番外編1 イフ:魔法少女が着替えたら・後編

「サラちゃん!? 息してサラちゃんっ!」

「じ、じんこーこきゅーをハヤク……」

「しなくていーぞ?」

「ズバリ、意識の問題よ」


 ペトラのえりを持って寝ているサラから引きはがすバインを指さし、エレンは言い放った。「意識ぃ?」とバインも水を向ける。


「魔法少女の姿は、わたしたちの無意識の願いや理想を反映している、と聞いたでしょ? 体格だけでなく、コスチュームも、杖なんかの持ち物だってそうのはず。おそらくその原理は、変身前から持っているものにも適用されるの」

「適用って……つまり?」

「バイン。あなたは変身してもスマホが消えない。つまり、あなたは魔法少女の姿でもスマホは持っていたいと思っているの。深層意識でね」

「バイン師ショーは、スマホないと死ぬ人ッスか?」

「否定できねぇけど、鼻血拭いてからしゃべろうな?」


 バインにいさめられたサラにペトラがかいがいしくティッシュを渡す。ちなみにティッシュはペトラのドレスの中から出た。エレンはつづけた。


「逆に消えるもの。衣服は当然、〝理想的な魔法少女の衣装〟とかけ離れてるのだから残るはずがない。自分で自分にふさわしいと思っていないもの、あるいはなくてもいいとか、持っていて当然とまで思っていないものなんかは、元の体といっしょに次元のはざまに格納されるの」

「つまりサラは誰のカバンも持ちたくねえと」

「しょんなはずないッシュ!」


 少し意地の悪い笑みを浮かべたバインが言うと、鼻にティッシュを詰めたサラがまじめに怒った声をあげる。「持ちたいのかよ……」とバインが引き気味にぼやく隣りで、エレンが「深層意識だもの」と冷静にフォローした。


「サラの場合は自分のも消えるし、最悪ハダカ一貫いっかんでもやっていけるっていう自信から、とかじゃないかしら?」

「あぁ、なるほどな」

「で、ワタシはワタシのカバン以外本当に興味がない」

「おまえはそういうやつだな」

「そして、自分の持ち物はなくてもいいと思ってる陽和の車椅子……」

「あー……」


 バインはうめきにも似た声をもらして、そばに置かれたままになっている車椅子と、そこから離れてなぜかサラの鼻に手ずからティッシュを詰めてやっているウロコドレスの小さな女の子とを見比べた。


 ペトラに変身しているあいだ、瑞楢陽和は自分の足で立って歩くことができる。魔法少女に変身すれば、車椅子は必要ない。

 それでも変身時に触れている車椅子が消えないということは、陽和の深層意識が車椅子を、にしているということだ。それは同時に、車椅子が不要な存在になれると心の底から信じていない、ということにもなるのだろう。たとえ、魔法があっても――バインは「なるほどな」とつぶやきかけたのを、うまく声に出せずに飲みこんでいた。


「……ま、いまだけだもんな、魔法少女」

「らいじょーぶッシュ!」

 バインは小声だったが、聞き届けたようにサラが声をあげた。鼻声で、しかし力強く、決意の詰まった目を光らせて立ちあがる。

ふるまいしゅくるまいすがなくなっへも、あーひあーしらがいるッシュ! いまはひょうほもえなくへもそうおもえなくてもいちゅかほもわへてみへるッシュいつかおもわせてみせるッス!」

「やり直し」

「ふんす! あーしは陽和ちゃんセンパイの車椅子にならなれるって話ッス!」

「サラらしいわね」

「たぶんそんな話じゃなかったけどな」

「サラちゃんっ! 鼻血まだ出てるよ!?」


 鼻息で飛ばしたティッシュの詰まっていた場所から新たに赤いものを垂らしながらもサラは堂々と立ち尽くしていた。そばではティッシュのかたまりを両手に持ったペトラが必死に飛びはねている。

