◇39 魔女の隕九◆螟「

 不意に強い風が吹いた。

 追われたように離れていく気配を感じて、サラは風下を振りかえる。


 小川のそばで手を振る子供のところへ、父親らしき若い男が駆けていく。男の手は、髪も肌も白い、とても美しい女の手を引いている。

 目ざとくそれを見つけた子供がなにかを言い、すると男が照れたように首をかいて笑う。子供も笑いかえし、女だけが世界が止まったような冷たい顔をしてそれを見ている。ただ、男とつないだ手はいつまでも離さない。


「どうして、見てるだけなんスか?」


 サラは風上に向き直る。夕陽を背に、あの女と同じ姿をした女が立っている。そちらの顔は、世界にひとりだけ取り残されたように、切なく苦しそうだった。


「ここが《魔女》サマの記憶の中なら、どうしてあっちにいないんスか?」


 サラはもう一度たずねた。うながすように。

 女はしかし目を伏せ、ゆるゆると首を横に振った。


 ふと、景色が流れだしていることにサラは気がついた。ハッとして振り向けば、川辺ではしゃぎ合う者たちの姿が急速に離れていく。と同時に、大きく広がった野原と家のそばに、同じ女の子と、男性と、白い女の組み合わせがいくつも現れた。


 現れた者たちは一様に、時が止まったように固まっている。女の子と女のふたりだけの組もあれば、男性と女だけのこともある。

 川辺を手をつないで歩き、縁側でくつろぎ、野原をかけまわる。楽しそうな姿ばかりだが、女の顔だけがどれも冷たい。


【 わ たし は   オマエ の  ように は  でき  なか った   】


 声がした。玲瓏れいろうで、奇妙にあいまいな。


 サラは目の前の、唯一ひとりでいる女を見た。女の口は動いておらず、声は頭のうしろで鳴ったようだったが、サラには女が話しかけてきたとなぜかわかった。


「……でも、みんな笑ってるッスよ?」


 サラはいま一度見まわすようにしてたずねた。


 止まっている女たちのほうは、やはりどれも冷たい顔をしている。しかし、そばに寄り添う男と娘は、必ず誰かが女と目を合わせ、あたたかく頬を目立たせている。

 サラの前にいる女もまた、止まった時の中に刻まれたその笑顔たちを、物憂げな瞳に映していた。


【  わた し には  その 意 味が   わから なかっ た  】


 不意に、記憶の虚像たちが動きはじめる。

 目まぐるしく、急加速し、動画の早回しのように時が流れていく。日没と日の出を目で追えないほどくり返したあと、不意に景色は、夜の家の中で止まった。


 月明かりの届かない、薄暗い屋根の下だ。窓は閉めきられ、囲炉裏いろりの火だけが赤くぼんやりと闇を押しかえしている。

 ばたに敷かれた草の寝床には、小さな体が横たわっていて、そのそばで男性が膝をつき、握ったこぶしを震わせながらうなだれていた。


「どうして……うちの子がッ……」


 女の子は、黒ずんだ顔でつらそうに目を閉じ、かすれた音のする細い呼吸をくり返している。白い女だけが、明かりの届きづらい部屋の隅に腰をおろし、親子をひっそりとながめている。


【 二体  は 調査対象  だった 】


 土間に立って親子を見ていたサラは、また声を聞いた。


【 わたし の 本体  召喚 前に  魔力以外の 資源  確 認 】

【初期地 点  にて 未知の エナ ジー を観測   二体 が 発信源 】

【 同種に擬態 し  接近  】

【 解 析は  難航し 長期化   】

【  わた しの 魔力 が  幼体 に  影 響   】


 むごたらしい光景に見ひらかれ、揺れていたサラの目が、こわばって細まる。


 浪戸ロウドらマガツヒが《星の信仰》と呼ぶ魔力――アストラル・エナジーは、惑星ごとに生まれる生物に、固有のものとして与えられる。他星や星に属さないエナジーは、適合しない生物にとっては毒素となる。

