第14話 「営業四課」

 重厚で巨大な扉。


 威圧するような、鉄製の扉の前に、木下はいた。

 その両脇は警備員の制服を着た二人の男に固められていた。


 十数分前。


 白い建物の中では、白衣を着た男が木下を待ちかまえていた。

 横山と名乗った男は不自然なくらいやさしげな笑顔をうかべて、いくつかの質問を木下に投げる。適当に返事をしながら木下は、建物を見たときから感じている「嫌な感じ」の正体について考えていた。


 そうか、病院…か。


 どうやらこの建物は古い病院らしかった。

 横山の白衣もそれを示している。

 しかし、なぜ自分がこんな山奥の病院にいるのか、木下には皆目見当もつかなかった。


「じゃあお願いします」

 横山が言った。


 すると、いつからそこにいたのか警備員らしき格好の二人組がドアの脇から歩み寄り、木下の両脇を抱えるようにして立たせた。そうして木下は、なに一つ状況をつかめぬまま、部屋から連れ出されたのだった。


 ***


「ここが今日から、お前の職場だよ」

 木下の右側に立つ、背の高い方の男が嬉しそうに言った。


「よせよ、デカ」

 左側の、ネズミみたいな顔をした男がしかめっ面で短くつぶやく。

 デカと呼ばれた大男は、不満そうに肩をすくめて見せた。


 職場? なんだ? 何を言ってる? この扉の向こうに何があるってんだ?


 木下はひどく混乱していた。目の前にそびえる扉のただならぬ雰囲気に圧倒され、正常な判断力を失っていたところへ、この会話だ。


 だいたい、なんでこの扉には、鉄格子がはまってるんだよ。


 扉の上部は、長方形に窓が切り取られていた。しかしその窓には、三十センチ程の間隔で太い鉄格子がはまっているのだ。扉の放つ異様な雰囲気は、これに起因している。


「じゃ、開けるぜ」

 ネズミのその言葉で、木下の思考は中断された。


 ゴゴゴゴゴ…。


 鈍い音を響かせ、扉が右に滑っていく。それにつれ、強く白い光が木下を照らす。

 そして次の瞬間、眼前に広がる光景に、木下は唖然とした。


 ***


 一面、白にぬられた長大な部屋。壁に窓はなく、天井で煌々と照る白色電灯だけが、部屋の様子を知らせてくれる。

 部屋の中に浮かびあがるのは、いくつかの事務用デスクと、十数人のスーツ姿の男たち。一見すると当り前のオフィスの光景だが、明らかにおかしなことがいくつもあった。

 木下の目の前でデスクに向かう男の手には、ペンではなく赤いクレヨンが握られている。白髪のその男は、画用紙に向かって一心不乱に何かの模様を描いている。


「ギャッ」

 突然の悲鳴に、目を奪われる。その声の主は、二人の中年男だった。二人は子供じみた嬌声をあげながら、追いかけっこをしていた。

 床に寝転がったまま、何かをブツブツとつぶやく奴もいる。

 グルグルグルグルと同じ場所を、何度もまわり続ける奴もいる。


 く、狂ってる!


 木下の体は背筋を駆け上がってくる悪寒に震えた。

 異常だらけの真っ白な世界を、木下の視線がさまよう。なんとか狂気から逃れる糸口を探して。

 その目が、木下に向かってゆっくり歩いてくる男の姿を捉えた。木下より10歳ほど年上であろうか、男の目に狂気は感じられなかった。男は右手を上げ、親しげな様子で話しかけてきた。


「きみは新入りだね」


 落ち着いた口調だ。

 木下は微かな望みを見つけたことに、少しホッとしていた。徐々に混乱が収まってくる。そして頭が回り出すと、今度は疑問が次から次にわいてくる。


「あ、あんた! マトモなんだな!? ど、どうなってんだコレは! コイツらなんなんだよ!」

 木下は男に掴みかからんばかりの勢いで疑問をぶつけた。


 しかし。


 男はその言葉を無視し、木下の横を素通りすると、赤いクレヨンの男にこう言った。


「きみは、新入りだね」

 コ、コイツも!


 ゴゴゴゴ…。


 背後で、忌まわしい音が響く。

 振り返るのと、あの扉が閉まるのは同時だった。


「お、おい! 待ってくれ! ちょっと! おい!」


 木下は弾かれたように走り、扉に取りついた。だが木下が何をしようが、重厚な扉はビクともしない。

 今さらながら、この扉がこんなに重く作られている理由を、木下は悟っていた。


「待てって! 何かの間違いだ! 俺は、俺は狂ってない! 全部演技だったんだ! 俺は狂ってない! 狂ってない!」


 ありったけの力で扉を叩き、ありったけの声で叫ぶ。しかしその声はぶ厚い扉にはね返され、白い壁をむなしく震わせるだけだ。

 もはや木下に残された道は、この白い狂気の世界で、自らを狂わせていくこと、ただそれだけだった。


 ***


「しかしアレだなあ、狂ったやつってのはどうしてああ同じことを言うのかな」

 警棒をぐるぐると回しながら、デカが言った。


「俺は狂ってない、ってな」

 ひと仕事終えた開放感からか、堅物のネズミの口調も軽くなる。


「ま、俺たちには関係ない話だけどな」

 デカの言葉に頷きあうと、二人はお互いの持ち場へと戻っていった。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

営業四課 樋田矢はにわ @toitaya_828

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