◇38 鬲泌・ウ縺ョ鬚ィ譎ッ

 日暮れ時。

 女の子の父親にあたる若い男性が、山道を登り終えるなり立ちつくしていた。


「あ。おかえりなさいッス~」


 気がついたサラが振り返るなり笑いかける。しかしすぐにまた長いうしろ髪を向け、両手に持っていた笹の枝をなにやら難しい顔でながめ始めた。

 なにか言葉を返そうとした男性は、困惑顔でまた固まってしまう。やがてようやく、おそるおそるそばまで歩いてきて、白い背中に声をかけた。


「あの……なにをなさってるので?」

「んー、もうすぐ完成ッスー」

「おかえりー、ととさまー」


 サラの足もとからも声がする。目の前にうず高く積まれた笹の葉のかたまりには、よく見ると地面近くに穴があいていて、そこから小さなおかっぱ頭が覗いていた。中は空洞になっているらしい。


「か……笹のかまくら、ですか?」

「秘密基地ッスー」

「ひみつ? き……?」

「ととさまー、今日はここで寝ていーいー?」


 娘からもまた微妙な要望が来てしまって、男性は一度に対応しきれないと悟ったらしかった。隙間に笹を詰めこむのに夢中のサラをひとまず放置し、かがんで娘と目を合わせる。


「おまえ、ささぶねを流しっこして遊ぶと言ってたじゃないか。どうしてこんな大仰なことに……」

「かかさま、おふねへたっぴだもん。『ふんぎゃああ、むりっす~』って言って泣きだして、それでこっちになったの」

「さ、笹舟がへたっぴ……」


 男性は引きつった顔でサラを盗み見る。大げさではあるが作りも大味でどうにかなる笹かまくら作りに、いまは青いサラの目がらんらんと輝いていた。


「……まあ、楽しんでおられるなら、いいが」男性はひとまず苦笑しかけ、しかしまたすぐに顔を曇らせると、「それより」と小声になってまた娘に言った。


「まだ、かかさまと呼んでいるのかい? 呼んではいけないと、あれほど話しただろうに」

「でも、トチガミさまなんでしょー?」

「トチガミ様だからだよ。うちにいらしてくださっただけでもありがたいというのに……」

「でも、かかさまはトチガミさまでしょー?」

「それは、そう言ったが……」


 譲らない娘に、父親は困り果てる。もう何度目になるか知れないふたりのやり取りに、サラも笹壁の厚みに熱心なふりをしながら耳を傾けていた。


 女の子がサラを『かかさま』と呼ぶのは、サラが当事者ではありつつも親子の問題だった。ものごころつく前にいなくなった母親について、娘がさみしがるのを父親は『母親はトチガミ』ということにしてしのいできたのだ。

 トチガミなら会えないほうが当たり前だし、会えなくてもこの土地にいる限り見守ってもらえていると教えることができる。しかしそこへ現れたのがサラだ。


 当然のごとく、女の子はサラの出現を、トチガミの母親が訪ねてきたといまも信じこんでいる。トチガミであることのほうをサラが否定できないのだから余計に始末が悪かった。父親のほうはおそれ多いやらうしろめたいやらで常に泡を食っている状態で、度々娘をやや強引にさとそうとしては、バツが悪い押し問答に発展していた。サラも彼があまりに青ざめるので誤解を解きたかったが、かつてなく首をつっこみづらいこともあって、〝かかさま呼び〟が実際不愉快でないことを態度で示すよりほかになくなっていた。


「ねー、かかさまー?」

「あっ、こら」


 かまくらから這いだしてきた女の子が、立ちあがってサラのほうを向く。男性はまた慌てていたが、サラの前では深追いできずに口ごもった。


「かかさまは、かかさまじゃないトチガミさまなのー?」


 サラは目を丸くする。想定外に直線的かつ柔軟な問いだった。


 念のため男性の顔をうかがうと、目が合った瞬間気まずそうに首を振られる。やむを得ないといった風情だが、微妙に意図は伝わりづらい。ここで女の子に気を使ってまたはぐらかしてしまうよりは、いいかげん父親のおとぎ話を否定してしまうべきなのかもしれなかったが。


「トチガミのかかさまが、かかさまじゃなかったら……」サラが迷っているうち、女の子はもう一度口をひらいた。


「かかさまのトチガミさまは、消えちゃったのかなぁ……?」


 問う声は次第に、心もとなく細っていく。

 サラが見おろせば、女の子は目を伏せ、草履ぞうりのつま先で小石をつついて転がしていた。


 その姿を見て、なぜ胸が痛むのではなく、ざわついたのだろうか。

 サラは、不意になにかの確信を得た気がして、いったん口を引きむすんでから、心を決めた。


「どっちがいいッスか?」


 女の子が顔をあげる。素直にキョトンとした顔だ。サラは目を細め、口もとをゆるめた。


「かかさまはかかさまでも、あーしは悪ぅーいかかさまかも知れないッスよ? 笹舟もへたっぴだし、火おこしもできないし、草鞋わらじもいっこうに自分でむすべなくて、今日もととさまにやってもらったッス。こーんなかかさまでもいいって言っちゃったら、いいかかさまは呆れて二度と出てこなくなるッスね。そうなっちゃってもい――」