 ただ、『ペトラ』は確かにいま、できる自分に疑いを持ってもいなかった。バインはそれを見て取って、ま、どんな話でもいいか、とぼやく代わりにあんのため息をついた。


「ところで……」と、不意にまたエレンが口火を切る。


「〝師ショー〟は実験しないの?」

「……は?」


 名指しされたバインは、一旦は本気で理解できない様子で首をかしげた――が、急に顔を引きつらせると、「い、いや、オレは別に……」と言って顔をそむけ、「だ……だいたい、もう解決したじゃねえか。なんでわざわざ――……なんだよその顔?」


 チラリとほんの一瞬のつもりで視線を戻したバインの目が、見すごしがたい笑みを浮かべたエレンにくぎづけとなる。目が合ったエレンはますます笑みを深めると、顔を動かさないまま「サーラー?」と視界の外へ呼びかけた。


「カバン貸してくれる? ちゃんに」

「だっ!? ぅおいッ!」

「喜んでッスゥー!」


 呼ばれたサラは一も二もなく自分のカバンを頭に乗せて飛んできた。バインともネコとリスほど違う身長差でそんなところに掲げては届くはずもなかったが、小動物のようにひるんだバインの口からはツッコミひとつ出なかった。


「ウフフ……ねぇ、サラ? 愛唯奈ちゃんに会うのは何度目なの?」

「まだ二回目ッス~!」

「あらあら? じゃあ知らないも同然なのね。あんな愛唯奈ちゃんも、こんな愛唯奈ちゃんも」

「ふ、普通だよ……興味ねえだろっ、特に」

「サラぁ?」

「なんでも知りたいッス! 愛唯奈ちゃんセンパイのことなら!」

「なんんン……!?」


 ほんのり赤い程度だったバインの顔がみるみるうちに赤だけに染まる。


 サラは期待以外のなにものもそこにないかのように澄み切った輝く瞳でバインを見ていた。ひとかけらの悪意も感じさせないライトグリーンのまなざし。視界の端でとらえても、とらえてしまうのを恐れて目をそらしつづけていても、バインの脳裏にはありありと思い浮かんでしまう。

 当然だろう。なにしろ焼きついているのだから。


「が……っかり、する、かも――」

「しないッス!」

「っ……!?」


 ようやくひとこと、どうにか押し出したなけなしの抵抗を、熱いきらめきは飲みこんだ。

 まるで手を取るように。けれど、強くは引かないように。


「初めても遠くから目が合っただけで、師ショーはすぐ変身しちゃったッス。それでも愛唯奈ちゃんセンパイ、バイン師ショーと同じくらいとってもオシャレさんに見えたッス! センパイは絶対センスいいしカワイイッス!」

「か、かわ……」

「ペトラ?」

「へ? う、うん。愛唯奈ちゃんはセンスいいよ?」

「……!?」


 あえてペトラに水を向けて言質げんちを取ったエレンがいよいよもって勝ちほこった顔をバインに見せつける。それを見てバインはむしろいくらか正気に戻れたが、「くっ…………覚えてろよ?」と、結局小声で息まいただけ。直後に意を決した様子で、サラに向き直った。


「じゅ……じゃあ………………………………ぐろぉリィ、オーバー」


 ぼそぼそと唱える。と同時に、バインは目を閉じた。


 二秒数える。次に目をあけたとき、そこそこ近づいた高さに濃い緑の目がある。


 その瞳に浮かぶ表情もまだ確かめきらないうちに、古田愛唯奈は視線を落とし、長くなったミルクティーカラーの自分の髪をなでた。ほんのりパステルブルーなセーラー服のそでをつかみ、肩を寄せるつもりで小首をかしげれば、ツーサイドアップにするためつけているイチゴの髪飾りが耳の上で揺れる。


 気おくれしつつも「どう……かな?」と思わずたずねてしまって、しかし返事が来ないことに十秒と持たずしびれを切らした。おそるおそる視線をあげる――と、あのきれいな緑色の目からぼうの涙を流し、頬をビショビショにして震えている自分より背の高い中学生がそこにいた。


