🌟43 魔法少女は夢を見ない

「シグレちゃんッ!」


 セイランの声。


 我に返ったとき、シグレはすでに水でできた檻の中だった。

 その一瞬の間のあと、檻はみずからつぶれるようにして、シグレとセイランを押し流す。


 意思を持つ濁流はシグレの体を殴り、切り刻み、すりつぶそうとめちゃめちゃに暴れまわった。シグレはもがくこともままならず流れのまま振り回される。

 飛びかける意識の隙を突いて、水は口の中にももぐり込もうとしていた。すべてを奪われる予感の下にシグレが沈みかけたそのとき、なにもかも手放したはずの自分の手をつかむ手があった。


 そしてシグレは、景色を見た。


 笹やぶと林に囲まれた、どこかの草はらだ。

 向こうにまたぎ越えられるほどの小川が流れていて、ほとりには古びた木の家がある。


 風わたる真昼の草はらに、シグレはひとりでいた。ひとりでいたそのときのことを、シグレは思いだしていた。


 はじまりの日。初めて空を見たときの、意味のない記憶。


「……わからないんだ」

「なにがッスか?」


 風と葉ずれの音にまぎれて、呼び交わすように声がする。

 とても遠くに。とても近くに。


「ボクが、なにをすればいいのか……本当は、なにをするべきなのか……」


 空を見る。

 千度、この空を彩る季節がめぐるのを見た。千度ながめても、この空の色だけは変わらなかった。


「作りだされたとき、ボクにはなにもわからなかった。ボクが誰なのかも、なぜここにいるのかも。自分には役目があるということだけを知っていた。だから、それがボクの作られた理由だと思いこむことにしたんだ」


 生みだされてからは、役目だけに従って過ごした。

 なにも感じたことはない。役目を果たすため、たくさんの少女たちと言葉を交わした。彼女たちのささやかな願いにも、途方もない憂鬱にも触れてきた。けれど、いつまでも内側には自分の役目だけがあった。


「その役目が、いまはもうない。この体で目覚めたとき、すでにボクの中から消えてしまっていたんだ。いまのボクはからっぽだ。なのに、内側からたくさんのものがあふれてくる。あふれて、ボクをどこかへ行かせようとする。言葉にすらならないものばかりなのに……」


 不安を感じたことさえなかった。この営みがいつまで続くのだろうと、自問もしたことはなかった。終わりが来るのを待っていたような感傷もない。


 けれど、終わりの先があることを知ったいま、生まれて初めての戸惑いの中にいる。なにも見はるかせない、途方もない憂鬱の中に。


「ねえ。ボクはどうすればいい? なんのためにここにいる? なにをすることが正しいんだい?」

「知らないッス!」


 声は、すぐ近くでした。

 背中のすぐうしろに、並び立つ体温を感じる。視界の端でそよぐ髪は、金のときもあれば、ピンクのときもあり。


「シグレちゃんが知ってるッスよ、ちゃーんと」

「知ってる……? ボクが……?」


 にべもなく突きはなしたかと思えば、おだやかに耳打ちする。問いかえせば、可憐にうなずく気配。


「《魔女》サマがシグレちゃんを目覚めさせたのは、シグレちゃんが望んだからッス。シグレちゃんには、やりたいことがちゃんとあるッス!」

「やりたい、こと……」


 風が鳴りわたる。日が中点を過ぎ、影が伸びていく。

 背中合わせのふたつの影。川面かわもに映り、銀色に光る。


「やりたいようにやっていいんス。それでも不安なら、やらない理由を自分に訊くッス」


 はずむポニーテール。ゆれるツインテール。


 彼女はいつものように。そう、いつかのように。


「間違うことだってあるッス。けど、自分のことを怖がらなくてもだいじょうぶ。シグレちゃんはひとりじゃない。あーしも見てるッス、ずーっと」


 髪が流れ、振り返る気配。


 誘われたように自分も振り向く。

 そこにいた、自分と同じ背格好の、金色の髪をふたつ結びにした小さな女の子と両手をつなぐ。


「かーごーめ、かーごーめ!」


 彼女がうたう。なつかしい唄。


「かー……ごの、なーかの……とーりー、は……」


 記憶をたどって、たどたどしく唄いかえす。

 きっと自分の記憶じゃない。そんな確信もどこかにあって。


 けれど、あの子はとてもうれしそうに、緑の目を細めてニッと笑った。




    * * *




 巨大化したすいかいが光りはじめる。

 夜空の月の下、まるで太陽のような輝きを放つ。


 飲みこまれた魔法少女たちに呼びかけ飛びまわっていた浪戸ロウドやマガツヒたちも、しばしその光に呆然とした。水塊が内から押しあげられるように膨張しはじめたときも、誰もそれが新たな害意であるとは疑わなかった。


 やがて膨張に耐えきれず、水塊がはじけ飛ぶ。

 中から現れたのは、輝く球体だ。ガラスのように透きとおり、夜を押しかえすように黄色く輝く。


 セイランは、その光のカプセルを内側からながめて目を覚ました。自分を抱きかかえる細い腕の中から、出逢ったばかりの美しく愛らしい顔を見る。


「シ、グレちゃん……?」名前を呼ぶとともに覚醒しはじめた意識の中、白かったはずの魔法少女が、カプセルと同じ光をまとっていることに気づく。「この魔法……この色って……!?」


 光の剣が、シグレを囲んで旋回せんかいしていた。やはり燦然さんぜんと黄色い光を放ち、外殻の球面をとめどなく塗り足すように。


 いつかどこかに、その〝色〟の魔法少女はいた。さわやかで繊細だった彼女と同じ輝きを身にまとい、魔法少女シグレは強く叫んだ。


「コード:バインッ!!」

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