して自分らしい生き方を心がけているんですよ」
「そ、そうなのだぞです」
同調するだけなのにこの噛みよう……これはもうかなり緊張しているで確定だな。出会った時からこれまでのことを考えるとかなり意外ではあるが……。まぁとにかく代表には振らないようにしてなんとか俺だけで進めるしかない。
「そうでしたか。若い方は色々と考えておられますな……あ、すみませんどうぞお掛けください」
「失礼します」
「ま、ます」
高橋様が座られたのを見て、俺たちも座る。
「それで本日は挨拶以外にもご用件があるとか?」
「ええ。先日田中の方と進めていた案件についてお話させて頂ければと」
「ああ……やはりそうでしたか。すみませんねぇ。突然断ってしまいまして」
「いえ、とんでもないです。ですが差し支えなければ理由を教えて頂けないでしょうか。私共としましても今後の参考にしたいと思っておりまして」
案件を取りに行くにもまずはNGになった理由を聞かなければ始まらない。そして理由如何では問題をクリア出来る提案か、問題以上のメリットを提示できるような運び方をしなければ案件獲得には至らないだろう。
「いやね、そちらの田中さんからは登場キャラクターの見た目と性格が似ているVtuberの方がいると提案を受けましてね」
高橋様はそう言いながら手元のノートパソコンを操作し、画面をこちらへと向けた。そして画面には確かにアイナさんに似た金髪のお嬢様キャラが表示されていた。設定も『少し高飛車で他人を見下すところがあるが、実は心優しい』とあり、アイナさんの公式プロフィールと似通っている部分がある。
「似たキャラがいるということであれば動画構成も組みやすそうですし、Vtuberの方も愛着を持った反応をしてくれるのではないかと思いまして、こちらとしても宣伝をお願いしようとしていたのですが……」
そこで言い淀む様子を見せた後。
「普段の配信を見させて頂いたところ聞いていた話とは違っていまして……まぁなんというかその、イメージとは異なるところが出てきましたので……申し訳ないのですがお断りさせて頂いた次第です」
……なるほど。
イメージと違ったというのは俺が強みになると思っていた”ギャップ”の部分のことを指しているのだろう。他の理由であれば色々と話の組み立てを考えていたのだが……これは少々厳しいか……?
――いや。
この程度で諦めてどうする。準備不足なのは百も承知。
表面上だけでは伝わらないキャストの魅力を伝えるのが、俺の仕事の筈だ。出来てないうちから諦めるなんてありえない。
「いやいや何をおっしゃいますか――」
努めて明るく。
そう口にしながら、今後のトーク展開について頭をフル回転させるのだった。
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