ワガマママネジメント

草之助

序章:転職

第1話 切っ掛け

「さてと……」



 夜23時。

 御飯もシャワーも済ませ、ルームウェアにも着替えている。そして明日は平日なのでいつも通り仕事がある。だからしっかり備えるために――。



「仕事するか」



 会社から持ち帰ったノートPCを起動させ、日中処理が出来なかった仕事に取り掛かる。日中は直接会話が必要な打ち合わせや営業活動でどうしても時間が取られてしまうのでそれ以外の仕事をこういう時間に片付けるしかない。



「……もっと楽な業界だと思ってたんだけどなぁ」



 メールのチェックをしながらボヤく。

 俺が営業兼管理職として働いている人材派遣会社の役割は”企業が求める人材を提案し派遣する”こと。文面だけなら単純なだけに世間では中間搾取だの、人を横流しするだけで金を貰っているといったようなイメージを持たれがちだ。というか俺も入社前まではそう思っていた。

 だが実際はそんな単純な話ではなく、派遣先企業と派遣スタッフの双方に対する業務が想像していた以上に多い上に、商材が人だという性質もあってかトラブルやクレーム対応に追われることも少なくはない。



「田中さんから契約更新希望の返事が来てるな。3回目の契約更新だし先方と単価の交渉しなきゃなぁ……。佐藤さんからはキャリア相談の希望か、来週のどこかで面談の調整するとして……ん、この企業担当者変わるのか。挨拶のアポ取らないと」



 取引先企業や派遣スタッフに向けた返信用のメールを作成し、営業時間内に送信するよう送信予約の時刻をセットする。

 メールチェックが終わると今度は日中の営業活動で獲得した案件を社内システムへの登録作業だ。業務内容に必要スキルに勤務地に勤務時間に時給に――企業からヒアリングした内容を細かく正確に入力する。ここで入力した情報を元に社内のコーディネーターが、案件にマッチする登録者を探して仕事紹介の荷電をしたり、求人広告を作成してくれる。



「……ふぅ」



 入力完了。これでは一旦終わりだ。……だけど俺にはまだやらなきゃいけない仕事が残っている。

 今度は社内用に振り分けられているメールや社内専用のチャットツールを確認していく。



「鈴木の日報は相変わらずスケジュールを羅列しただけで中身がないなぁ……そろそろ書き方を注意するか……。木下は営業活動で注力すべき企業の選定に悩んでいる、か。アドバイスすることは簡単だが……いや、すぐに口出ししては本人の為にならないな。あと1日だけ様子見よう」



 部下から提出された日次報告書に目を通しながら、今後の活動について思案する。

 俺の立場はマネージャー。いわゆる課長のポジションだ。なので課として業績を伸ばすことを会社から求められており、その為に部下のマネジメントをしたり等、課内をまとめていかなければならない。

 そして業績を上げるためには少しでも多くの活動リソースが必要。そのために昇進前から営業として活動していた俺はマネージャーに昇進した後も営業としての業務を続けており、いわゆるプレイングマネージャーになってしまっている。



「……中間管理職ってホントにしんどい」



 企業と派遣スタッフの間に挟まれている上に、社内では上司と部下に挟まれる。1日の中でありがたい叱責やご指摘を受けたりしたり、謝罪したりされたり、発破をかけたりかけられたりといったことが代わる代わる訪れる環境。業務量的にも精神的にも疲弊してしまう毎日。

 そして何よりキツイのが責任の重さだ。うちは俺のような中間管理職にも結構な裁量があるせいで、俺の立てたビジネスプランで課の予算が決まり、俺の指示や方針を基に部下たちが動く……。どの行動が正解かもわからないのに突き進まなければならないのは中々にメンタルにくる。

 昇進の話がきた時に二つ返事で拝命してしまったが、今となってはもう後悔しかない。どこかでなんとかしなければ限界が来るのも時間の問題だ。

 


「っと。もうこんな時間か……怠いけど残りもやらないとなぁ」



 ふとPCの時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。まだ片付けておきたい作業が残っているので気乗りしないながらも再度取り掛かろうとしたところで――。



