第2話 ”金”か、”推し”か

 合同会社テラサプライズ――。

 Vtuberの夜会月見さんが所属している会社だ。俺はマネージャー職の募集要項を確認するために会社ホームページにアクセスした。

 ちなみに夜会さんの配信はまだ続いているため、そっちも開きながら要項を確認していくつもりだ。



「っていつもの癖で会社概要のページ開いちまった……」



 営業にとって会社ホームページというのはトークを組み立てるための素材の山。俺の場合は真っ先に会社概要のページで規模と事業を把握して、「この企業を調べる時間をどれぐらいにするか」を決めてから他のページを見るようにしている。

 そんな習慣がもう染み付いてしまっているらしく、今回も自然と会社概要のページをクリックしてしまった。



「まぁいいか。どうせ受けるとなると企業研究は必須だし」



 ええと……事業内容はVtuberプロダクション事業のみ。設立が2年前で従業員数が3名。資本金の額からして小規模の会社であることがわかる。

 代表社員は蟹川咲さん、名前からするとどうやら女性の方らしい。なるほど、さっき配信のコメントで「代表のKさんがSNSで荒れてた」というのを見かけたが、Kさんというのはこの人のことだろう。学生時代に企業したのだろう。歳も23歳と若く、俺よりも下だ。

 …………ってあれ? ちょっと待てよ。何かおかしくないか? 

 従業員数が2名ってなってるけど確か夜会さんの他にも所属しているVtuberが居るはずだよな。


 気になった俺は所属タレント紹介のページに移動する。



「……やっぱり所属Vtuberだけで2人超えてるよなぁ」



 夜会さん以外の配信を見たことはないが、紹介ページには夜会さん含めて3名のVtuberが在籍していることになっている。つまりここだけで既に会社概要の従業員数との数が合わず、代表社員などを含めるとかなりの差になる。



「……もしかして」



 ブラウザの新しいタブを開き、検索窓に『Vtuber 雇用形態』と打ち込む。

 そして上位に表示された結果だけを見てすぐに合点がいった。所属といっても雇用契約ではなく、委任契約か請負契約が結ばれていることもあるらしい。確かに後者であれば従業員数に含まれていないのも納得だ。

 ……うん、先に調べておいてよかったな。雇用契約と違って委任や請負の契約では会社側から指示できることに大きく制限がある。マネジメントをするうえでも重要な情報だ。



「ってまだ決まったわけじゃないのに何をその気になってるんだ俺は。落ち着いて現実見ていこう」



 先走った考えを打ち消すため、一旦夜会さんの配信に視線を移し、耳を傾ける。

 どうやら視聴者の方もマネージャー業に興味がある人が多いようで、まだこの話が続いており、コメント欄には質問や『履歴書書いてくる』といった応募の意志を示しているコメントが目立つ。



「凄いな……」



 夜会さんの影響力なのか業界の魅力なのかは定かではないが、見ている限りでは結構な数の応募者が居そうだ。

 冷静に考えるとやっぱりこんな高い競争率の中、業界未経験で知識も浅い俺が採用される訳ないよな……。それなのに採用された後のことまで考えてしまうだなんて、取らぬ狸のなんとやらだ。自分が恥ずかしくなってきた。



「……でもまぁ折角だし採用情報も見てみるか」



 競合の多さに諦めた気持ちになりつつも採用情報のページを開く。今募集しているのはマネージャー職のみのようで、これ1つだけしか表示されていない。

 募集要項を順番に見ていく。

 仕事内容は所属タレントのマネージャー。業務内容もタレントマネジメント全般だったり、社外との窓口など予想範疇内のことが記載されている。

 ただやはりというべきか、”歓迎条件”の中にタレント事務所やVtuber業界でのマネジメント経験だったり、イベントやグッズ制作のプロデュース経験があれば好ましい旨が記載されていた。



「まぁそうだよな」



 未経験より経験者が欲しいのは当然だ。必須条件ではなく歓迎条件なので一応俺でも応募自体は出来るだろうが、採るのは間違いなく経験者だろう。

 予想していたとはいえ少し残念に思いながら残りの項目を見ていくと、待遇面のところで別の意味で厳しい記載を目にしてしまった。



「これ……最低賃金大丈夫か?」



 他所様のことなのに思わずそんな心配をしてしまうぐらいの給与額。そして勤務時間もフレックス導入としか記載されておらず、年間休日については見当たらない。

 ……なるほど。理解した。俺は危うく地雷原に突っ込むところだったんだな。よしんば競合が居なかったとしても、さすがにこの怪しさと条件で今の会社を辞めてまで働きたいとは思えない。



「よし、忘れよう。今まで通りただの視聴者でいよう」



 そうしてページを閉じようとした時、最下部にあった一文に目を奪われた。




 『あなたの手で、彼女たちをもっと輝かせてみませんか?』




 どくん、と一回だけ心臓が大きく鼓動したような気がした。

 再び月見さんの配信に目を移す。さっきまでのトークテーマだった求人の話は終わっているらしく、今は最近の天気について話しているようだ。ちなみに夜会さんが天気の話をしだした時はネタが尽きたという合図なので、それを知っている視聴者たちはチャットで次のテーマトークのネタを次々に流し始めている。

 月見さんは流れてくるチャットの中で良いネタが拾えたのか笑顔を見せ、カチャカチャというタイピング音が響いたかと思うと、配信画面のトークテーマの欄が『天気』から『お菓子!!!』に変わった。



「かわいい。エクスクラメーションマークを3つもつけた辺りかわいい」



 そう。

 夜会月見さんは可愛いのだ。

 いつもお淑やかで落ち着いた声で視聴者からの相談とかも受けたりするしっかりした大人な印象の人なのに、ネタが尽きたら天気の話をして視聴者にネタの提供を催促する茶目っ気とか、今みたいに食べ物の話をしている時は若干テンション上がっているのを隠しきれていない辺りのギャップも含めて可愛いのだ。

 しかし、その可愛さが世間に上手く伝わっているとは思えない。



 『あなたの手で、彼女たちをもっと輝かせてみませんか?』



 だからだろうか。このフレーズが頭から離れない。

 もし、もし俺の手で、夜会さんの魅力をもっと大勢の人に伝えられることが出来るのなら。彼女の力になれるのなら――。と、そう考えてしまう。

 ……馬鹿な考えだ。

 採用される可能性も低ければ、もし採用されても給与激減の上に、折角ここまで出世したポジションまでも失ってしまう。本当に馬鹿な考えだ。

 だというのに、俺の心は――。



「応募書類、作るか」



 その馬鹿な考えを制することが出来ず、新しい世界への挑戦を選んでしまったのだった。

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