🌟42 魔法少女は凍てつかない

 羽音にまぎれ、幼くもどこか老獪ろうかいげな声が届く。

 急降下してきた赤いレインコートのフードが上がると、緋色の目をした黒肌の幼女が顔を覗かせた。


「ロゥたん……」丸くふくらんだセイランの目が、レインコートの裾から覗く膝小僧と黄色いレインブーツをたどって、その乗り物にも向く。ギザギザした巨大なアゴと、三つまたの長い尾を持つ羽音の主。


「ミツオクワガタギガトンボリウス!?」

「みつ? くゎ……なんじゃと?」

「無事だったんスね!」

「こちらの台詞じゃ」困惑のハの字にひらきかけていた薄い眉がキッと吊りあがる。「ソトツともども消え失せおって。退かせた手勢も総出で探しまわったわ。『家の精ドモヴィーク』たるこの浪戸ロウドが〝家〟の者を見失うなど、なんたる屈辱か」


 レインコートの長い袖を絡めるように腕を組み、浪戸は深々とため息をついた。セイランは少し得意そうにニマニマしながらウインクを送る。


「妹キャラは手がかかるほどカワイイッスよねっ?」

「手のかからぬ妹すべてに謝れ。だいたい、その姿はなんじゃ、ソトツ仔」


 急に水を向けられ、セイランの斜めうしろに呆然と浮かんでいたシグレはまたキョトンとした。対して苦りきったいろの瞳には、白い魔法少女しか映っていない。


「ボクがわかるのかい?」

「ふんっ。《信仰》の匂いがおんなじど。姿かたちは問題でない。じゃーどけれども、いまさら身なりを変えて人にざろうなどとは、いささかいやしくはないかのぅ?」

「あっ。ロゥたんいじくそッス。そんなお姉ちゃんにシグレちゃんはあげないッスよ?」

「なーにが『時雨しぐれ』じゃ。〝家〟の中まで水びたしにされてたまるものかッ」


 浪戸が腕を広げ、黒い手のひらを袖から出す。それを合図に有翼の異形たちが地上から一斉に飛びあがってきた。牛頭のコウモリやへびのフクロウたちが、一様に興奮した様子で浪戸のうしろに並び、魔法少女たちと対峙する。燃えるブーツに体重を預けたまま、セイランも光の剣を握り直す。


「――この事態は、みどもが招いた」


 しかし、浪戸は腕をあげたまま、冷厳れいげんと告げた。


「駄目押しにふたり消す必要などなかった……かけておいた保険を解かずにおいた、みどもの不精ぶしょうじゃ。なにより元はと言えば、令勢りょうぜいやほかのトチガミらが《魔女》を放置しておる中で令法野りょうぶのへ攻め入ったのもみどもの抜け駆け。おのが大義に憑りつかれるあまり、土地ノモノも多く巻きこんだ」


 黒檀こくたんのような爪をそろえて手をひらく。その小さなさかずきに、黄色く明るい火球が宿る。


「落とし前じゃぎにゆえに、詰めはこの〝ねえや〟にまかされよ」


 火球がふくらみ、泡のように細かい火の玉が噴きあがる。

 その散らばった火の玉を手勢のマガツヒたちが拾いあげ、爪に穂先にと自前の得物にすりつけては飛び去った。ふたたび押し寄せていた灰色の肉槍たちを、燃えさかる武器が次々と焼き払っていく。


「おおお!? マガツヒ炎エンチャ強いッス!」

「シャラ・グードー! そなたも我が『送り火』でしばらく浮ける。じゃどもけれども元より有翼の者らのようには飛べぬ。前へ出ようなどと思――」

「ツインテロケットォォォッ!!」

「聞かぬか馬鹿者ォッッ!!」


 浪戸の稀有な金切り声を振り切って、ツインテールの先から爆炎を噴きだしながら《魔女の手》めがけセイランも飛んでいく。触手に左右から包囲されるもブーツの炎で器用にそうしながら光の剣でいなしていく。

 早くも魔炎を使いこなしていることに浪戸も唖然として眺めていたが、不意にしなる触手の一撃ではじき飛ばされたピンクを見て「あッ!?」と瞳孔どうこうをひらいた。


「サラ!」


 制御を失ってくるくる回りながら飛んでいくピンク色を白い影が受けとめる。ネコ耳をピクピク痙攣けいれんさせたセイランは「おぼぼ、ぎぼぢわりぃッズ……」と目をまわしてそぞろにうめく。


 シグレは追撃を警戒して周りを見張っていたが、不意に触手たちの動きが総じてにぶいことに気がついた。マガツヒたちが押しているのかと思えば、そちらも前線を進めかねているのを見て取る。


 《魔女の手》から伸びる触手の海の上に、別のモノがいた。


 長身の人影だった。漆黒のそうをまとい、長い髪を垂らした男が、マガツヒたちのほうを向いてたたずんでいる。シグレがシグだったときの記憶にある姿とは少し違い、前髪のすき間から青黒い二本のツノのようなものが突き出ている。

 だが、見かけ以上になにか様子がおかしかった。僧衣のそでの中に、触手たちの一部がもぐり込んでいるようにも見えた。


潘尼バンニ……」


 痛々しげにうめいたのは浪戸。「やはり、飲まれておったか。そなたほどの者が……」彼女は非情で残酷な魔物たちの将。それが力なく震え、うなだれている。そぐわない有り様はそぐわないがゆえにとらえどころのない迫力をまとっていたが、ほどなくして手のひらの炎は、苦心をくべたように激しく燃えあがった。


「みどものに付き合わせたからには、手ずから送ろう。懐かしきすろびやの地まで」


 えん奔流ほんりゅうを通すべく、マガツヒたちが道を開ける。

 だが、浪戸が腕を突きだす寸前、僧衣の鬼人を囲む触手たちが波うった。


 そして、輪郭りんかくが崩れだす。どろりと。


「ぬッ!?」


 浪戸が目をいて吠えた。「いかん! みな、下がれッ!」

 そのほんの半秒遅れて、熱暑の下のあめ細工のように溶けだしていた触手たちが、灰色の水塊となって空に大きく伸び広がった。


 前線にいたマガツヒたちが、悲鳴もあげずに飲みこまれる。

 かろうじて燃える武器を振るった者らも、あえなく炎ごともみつぶされていく。


 シグレのもとにも水流が伸びてきた。

 かわしきるにはあまりに広い水の壁を見て、突き破るほかないと即断する。前後不覚のセイランを「ぐえ」と鳴かれるまで抱きしめ、シグレは護衛の剣たちを水壁の一番薄そうな箇所に差し向けた。


 その敵意へ呼応するように、狙いの位置がざわと揺れる。


 起きた波紋は次第にゆがみ、なにかの模様をなし始めていた。かまわず突撃を始めたシグレの鼻先で、模様は人間の顔になる。


 ふちの太い眼鏡をかけた、髪の短い少女だ。

 あえぐように口を大きく広げ、涙を流して泣きさけぶ姿。


 シグレは目を奪われた。


八木やぎ…………?」

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