◇37 鬲泌・ウ縺ョ譎る俣

 ――親子に拾われて、三日がたった。


 サラはひとりで木かげに腰をおろし、膝を抱えて空を見あげていた。青をバックに流れる雲を見るともなしに見送りながら、ひたすら目を細めている。


(アー、今日もいい天気ッスぅー……)


 風が吹けば草と土の匂いが濃く、ほかはなにもない。葉擦れの音と、沢の水音と、時折鳴く鳥の声。人が集まって住んでいる場所というのは、静かに思えても意外にいろんな音がしていたのだなと、サラは頭の片隅の奥底の端っこあたりでしみじみと思いをせていた。


(《魔女の手》もシグシグたちも、どーなったんスかねぇ……)


 本来考えるべきことは、ぼんやりしている間も幾度となく、頭のすぐうしろのあたりに去来している。とはいえ、答えを知るすべがないこともすでにわかり切っていた。


(まー、ソトツヒが攻めてきたんならこうして生きてるはずもないッスけど……いやぁ、それ以前にッスよ……)


 サラは目を細めたまま、目の前の原っぱに視界を移す。

 ひざ丈ほどもない草はらの真ん中に、歩いてまたげるほどのささやかな小川が流れている。そのほかに目がとまるものといえば、小川の向こうにポツンとある一軒の家だけ。


 家、と素直に呼べるかどうかは人によるだろう。木板の張られた障子しょうじをちゃんと紙に貼りかえれば、いおり、くらいには呼べるのかもしれない。窓のさんにガラスなどはまっていようはずもなければ、草ぶきの屋根はオオカミのくしゃみで飛んでいきそうだ。小屋ッス、とサラの中で子ブタの三男坊が純朴そうに主張していた。しかし三匹であそこに寝泊まりしているのも事実。


 玄関先には縄や草刈り用の手鎌が吊るされ、縁側には野菜の干物。テレビのアンテナも水道メーターも見当たらない。形から入るタイプの田舎暮らし志望者に、とことんまで突き詰めましたっ、とほんのりよくない顔色ながらもほがらかに言われれば納得できるかもしれないッスー。そんなことを思うサラは、この山の頂上付近からながめた景色を意図的に忘れている。


 辺り一面、緑しかなかった。森と野原と、田畑もあったかもしれない。合間にぽつぽつとある家も、子ブタの長男と次男坊が鼻歌まじりに建てたような木の家ばかりだった。レンガなどレの字もない。


(三男は浜で死にました……てきな夢を見てるってのが、ゲーマーサラちゃんの場合は妥当ッスけど……まーしかし、まーしかしッス……)


 もう一度原っぱの小さな家をよくながめる。見覚えはない。周りの景色もそうだ。

 そのはずなのに、原っぱをぐるりと囲む竹林と笹やぶを見ていると、ここがあの神社と同じ場所に思えてくる。ちょうど石段のあったあたりに山をおりる道があり、家のある場所が本殿だった。小川は消え、敷石の並ぶ参道になってはいたが。


(ここが令法野で、あの山の上から特に移動してない、ってことなら……やっぱ、あれッスかね? タイムスリップ、ッスかね……)


 ここに至った経緯を思いだす限り、否定しきれないのが最も悶々もんもんとするところだった。

 《魔女ソトツヒ》のえいそのものだというグリモワールに手が触れたかもしれない。星ごと魔力を食らう者たちの力なら、人間目線ではなにが起きてもおかしくない。令法野のトチガミの社がいつ建てられたかは知らないが、街のほうまで影もかたちもないあたり、相当昔の時代に飛ばされたのは間違いなさそうだった。


(まぁぁぁぁー……最悪それはそれで、説明着くッスよ。ウンウン。問題はぁ……)


 白い着物のすそを整え、よっと声を出して立つ。貸してもらった草鞋わらじはまだ慣れないが、急がずゆっくり歩いて、小川のそばにしゃがみこんだ。ほんの少し胸の高鳴りを覚えながら水面みなもに顔を近づければ、そこに白い髪と、ふたつの青い目が映りこむ。


 妙齢の女性の顔だ。左右対称の整った顔だちをしている。なだらかに通った鼻すじに、小さな唇。やや吊り目気味だが、細い下がり眉と合わさればどこか悩ましげでもある。

 見ず知らずのその女性は、しかしサラのまばたきに合わせて白いまつ毛を何度も上下させた。乳白色の肌は、どちらかといえば病的かもしれなかったが、見ているうちにだんだんと桜色に色づいていく。いっしょに顔のほてりを覚えたサラは、たまらず両手で頬をはさみこんだ。


(アーーーーッ⁉ 銀髪碧眼へきがん美人になってるッスぅーッッ! カワイィィィィィ!!)


 のどにつっかえて出てこないほど胸でふくらんで暴れる雄たけびに、腰をクネクネさせてもだえ苦しむ。目の奥でバチバチと火がぜて、せっかくの美貌が爆発しそうだ。鼻から小出しに熱気を吐き出し、ようやくどうにか湯あたり程度に落ちつかせる。


(ふが~、これはママにも匹敵しちゃうッスぅ~……けど、どーゆーことなんスかねぇ?)


 たこ焼きの具になった気分でぐったりとへたり込みつつ、また空を見あげた。

 起きたことがタイムスリップだとして、姿が変わった意味はよくわからない。変身魔法を体験し使いこなしてもいたサラだが、ある意味〝だからこそ〟とおぼしき違和感もある。


変身魔法まほうしょうじょは自分が一番望んだ姿……ママクラスのウルトラ美女になりたいと思ったことはあっても、銀髪碧眼はなーぁんか違うッス。セイランに変身したときこういう感覚はなかったッスよ。まるで誰か別の人の体を借りてる、みたいな……?)