 ピロン。



 私用スマホから通知音が聞こえてきた。

 スマホを手に取り、通知の内容を確認する。



「お、今日はいつもより開始早いな」



 沈み気味だった気持ちが少しだけ前向きになる。

 そのまま通知欄をタップして目的の配信サイトを開く。



『夜分遅くに失礼しますー。聞こえてますかー? 見えてますかー? 元気ですかー?』



 スマホのスピーカーから、囁くような透明性のある声が聞こえてくる。

 画面にはロングヘアの黒髪女性のイラストがゆらゆら揺れたり笑顔になったり表情を変えたりしているのが映っている。俗に言うVtuberという奴だ。

 視聴者が打てるチャット欄には『聞こえてるー』『元気!』『風邪で寝てたけど今起きた』などのコメントが流れていく。



『はーいありがとうこんばんはー。”夜会月見”です。今日も夜会にご参加ありがとうございます』



 Vtuberの夜会月見さん。

 今のような深夜帯に”夜会”と称した雑談をメインに活動している配信者で、深夜という時間帯にぴったりな小さくて落ち着いた声が個人的に気に入っている。今見ている90人の視聴者や、チャンネル登録をしている5000人もきっと俺と似たような理由で夜会さんに惹かれているのだと思う。



『それでは今日もお付き合いよろしくです。最初のお話は――』



 話に入ったところで俺は画面をつけたままスマホを机に置き、仕事に戻る。

 可愛いイラストが動くという性質上しっかり画面を見たほうがいいとは思うのだが、仕事もあるし何より俺は夜会さんの声を好ましく思っているので、こうしてラジオ感覚で聞けるだけで十分だ。

 深夜の静まり返った中で仕事をしているといつもは鬱々とした気分になってしまうのだが、夜会さんの声が流れてくるだけでそんな気分は吹き飛んでいく。


 そうして配信開始から30分ぐらいが経過した。

 夜会さんはトークテーマを自分で用意するよりは、視聴者のコメントを拾っていくことの方が多いようで、今日も雑多に話をしていた。

 そんな中で。



『転職考えてるって方多いんですねー。やっぱり辛いと感じるお仕事をずっと続けるのって難しいですもんね』



 他人事とは思えない、親近感を覚える内容が聞こえてきた。

 思わず画面を見ると夜会さんが目を閉じたまま”うんうん”と頷いている横で『同感』『わかるマン』『だから働かないのが最強』『逃げたい』といったような視聴者達のコメントが表示されている。思わず俺も入力してしまいそうになるぐらいに疲れ果てている者たちのコメントが胸を打つ。



『私のところもこの間マネージャーちゃんが急に辞めちゃって色々と大変なんです』



 ん、これって企業の内部情報なのでは……?

 確か夜会さんは企業に所属しているVtuberの筈なので、情報漏洩に繋がる発言なのではないかとハラハラ見守っていたが――。



『そのことで代表のKさんがSNSで荒れてたよね』

『急に辞められると困るよなぁ』

『それがあるから今日の配信ないと思ってた』



 どうやら視聴者にとっては既知のことらしく、そんなコメントが流れていた。夜会さんの配信をたまに見るだけの俺とは違い、他の人はSNS等でも情報を追っかけているようだ。

 にしても急な退職か……あれは本当に大変だ。特にうちの業界なんかは――って駄目だ駄目だ。過去にあったことを思い返すだけでも気分が落ちる。

 ちょっと今のトークテーマは俺には重すぎるな。癒やされるつもりが逆になりそうだし今日の視聴はここまでにしとくか。

 そう思って画面を閉じようとした時だった。



『だからマネージャーさん絶賛募集中なんですよ』



 その言葉に、つい手を止めてしまった。

 ここでいうマネージャーは今の俺のような課長的な意味ではなく、業務的な意味でのことを指しているというのはさすがに理解している。

 けれども”転職”という単語が魅力的に思えるぐらいに疲弊していたらしく、気付けば視聴に集中してしまっており――。

 


『もしみんなの中で私とお仕事頑張りたいって人がいたら応募して欲しいな』



 好ましく思っている配信者のその言葉がトドメとなり、企業ホームページへのアクセスのため、自分のPCを起動するのだった。

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