 言い終える前に、女の子が駆けよってきた。駆けよって、そのまま帯を締めたサラのおなかにぶつかっていく。短い腕で懸命にしがみついて、くるりと見あげた顔は、桃の実のように色づいた、ふにゃりとした笑顔。


「わるいかかさまがいー」


 サラの脳裏を火の玉が駆け抜けた。おなかにあたるポカポカした体温以上に顔がだり胸が苦しくなる。空へ向けた顔をくしゃくしゃにして動悸に耐えていると、握っていた笹の枝が手の中で折れた。


(ギャーッ! あかんッ、こりゃ帰れんッス! 朱鐘あがねセンパイ陽和ひよりちゃんセンパイごめんなさいッ! カワイイで世界は滅ぶッス!)


「かーかさまー。ととさまとかかさまがいっしょにいれば、も降ってくるよねー?」

「……ぬんっ?」


 歯を食いしばった薄気味悪い笑顔のまま、サラは固まった。

 夢見心地らしい女の子は、サラのおなかにぐりぐり顔を押しつけるのに没頭していて、反応には気がつかない。


「ととさまにねー、かかさまに会えなくてもいいから、いもうとをくださいのお願いを、かかさまにして、って言ったの。でもねー、ととさまは、かかさまのところにいもうとを取りに行けないから、かかさまが来ないとムリだーって。それで、かかさまがととさまのところに来たから、いもうとはいつかなぁ?」

「ひょへ? え、えぇ、とぅぉー…………」


 なにを訊かれているのか半分も理解しないまま、引きつった顔を起こして誰かを探す。誰かといっても女の子の父親しかいなかったが、自分に視線が向くことを恐れるように父親はかまくらの影で身をちぢめていた。それでも、唇をわななかせるサラを見てさすがにまずいと思ったのか、飛びだしてくるなりサラの前に膝をついて、持っていたものを両手で捧げた。


「お、お納めくださいッ!」


 大声で言った彼が手の中に置いていたのは、小さな笹舟だった。


「……え? あーしに?」


 ややあってサラが問い返すと、男性は何度も首を縦に振る。その勢いに押され、サラが言われるがまま笹舟を手に取ると、それを見ていた女の子が「あーっ」と不満げな声をあげた。


「かかさまだけずるーい。ととさまー?」

「おまえのぶんもあるともさ。ほら。とと様のもあるから、みなで流しっこしようっ」

「わぁー、流しっこー」


 笹舟を受け取った女の子が、目を輝かせながら小川のそばへ走っていく。興味を移させてことなきを得たと思ったのか、男性は胸に手を当てて深くため息をついた。


「面目次第もございませぬ……トチガミ様ともあろうお方に、そんな真似ばかりを……」

「や、やー、はは、は……こ、この笹舟、めちゃめちゃきれいッスねー。流しちゃうのがもったいないくらいなー……」

「もったいのうございます。わたくしなどには……」

「ほひ?」

「あ……」


 男性が口をひらいたまま固まってしまう。サラもなんとなく動けずにいると、男性は少しずつ顔をそむけて「いや、その……」とようやく声を出し、


「悪い、トチガミ様……ではない、と、わたくしは、思います……とても、素敵ですので」


 遠慮がちにそう話した横顔は、彼の娘とよく似た赤みの差し方をする。見ていたサラも数秒遅れて、極寒の日に飲むココアのような甘いしびれと胸のほてりに飲みこまれた。


(ほげあああああっ!? 大人の男の人が赤面してるのメガエモいッスぅーッ! こっちがほんとの罠だったッスかコンチクショぉぉぉッ!!)


 おののきつつもサラはもはや男性から目が離せない。かろうじて聞き取れた「ねーまだー? ととさまー、かかさまー!」という女の子の声を幸いに、目の焦点が合わないまま走りだそうとする。ふらつくように動いたその手を、しかし「あっ、あぶない!」と叫んだ男性につかまれた。


 実際転びかけていたサラが立ち直ると、男性は慌てて手を離す。しかし、言いわけを探すようにしばらく目を泳がせたかと思えば、もう一度同じ手を差しだして言った。


「その……沢のふちは、すべりますので……」


 その手を見て、サラはまた狂ったように胸を高鳴らせるはずだった。だが、そのときになってようやく、起こることをまるで他人事のように見ている自分に気がついた。


 淡くあたたかい新鮮な気持ちとともに去来するのは、なぜだか懐かしい気持ち。夕暮れに差しこむ風の涼やかさと、透きとおる鈴の音のように小さな寂寞せきばく


(あぁ……わかったッス)


 彼の手に指先を乗せる。それと同時に、サラは背中を振り返る。


 笹やぶのそば、夕陽を背に、白い髪と着物の女が立っている。凍えた夜の色の目が、見送るようにこちらを見ていた。


「これは、あなたの記憶ッスね、《魔女》サマ?」

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