 滞在が長期化し、地球のエナジーに侵されていたのは《魔女》も同じだったはず。だが、ヒトとソトツヒでは耐性に差がありすぎたのだろう。


【 わ たし は  】《魔女》は続けた。声はずっと、サラの背後で響いていた。


【  調 査 継続を 決定   健康状態バイタル  まだ安定 の 見込み 】

【 観測 同条件  再現性を 希求   幼体 必要  】

【  よって 幼体 の 複 製 を  実行 した  】


 サラの目が、ふたたび見ひらかれる。

 同時に背後で、土間の扉が引きあけられる。


 月明かりを背に、冷たい顔の女が立っていた。

 女はその青白い手で、同じ肌の色の小さな手を握っていた。


 女の隣りに、小さな子供が立っている。女と同じ白い髪の、白い着物を着た女の子。

 目は青く、女同様にやはり冷たい顔をしていたが、その目鼻立ちは、炉端で寝ている女の子とそっくりだった。


 ――なんですか、その子……その子はッ……!?


 男の声を聞いた気がした。

 サラが振り向くと、引きつり青ざめきった顔の男が、動かなくなった娘の体をかき抱いて、女に向かって叫んでいた。


 ――この子に、なり替わるつもりか!


 ――寄るなッ、バケモノ! トチガミなどではない! バケモノッ、バケモノめッ!


 女は、歩み寄ろうとしただろうか。なにか言おうとしただろうか。

 サラがそれを知る前に、炉端の人影は消えうせる。火の落ちた囲炉裏のうえには、入り口から差しこむ朝日が伸びていた。


【  夜明け 前   成体  幼体の 遺骸 と  失踪  】


 草の寝床には、そこに誰かが寝ていた跡がある。荒れはてた家の中には、暮らしの跡も。


 サラは幼い面影を思いおこしながら、〝娘〟を連れた女に向き直った。


「後悔、してるんスか?」

【   わか  ら ない  】


 女は、また目を伏せて答えた。


【 未知のエナジー ごく微 量  観測容易 も 回収 不可 再生 不 可 】

【数 億 光 年 宇宙探査 記録に も 該当 なし】

【 宇宙 の 極低温環境 下 で  無意味  利 用価値 なし  】


 サラは口を閉じ、たどたどしい語りに耳を傾けていた。女が未知のエナジーと呼ぶものの正体も、すでになんとなく理解できている――追憶に切り取られた笑顔たち。


【 継 続理由 が ないと は わかっ て いた    理 由   理 由 理由   】

【 理 由  は    ただ】

【  あの ひ と にも   わらっ て  ほしか った   】


 サラは、目をおおわずに見ていた。

 女が、とても苦しそうに、悲しそうに、笑うのを見ていたから。

 涙が青白い頬を伝ってこぼれ落ちるのを、まばたきもせず最後まで見とどけた。

 波紋が水鏡を崩すように、不意に景色は闇に落ちた。


【 幼体 複 製  わたしの 魔力 の  大半を 消 費   よって 本体 召喚用ゲート 生成を 中断  】

【アストラル・ライン 属性 未編集  わた し と 複製個体 にも 影響 】


 サラは息を呑む。《魔女》と手をつないでいる、白い髪の女の子に目をやる。


 《魔女》は、ゲートをひらくつもりではあったのかもしれない。それは定められた機能しめいだ。だから、侵略を終えたあとでも〝娘〟が生きられるようにはしておいた。だが、試算を誤っていた。