 別の人、にしかし心当たりはない。心か魂だけが過去に飛んできた、というアイディアもあったが、まず銀髪碧眼の人間が大昔の日本にいるはずもなかった。


(んあーッ、ここでいつまでも『田舎のトチガミ様に転生したので山小屋スローライフを送りたい』してるわけにもいかんッス! けど歩きまわってイベントこなしてフラグ立てろって感じでもないッスし、唯一の違和感ってやっぱりこの姿ッスよ。まさか本当に、トチガミ様の体なんてことは――)

「かかさま」


 物思いに沈んでいるうち、不意にすぐそばで声がした。ポカンとして振り向くと、いつのまにか、あやうくひじをぶつけかけるような距離に、黒いおかっぱ髪の頭があった。


 思わずサラは、口を半びらきにして固まってしまう。一方、女の子は不審なサラの動きも気にかけず、おもむろに着物のふところから薄い紙のようなものを取りだした。


「ふねにして」

「……ふに?」


 首をかしげ、差しだされたものを見なおす。細長く濃い色の紙に見えたそれは、みずみずしく光沢のある一枚のささの葉だった。


「笹……あ、ささぶねッスか」

「ん」


 サラが合点がいった顔をすると、女の子はより高く葉を持ちあげて、サラの鼻先に突きつけてきた。つやつや光る笹の葉ごしに、明るい栗色の真剣なまなざしがサラを射る。サラはようやくなにを求められているのかに気づいて取り乱した。


「や、やーっ、ゴメンッス! あーし、舟にし方知らないッス、でしてっ……!」

「えー」途端に女の子は、つんと引きむすんでいた口をだらりとゆがめて眉をひそめる。


「トチガミなのに知らないのー? ダサーい」

「は、はは、やぁー……」


 トチガミなら知ってるとは限らないしだいいちトチガミじゃないッスぅー、と舌の根あたりまで出かかったものを鼻のほうへ逃がして笑い飛ばしておく。

 サラはいまの容姿で急に現れたことで、女の子とその父親にこの地のトチガミだと思いこまれていた。ふたりの家に置いてもらえているのもそのおかげだ。否定しようにもやはり容姿である。トチガミ以外ならモノノケとまとめられかねないし、サラにも説明ができない。とっさには親子に合わせるよりほかになかったのも事実。


 ――が、そうでなくても、目の前にいるのはサラが膝立ちでやっと釣り合うほどのまだまだ小さい女の子だ。サラの背丈がサラの知っている女性の平均より少し低い程度になっていてそれだった。本来の片手で数えられた歳の差でもないだろう。いまのサラは大人の女性だ。


「お、教えてくれたら、できるかもッス~?」

「教えてもできなかったらおしまいだよ?」

「そッ!? ……そーッスね……」


 にべもなくさとされて変な汗が出てくる。女の子は口をとがらせながら笹の葉をもう一枚取り出し、片方をサラに渡して、自分のぶんのはしを折りはじめた。


「両方こうやって折るでしょー? で、ここをぴーってして、こっちもぴーって」

「あれれ? 作り方知ってるんスか?」

「知らないとはひとことも言ってないよ?」

「そ、そッスね!」


 容赦なくいさめられて涙も出てくる。と同時に、(あれぇっ? なんかこの感じ懐かしいッス!?)と内心で謎の戸惑いを覚えて、サラは目を白黒させた。


「で、三つにぴーってしたのを、こうして、こう……見てる?」

「見てるッス見てるッス!」

「ん」

「わぁ、もうできたッス~! おじょうずッス~!」

「おせじだね」

「ぉぅふッ……」


 言葉を詰まらせつつ、女の子の手の中の『笹舟』を見やる。作り方はそれっぽかったはずだが、サラが知っている完成品に比べると奇妙にねじれていて、前後で大きさも違っている気がした。


「ととさまのは、もっとかっこいいのに……」

「あー、器用そうッスよね」


 肩を落とす女の子の隣りで、サラも自分の身柄を引き受けてくれている男性を思い出そうとする。なぜか先に朱鐘あがねの顔が浮かんだが、彼と違って本物の大人で、体も大きく、おだやかな空気をまとっていた。丸みのある顔だちは似ていなくもないが、朱鐘も歳を重ねれば雰囲気が変わっていくのだろうか。結婚して、子持ちになれば……。


「かかさま」

「んふぁっ! はひっ?」

「ん」


 ぽーっと意識がどこか遠くのまばゆいところへ行きかけていたのを不意に連れ戻される。慌てて振り向けば、女の子がサラの手にある笹をじっと指さしていた。


「あっ、あーしの番ッスね! えぇっとぅ、要するに、ここがこうで、ぴーってして、三等分に……?」


 見て覚えた女の子の手つきを真似して笹の葉を動かしていく。ここでもサラは、なぜだか懐かしさのようなものを胸の奥に感じた。初めて作るはずの笹舟が、初めてではないかのような。


 ほどなくして「できたッス!」と、完成したものを自信満々に頭上へ掲げる。その瞬間、さきが両方ともンパッと分解してただの笹の葉に戻った。


「お、ほぉぉぉ!? そっ、そんなわけねェッス! いくらなんでもこんなに遠いワケがッ……!」

「やる気ある?」

「葉っぱが悪かったッス! 別のに替えてリベンジッスー! 二度とけねェからァ!!」


 くたくたの笹の葉を投げだして走りだす。うしろから「かかさま、待ってー」と声がする。

 はなの痛みは、気にならなくなっていた。

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