「えぇ!? 泣いッ!? なんっ、え「ぬぅぉぉおおおおおおおおおおおおおやっぱカワイイッスうううううううううううーッッ!」ぎょわああああああああああああーッ!?」


 カバンをほうり出したサラは目にもとまらぬ速さで愛唯奈に突撃した。ラグビー選手のごとく下半身に組みつきそのまま真上に持ちあげる。


 古田愛唯奈十六歳、身長百五十五。高くもないが低くもない。

 バインのときならたわむれにあっても、愛唯奈のときに足が床につかなくなる事態などいくつのとき以来か。


「わぁーッ!? わぁぁぁーッ!!  待て待て待て待て待て!!」

「アアアアアアホントにオシャレさんッスぅぅぅぅー! ムチムチでスタイルもいいッスぅぅぅぅッッ!」

「待てってステイ! ストップ! スカートあがるッ!! おしり見えるって!!」


「わー、サラちゃん力持ちねー」

「あれわたしいつもされる……」

「習性なのねー」


 部員用のソファーに並んで腰かけたエレンとペトラがとうにめくれあがっている同級生のスカートの中を見あげてささやき合う。教卓の上では電気ケトルがぽこぽこと湯を沸騰ふっとうさせはじめていた。


「ズルいッス! 愛唯奈師ショーっ!」


 ようやく愛唯奈をおろすなり、涙と鼻水でべちょべちょになった顔でサラは食ってかかった。腰はまだつかんだままだ。愛唯奈は体を離しもよじりもできないまま、「こ、こっちでも師匠!?」と先にどうでもいいことで驚いてしまう。


「いや、ってか、ズルってなにが……」

「お化粧けしょう完璧プロッス! お肌もすべすべのプリプリで、知ってる匂いがしないッスよ! せめてなに使ってるか教えてくれるまでっ、絶対放さないッスからああ!!」


 愛唯奈はキーンと耳鳴りがしたような気がして放心した。それはサラが至近距離で力いっぱい声を張ったせいでもあったが、愛唯奈は自分の目の奥のような場所がぼやぁーっと明るくなっていくのも同時に感じ取っていた。


 指先の感覚まで吹き飛ぶようなその光の波が通りすぎて、徐々に元の感覚が戻ってきたタイミングで、愛唯奈はカクンとこうべを垂れる。その首すじからはうっすらと湯気が立っていたが、冷めきるのを待つこともなく、


「じゃぁ……………………今日、いっしょに帰る……?」


 と、しおらしくたずねた。


「喜んでッス~」


 にっこりほほ笑んで、サラは今度は愛唯奈の両手を捕まえ、小さな子ども同士がそうするようにブラブラと揺らしはじめた。うつむいたままだが、愛唯奈もされるがままでいる。


 終わる前に日が暮れそうなふたりの世界を眺めながら、エレンはソファの上でれたての紅茶をすすった。「フム……」海外サイトで見つけたちょっとゲル状になる紫のお茶は、子どもっぽい味だが見た目ほどのインパクトはない。


「サラのカバンが消えるか消えないか、確かめてみたかったのだけど、まぁ、今日はあれで許してあげましょうか。どのみちあの様子なら……」

「……?」


 隣りでごく一般的なしょうゆせんべいの袋をあけようとしていたペトラが、手を止めて不思議そうな顔でエレンを見る。エレンがその視線に気づくより少し早く、ペトラはもう一度、照れ屋な同級生とにぎやかな中学生のほうをながめると、


「梨世ちゃんのも、消えないんじゃないかな?」


 いつも伏しがちでいるエレンのあいと黄色の目が、めずらしくパッチリと大きくひらいた。しばらく無言でカップの中身を見つめていたが、やがて視線を隣りのウロコドレスに動かし、


「……そう思う?」

「う、うん……」


 たずねれば、ペトラはいまさら自信をなくしたように歯切れ悪くうなずく。


 けれど、それはペトラのくせのようなもので、つまるところ、わかっているエレンはうがってとらえることなく「そう」と相づちを打った。それから、正直リピートはないわねと思いつつ飲んでいた粘性ねんせいのある紅茶をまたひと口すすり、口を離したところで「けぷ」と胃に溜まったガスを軽く吐き出してしまった、そのあとに、


「……じゃ、結果オーライね」


 と、すました面持ちでつぶやいた。




番外編1「イフ:魔法少女が着替えたら」こんな未来もあったかも

- END

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