 魔力を手足のようにあやつるはずの彼女が、その采配さいはいを狂わせた。

 あるいは、試算をしさえもしなかったか。


【 よって 休眠状態へ 移行   だ が 複製個体  思念 自由  に 】

【あの子 の  だい じな  いもう と   】

「……!?」


 サラは、がく然とした。

 頭の中で固い糸がつながるのを感じた。


 目の奥によぎったのは、黒髪のほうの女の子の、最後に見えた顔。


 女が〝娘〟を連れ、戸口に現れたとき、確かに彼女は振り向いた。サラは見た。


 光の失せていく瞳に、ふたりの姿を映しこみ、こと切れるまぎわ、確かにほほ笑んだ。それを見た。

 つながったのだ。で、にも。


「あーしも思いだしたッス……夏祭りッスね。迷子になって、女の子と遊んだんス」


 いつかの幼い日、深入りしすぎた山の中で、小川のそばの家を見た。

 そこで出会った着物姿の女の子と、サラは短い時間をともに過ごした。家には女の子の母親もいて、頭をなで、子守唄を唄ってくれた。


「ただの複製コピーじゃなかった……あの子とふたりで、妹の体を守ってたんスね」


 冷たい顔をした白い女の子のそばに、同じ顔で不安げにうつむく黒髪の女の子が現れる。

 死んだ彼女は思念だけとなり、《魔女》のそばにいつづけたのだろう。


 《魔女》も妹を守るため、娘たちとともに眠りについた。しかし、妹の思念には、切りはなした自分のえいをあてがった。地球の魔力で仮の体を作りなおし、そこに生まれ変わらせた。生まれただけで、なにも知らないまま眠りにつかせるのは、あまりに忍びないからと。


「約束したッスね」サラは〝姉〟のほうに声をかける。


「今度来たとき、いっしょに妹を探してって。さびしがりやのくせに、強がりで、不器用なまま、ずっとひとりで戦ってるからって」


 《魔女》に作られただけの存在に、地球の龍脈が《信仰まりょく》を供給することはない。間接的に魔力を得るために、人間の少女から分け与えてもらえるようにする『契約』が叡智に組みこまれた。契約に応じてくれた少女たちには、見返りに理想の容姿を得る魔法と、多重の安全策を与えるようにして。


「まかせるッス。だいじょうぶ。サラちゃんのハーレムに、限界はないッスよ?」


 栗色の瞳が、おそるおそるサラを見あげる。

 彼女はきっと、サラにがないことを気にしていたのだろう。だから呼んだのだ。救われる理由のない妹を、どうか助けてと願うために。


 だからサラは、冗談めかして笑った。手なれたウインクも気軽に添えて。


「それに、マスコットの相棒は、魔法少女って決まってるんス」


 サラは腕の中に、いつのまにか、白いおもちゃのぬいぐるみを抱えていた。

 まるまる太った羽根のない子供のドラゴン。生意気で、そっけなくて、マヨネーズが大好きな。


 その白い体を、白いほうの女の子に差しだす。くすんでいた青い目に光が差すのを見て、サラはもう一度ほほ笑んだ。


「だからきっと、今度は三人で、笹舟ささぶね流して遊ぼうッス」


 ぬいぐるみが輝き、青白い光が闇を晴らしていく。

 風が鳴らす葉擦れの音をかすかに聞いて、サラはそっと目を閉じた。






















 ――風だ。

 風の音がする。







 肌を切るような強い風に、サラはゆっくりと目を開けた。

 体にぶつかる空気の振動と、なびく髪の動きに、自分が落ちていると理解する。


 白い視界は煙の中のようだ。ほどなく晴れて月と夜空がやけに近くに見えたとき、自分が雲の中にいたことを知った。雲の高さからいま現在、真っ逆さまに落ちていることも。


「――って高すぎッスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」


 体をひねって見おろせば、眼下に街の灯が見える。現代の街だ。そして自分の真下には、異形をより集めて作られたような巨大な《手》も浮いている。時間はたっていない。


 サラは同時に、自分がアストラル★セイランの姿であることにも気がついた。ホットパンツにロングジャケット。なびく髪は長いピンクのツインテールだ。魔法少女なら地面に激突しても耐えられるだろうか。しかしさすがに高すぎる。


 パニックになって手足をジタバタと暴れさせるうち、不意にまた月を見た。そこで、目を動かせなくなった。


 明るく丸い月を背に、小さな人影が浮かんでいる。

 はためく白い服を着た、小さな白い女の子。

 肩口で切りそろえた銀の髪をなびかせ、静かに空に立っている。


 そばには囲むように、無数の剣が並んでいた。月に星に劣らず負けじと、白くまばゆい光を放ち。


 その、伏せていた白いまつ毛が持ちあがるのを、サラは魔法少女の視力で見てとった。眠たげなまぶたの奥に、月夜の小川のように青い瞳がともるのを。


 サラは、その名を知っていた。

 ずっと幼い頃からそうしてきたかのように、両手を伸ばし、声の限りに呼んでいた。




「――シグレちゃんッッッ!!」





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